戦後最大の大発見!! 極彩色の壁画が残る高松塚古墳へ

川原寺跡 弘福寺を11時35分に出発し、途中車窓からは見えませんが有名な「亀石」の横を通ります。そしたらすぐに高松塚古墳前駐車場に着いたので、そこで車を止めました。

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駐車場から、案内図を見ながら歩いて行きますが、少し登りが続きます。駐車場には11時39分に着きましたが、そこからが長かった・・・。

この日に訪れたところで、高松塚古墳が一番きつかったです。登り坂じゃなくて暑さと湿気でした。遮るものがないので太陽を直接浴び、いつ着くかわからない緩やか坂を歩くのに、本当にしんどかったですね。

IMG_7478.jpg高松塚古墳が見えたのは、11時47分の時でした。汗で前が見えないくらい吹き出しています。ペットボトルのお茶も直ぐに無くなりました。

IMG_7479.jpgIMG_7480.jpgIMG_7481.jpgIMG_7482.jpgIMG_7483.jpgIMG_7484.jpgIMG_7485.jpg高松塚古墳を回り込んで、近くの風景とともに撮影しました。内部に入れないのも、本物の飛鳥美人を見られないのも知っていたので、納得して見てました。

国営飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区の東に位置する古墳です。石室の壁画が有名で、特に色彩鮮やかな西壁の女子群像は、歴史の教科書などにも紹介されています。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23㍍(下段)及び18㍍(上段)、高さ5㍍の二段式の円墳です。石室に安置されていた棺は、わずかに残存していた残片から、漆塗り木棺であったことがわかっています。被葬者は7~8世紀の皇子とみられる長身の男性とされるが、詳細は分かっていません。1972年(昭和47年)年3月21日には極彩色の壁画が発見され、考古学史上まれにみる大発見として、日本中でトップニュースとなりました。その後1973年(昭和48年)に、高松塚古墳は特別史跡になり、また極彩色壁画は1974年(昭和49年)に国宝に指定されました。

IMG_7488.jpgIMG_7486.jpgIMG_7487.jpg当初予定していた「高松塚壁画館」ですが、高松塚古墳を見てから、もう探す気力は残っていなくて、駐車場に戻る途中でみつけました。

行きと帰りが違う道で良かったです。「高松塚壁画館」は、障壁画が国宝に指定され、その保存上公開はありません。そのため石槨内部模型の忠実な模写・模造を展示することになったそうです。入館料は300円で、ここに入るととき、マスクの着用と手指消毒をお願いされました。猛烈に暑かったのでマスクは付けてませんでしたが、鞄に入れてて良かったです。なお館内は撮影禁止でした


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館内で、私が興味を引いたのは、実際の盗掘穴から石室内部を覗けることです。東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像、天井には星宿図が描かれているを忠実に再現されていました。

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やっぱり高松塚古墳の壁画は、これですね。原寸大の極彩色で忠実に再現されているので、これは必見です。良かったです

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外は暑かったけど、館内はエアコンで涼しいかったので、ゆっくり鑑賞させて貰いました。戦後最大の発見として大きな注目を集めた壁画を見に来られて良かったですね、途中あまりに暑いので心が折れそうになりましたが・・・。

今後、本物が公開されてる時が来るかも知れませんね。この日は明日香村に来た最大の目的は、ここ高松塚古墳でした。館内でお一人熱心に見学されていた人・・・先程、石舞台古墳で見た人でした。今日は友人の車で来ましたが、明日香村はレンタサイクルで回るのが良いでしょう、亀石や鬼の雪隠、酒船石なんかは車では無理があるから。12時2分に高松塚古墳駐車場を出て、今日は、あと一箇所寄って行きます。

【高松塚古墳】

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