青モミジが美しい、藤原鎌足を祀る談山神社へ
秋の紅葉の名所である談山神社は、この猛暑では訪れる人は皆無です。境内では誰も出会いません。歴史の教科書で習った「大化の改新」は、ここの裏山で談合された話も、ここに来て知りました。蝉の鳴き声しか聞こえてこない談山神社をまだまだ散策します。
「神廟拝所」でも撮影は可能でしたが、ここ「拝殿」でも撮影は可能でした。ここでは撮影禁止は無いようです。



パンフでは、ここからの眺望が素晴らしいとありましたが、モミジが覆い茂っているので見えないですね。寺宝ならふ神宝をゆっくり鑑賞しました。
「がんばれ東北!」特別展として、「許由、巣父故事図」萩原盤山(はぎわら ばんざん)筆が展示されていました。萩原盤山は江戸時代後期の画家でした。



ここには「高欄」があったので、歩いて見ました。風も吹き抜け、青モミジが美し大変綺麗な光景でした。
ここは高度が高いので、少し涼しい風は吹きます。「拝殿」内でゆっくりしてからここを出てました。その楼門前にある・・・多分、ここはかつて「手水舎」だったんでしょうね
。
こちらは重要文化財の「西宝庫」です。本殿に向かって左右同じ位置に二つあるそうです。校倉造りで1619年(元和5年)の造営となります。文化財の宝庫として知られる談山神社古来の名宝を収蔵してきました。
時間的な都合と言うより、あまりの暑さのため「東宝庫」は見に行きませんでした。友人は元気なんで行きましたけどね
。このあと十三重塔まで行きます。

重要文化財の「十三重塔」は、藤原鎌足公の長子・定慧和尚が、父の供養のために678年(白鳳7年)な創建した塔姿で、現存のものは1532年(享禄5年)の再建です。木造十三重塔としては現存世界唯一の貴重な建造物です。

こちらは重要文化財の「権殿」です。970年(天禄元年)摂政右大臣藤原伊尹(これただ)の立願によって創建され、実弟の如覚(じょかく)-多武峰少将藤原高光-が阿弥陀像を安置した元の常行堂。現存のものは室町後期の再建です。
権殿の奥には登拝口がありますが、今日は登りません。奥に末社が並んでいるので、こちらも一つ一つ見ていきます。
左側の小さな祠から見ていきます。先ずは末社「稲荷神社」で、祭神は宇賀之魂神(うがのみたまのかみ)と書いてありました。
こちらは重要文化財の末社「比叡神社本殿」で、1627年(寛永4年)の造営の一間社流造、千鳥波風及び軒唐破風付、檜皮葺の小社です。元は飛鳥の大原にあった大原宮で、明治維新まだは山王宮と呼ばれていました。
さらに右に移動して末社「山神神社」です。祭神は、大山津見命(おおやまつみのみこと)とありました。
さらに右に移動して、小さな祠は末社「杉山神社」です。祭神は久々能智神(くくのちのかみ)で、例祭は11月17日とありました。
最後が、末社「神明神社」です。祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、日本神話に主神として登場する神様ですよね
。


ここから約20分ぐらい登って行くと、藤原鎌足公の墓所があるそうです。今日同行してくれた友人は過去に行ったそうですが、こんなに暑いのに今日は無理です。
この瀧と岩くらは、古神道の姿を今に残した霊地だそうです。ここは龍ケ谷の古代「岩くら」と「龍神社」です。


また、「権殿」「十三重塔」の前を通り、背後に「拝殿」を見て、「正面鳥居」を見ながら降りて行きます。


ただ、この閑散期では正面からの出入りが出来ないので、最初に入った社務所から10時10分に出て行きました。

友人が車を止めている駐車場まで、下り道を歩いて行きます。そして外から「正面鳥居」を見ることが出来ました。
重要文化財の後醍醐天皇御寄進「石燈籠」を駐車場の途中で見付けました。竿に南北朝動乱の始まった、1331年(元徳3年)の刻銘をもつ雄大かつ装飾姓豊かな造で、天皇の寄進と伝わるものです。
10時16分に駐車場に戻って、暑いので直ぐに出発しました。車は細い下り坂をゆっくり走って行き、途中「東大門」を通りました。次は古代のロマンを味わいたくて明日香村を目指します。
【談山神社】














時間的な都合と言うより、あまりの暑さのため「東宝庫」は見に行きませんでした。友人は元気なんで行きましたけどね
























重要文化財の後醍醐天皇御寄進「石燈籠」を駐車場の途中で見付けました。竿に南北朝動乱の始まった、1331年(元徳3年)の刻銘をもつ雄大かつ装飾姓豊かな造で、天皇の寄進と伝わるものです。
10時16分に駐車場に戻って、暑いので直ぐに出発しました。車は細い下り坂をゆっくり走って行き、途中「東大門」を通りました。次は古代のロマンを味わいたくて明日香村を目指します。
【談山神社】
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