わが国最大級の方墳「石舞台古墳」へ
10時16分に談山神社の駐車場を出発し、古代の香りが残る明日香村を目指します。ここでは何箇所か見て回る計画をたてており、最初の訪問が石舞台古墳でした。多分、子供の頃に連れて来られて以来だと思うので、楽しみにしていたんですが、涼しい談山神社から、猛烈な暑さの明日香村。車を降りてから汗が噴き出して来ました。
ここには10時40分に着きました。石舞台は車からも見えましたが、何だか小さく感じたんですが・・・。
車を止める所を探したこともあって、少し手間取りました。友人も久し振りと言ってましたが、私は半世紀以上は来て無いかと思います。子供の頃に見た風景・・・巨大だった石室も、その当時に比べたら小さく見えたのかも知れません。入城料は300円でした。子供の頃は無料だったのか、親が払っていたのか記憶はありませんが、久し振りの石舞台に向かいます。
ここに入るとときにお一人出て行かれて、私たちより先に学生さんがお一人先に入られました。
この日の最高気温は、京都が36.4℃で、奈良が36.1℃でした。奈良も盆地ですからね、京都より気温が低いとは思ってなかったですが、それにしても暑いです。
もの凄い巨大な石を記憶していましたが、大人になってみてみても巨大です。石室内も入れるのでさっそく見てみます。
この巨大古墳が誰の墓なのかは不明は知ってましたが、定説では付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力と言われてますね。
この古墳の石室が露出しているのは、馬子の横暴な態度に反発した後世の人が封土を取り除いたためともいわれていると書いてありましたが・・・さっそく石室内に入ってみます。
石舞台古墳は、6世紀の築造で、巨石を30個を積み上げて造られた石室古墳です。その規模は日本最大級を誇り、盛土は既に失われており、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれています。墳丘は1辺50㍍の方墳で、周囲には幅8.4㍍の濠がめぐります。石室の長さは19.1㍍、玄室は高さ約4.7㍍、幅約3.5㍍、奥行き約7.6㍍、石の総重量は推定2300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるといいます。
石室内に入ると、古代の土木技術に感心します。蘇我馬子かどうか分かりませんが、当時に権力者の実力を思い知ります。
石室内を見学していたら友人が、「あそこに石棺があるから見に行こう」と言われたので、行ってみました。さすがに以前の記憶はありません。
石舞台古墳を発掘調査された結果、石室から「石棺」は発見されませんでした。ただ石室からは平らに加工した疑灰石の破片は発見されたので飛鳥時代の資料を元に復元されたものです。
帰る前に、もう一度石舞台を半周して、ここを出て行きました。ここも空いていて良かったです。
ここは10時51分に出て行きました。車は少し離れた所に止めていたので、車に着くまでに汗だくになってしまいましたね。もう少し明日香村を散策します。
【石舞台古墳】
ここには10時40分に着きました。石舞台は車からも見えましたが、何だか小さく感じたんですが・・・。
車を止める所を探したこともあって、少し手間取りました。友人も久し振りと言ってましたが、私は半世紀以上は来て無いかと思います。子供の頃に見た風景・・・巨大だった石室も、その当時に比べたら小さく見えたのかも知れません。入城料は300円でした。子供の頃は無料だったのか、親が払っていたのか記憶はありませんが、久し振りの石舞台に向かいます。
ここに入るとときにお一人出て行かれて、私たちより先に学生さんがお一人先に入られました。
この日の最高気温は、京都が36.4℃で、奈良が36.1℃でした。奈良も盆地ですからね、京都より気温が低いとは思ってなかったですが、それにしても暑いです。
もの凄い巨大な石を記憶していましたが、大人になってみてみても巨大です。石室内も入れるのでさっそく見てみます。
この巨大古墳が誰の墓なのかは不明は知ってましたが、定説では付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力と言われてますね。
この古墳の石室が露出しているのは、馬子の横暴な態度に反発した後世の人が封土を取り除いたためともいわれていると書いてありましたが・・・さっそく石室内に入ってみます。
石舞台古墳は、6世紀の築造で、巨石を30個を積み上げて造られた石室古墳です。その規模は日本最大級を誇り、盛土は既に失われており、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれています。墳丘は1辺50㍍の方墳で、周囲には幅8.4㍍の濠がめぐります。石室の長さは19.1㍍、玄室は高さ約4.7㍍、幅約3.5㍍、奥行き約7.6㍍、石の総重量は推定2300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるといいます。
石室内に入ると、古代の土木技術に感心します。蘇我馬子かどうか分かりませんが、当時に権力者の実力を思い知ります。
石室内を見学していたら友人が、「あそこに石棺があるから見に行こう」と言われたので、行ってみました。さすがに以前の記憶はありません。
石舞台古墳を発掘調査された結果、石室から「石棺」は発見されませんでした。ただ石室からは平らに加工した疑灰石の破片は発見されたので飛鳥時代の資料を元に復元されたものです。
帰る前に、もう一度石舞台を半周して、ここを出て行きました。ここも空いていて良かったです。
ここは10時51分に出て行きました。車は少し離れた所に止めていたので、車に着くまでに汗だくになってしまいましたね。もう少し明日香村を散策します。
【石舞台古墳】
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