藤原鎌足を祀る談山神社へ

大神神社大鳥居近くの無料駐車場を9時10分頃に出発し、その大鳥居前の国道169号線を南下します。途中、昨年9月19日(木)に訪れた国宝 文殊菩薩を祀る阿部文殊院の前を通りました。そのあと車は山の中に入っていき、ぐんぐん登って行きます。そして車1台分ぐらいの狭い道を降りて行くと、次の目的地である談山神社に着きました。

IMG_7260.jpgここには9時34分に着きました。拝観受付所は「社務所」の中にありましたが、友人は車を駐車場に置きに行ったので、私が先に受付を済ませておきます。

ここは紅葉の名所で知られています。標高が400㍍ぐらいで、車から降りると涼しさを感じました。ただ日差しは暑いです。紅葉の時期なら正面入山受付から入山するのでしょうけど、閑散期のこの時期、受付は西側の社務所にされてるようです。

IMG_7263.jpgIMG_7264.jpg友人を待っている間、受付に置いてあった「テクテクマップ」を見ながら散策です。こちらは「ゴマンド池」にある「祓戸社」です。

IMG_7261.jpgIMG_7262.jpgIMG_7265.jpg友人が戻ってきたので、散策開始です。社務所で拝観コースを聞きましたが、直ぐ忘れました

IMG_7266.jpg石段を登った左に、重要文化財の末社「総社本殿」があります。926年(延長4年)の勧請で、天神地衹・八百万神を祀り日本最古の総社と言われています。現在、この建物は1668年(寛文8年)造替の本殿を1742年(寛保2年)に移築したもの。

IMG_7267.jpg向かいにも建物がありますが、ここは裏側にあたります。この時は分かりませんが、あとで正面に回り込むので紹介は、その時に

IMG_7272.jpgIMG_7271.jpgそのまま奥に進むと重要文化財の「閼伽井屋」があります。1619年(元和5年)の造営で、この中に井戸がありました。

IMG_7276.jpgIMG_7278.jpgこちらが正面から見た重要文化財の末社「総社拝殿」です。1668年(寛文8年)の造営。正面と背面に唐破風をもつ。内外部小壁には狩野永納の壁画が残る。

内部には福禄寿大神が祀られていました・・・が、狩野永納の障壁画は無かったですね・・・。ちなみに、この前の庭は「蹴鞠の庭」と呼ばれています。

IMG_7274.jpgIMG_7280.jpgIMG_7281.jpgそれで向かいに移動します。重要文化財の「神廟拝所(旧講堂)」で、定慧和尚が679年(白鳳8年)父・藤原鎌足供養のため創建した妙楽寺の講堂でした。現在の建物は、1668年(寛文8年)の再建です。

最初の受付で、「朱印は何処ですか?」と尋ねると、ここを教え貰いました。堂内に入ると、受付に神職さんが座られており、御朱印をお願いしました。ここは朱印帳に書いていただけます。そしてダメ元で「写真撮影は?」と尋ねると、「撮って貰って結構です」と聞きました。それなら撮らせて貰います

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拝所内の中央には、「秘仏談峯如意輪観音像」がご開帳されていました。本来は6月1日から7月31日までとなっていましたが、新型コロナウイルスの流行収束を御祈念すると期間内の密を避けるため8月31日まで延長されてました。

IMG_7283.jpgIMG_7286.jpgIMG_7287.jpgこちらには木造・「藤原鎌足公御神像」と鎌足の次男「藤原不比等公像」が安置されていました。いずれも室町時代の作と伝わります。

IMG_7284.jpgこちらは「秋冬花鳥図(しゅうとうかちょうず)」(高精細複製品)(狩野派筆)で、本作は、「大化の改新」談合の地として著名な談山神社にかつてあった学頭屋敷に伝来したと言われ、当時の繁栄ぶりを偲ばせる。

IMG_7290.jpgIMG_7293.jpgIMG_7294.jpgIMG_7295.jpgそんなに度々来られる距離でもないので、ここに展示されてるものは、2人でじっくり鑑賞させて貰いました。

中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、現在の談山神社、本殿裏山で極秘の談合をされました。この談合により645年(皇極天皇4年)飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)にて蘇我入鹿を討ち中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられ、多武峰(とうのみね)はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新新談合の地」との伝承が残り、談山神社の名もここからきています。669年(天智天皇8年)10月に、鎌足公の病が重いことを知った、第38代天智天皇は、病床を見舞い、後日、大織冠内大臣という最高位を与え、藤原の姓を与えました。これが藤原氏の始まりで、鎌足公没後、御墓は摂津国阿威山に作られましたが、678年(白鳳7年)長男の定慧和尚が唐より帰国し、鎌足公の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三塔と講堂を建立し妙楽寺と称しました。さらに701年(大宝元年)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置したのが談山神社の始まりです。

IMG_7296.jpgIMG_7275.jpg朱印も書いていただいて、由緒書きも貰い、それに写真も撮らせて貰い「神廟拝殿」を出て行きました。そしてさらに石段を登って行きます。

IMG_7297.jpg石段を登り切り、ここで先に「本殿」を目指します。権殿と十三重塔はあとで見ることにして・・・。

IMG_7302.jpgIMG_7304.jpg十三重塔の前を通り過ぎ、また石段を上がると正面に重要文化財に指定されている「楼門」が見えてきました。

IMG_7307.jpg楼門前に来たら、ここから重要文化財の「拝殿」に上がれることが分かりました。なお、東西回廊及び本殿も重要文化財に指定されています。

IMG_7318.jpg拝殿」から見た「本殿」です。藤原鎌足公を祀る旧別格官幣社。701年(大宝元年)の創建で、聖靈院、多武峯社ともいう。現在の本殿は1850年(嘉永3年)造替の三間社隈木入春日造、朱塗極彩色の豪華絢爛たる様式で世に名高い。

IMG_7319.jpgIMG_7320.jpg重要文化財の「拝殿」「楼門」「東西回廊」は、朱塗舞台造拝殿は1520年(永正17年)の造営、中央の天井は伽羅香木で造られています。折れ曲がる東西回廊は、本殿を囲む特異な形態をもち、檜皮葺の屋根が美しい。

ここが「大化の改新」の舞台だったんだなぁ・・・と、暑いけど、ここまで連れて来て貰った友人に感謝です。談山神社の散策はまだまだ続きます。

【談山神社】

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