「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社 多賀大社へ

8月28日(金)は、前日までの猛暑が嘘のように朝から雨降り・・・前日の天気予報では曇りでしたが、まさか朝から雨が降ってくるとは思いも寄らぬ天気でしたが、猛暑日は解放されるかなぁとは思いました。

今週の月曜日に奈良県明日香村を中心に散策しましたが、この日も同じメンバーで、今度は滋賀県のお社を散策することにしてました。朝の6時に待合せの予定が、10分早く友人が来たので、5時50分に自宅を車で出発、名神京都南インターチェンジから高速に入り、彦根インターチェンジで降り、最初の目的地である多賀大社を目指し少し京都よりに戻ります。そしてほどなくして7時30分頃に車は到着しました。

IMG_7543.jpg多賀大社の駐車場に車を入れ、少し戻って「大鳥居」から入りました。残念ながら、こちらも雨降りで傘をさしての訪問です。

IMG_7544.jpgIMG_7546.jpgIMG_7550.jpgIMG_7557.jpg鳥居をくぐると反橋があって、友人は渡りましたが、私は傘を差しているので遠慮しました

豊臣秀吉が母の大政所の延命長寿を祈願したところ、母の病気が小康状態になったことから多くの寺領を寄進した。それにより整備された橋で「太閤橋」と呼ばれています。

IMG_7547.jpg「太鼓橋」を渡り右手の末社に寄って行きます。向かって右から「秋葉神社」で祭神が、火産靈賀具都知神(ほむすびかぐつちかのかみ)。左に「愛宕神社」で祭神が、火産霊神(ほむすびのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)でした。

IMG_7555.jpg次に「神門」に入らず、今度は左手に移動します。こちらは末社「天満神社」で、祭神は学問の神様として親しまれてる菅原道真公です。

今、雨が降っています。朝の最低気温は27.8℃でした、彦根に近いと言っても京都そんなに気温は変わらないように思えました。雨が降って涼しくなると期待しましたが大間違いで、湿気が多く少し歩いただけで汗が出てきます。

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神門」を入って、正面に「拝殿」が見えます。門を入って左手に「手水舎」がありますが、新型コロナウイルスの感染予防から閉鎖されていました。

IMG_7559.jpg拝殿」前で参拝しました。東西の回廊と繋がっており優美ですね、さすがに滋賀県第一の大社と呼ばれるだけのことはあります。

御祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)の二柱。古くから「お多賀さん」の名で親しまれ、日本最古の書物「古事記」に記載がある古社です。御祭神は、神話に名高い日本の創造神で初めて夫婦の道を始められました。天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々、我々人間を始め草木一切に至るまで生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集めました。

IMG_7560.jpgこの時、7時40分で境内は誰も居ません。雨が降っているので神職さんの姿も見ないです。これから境内を散策します。

IMG_7561.jpgIMG_7563.jpg「拝殿」で参拝を済ませたら右手に行き「神松」と、君が代の歌詞に出てくる「さざれ石」がありました。

IMG_7565.jpgさらに奥に進み末社「子安(こやす)神社」で、祭神は木之花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)で、安産 小授け 子育てが御利益です。

IMG_7567.jpg年神(としがみ)神社」で、祭神が大年神(おおとしのかみ)、「(かまど)神社」で、祭神が火産霊神(ほむすびのかみ)でした。

IMG_7569.jpgこちらは「寿命石」と言って多賀大社に願掛けして長寿を得た俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)ゆかりの靈石です。

IMG_7572.jpgこちらは右が末社「三宮(さんのみや)神社」で、祭神が角代神(つのぐいのかみ)、活代神(いくぐいのかみ)、大富道神(おおとのじのかみ)、大富辺神(おおとのべのかみ)。左の末社「聖神社」で、祭神が少彦名命(すくなひこなのかみ)でした。

IMG_7574.jpgこちらは右から末社「熊野神社」で、祭神が櫛美気野命(くしみけぬのみこと)、末社「天神(あまつかみ)神社」で、祭神が天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産靈神(たかみむすびのかみ)、神皇産靈神(かみむすびのかみ)、末社「熊野新宮」で、祭神が速玉之男神(はやたまのおのかみ)でした。

IMG_7577.jpgIMG_7578.jpgIMG_7579.jpgIMG_7580.jpgIMG_7582.jpgそして、もっとも奥に朱塗りの鳥居があって、奥に進みます。途中に手水もあって、さらに奥に進むと末社「金咲(かねさき)稲荷神社」があって、祭神は宇伽之御魂神(うかのみたまのかみ)でした。

IMG_7562.jpgIMG_7584.jpg朱塗りの鳥居を出てきて次に「能舞台(のうぶでん)」を見てみました。ここは能や狂言などを演じて奉納する建物です。

IMG_7585.jpgIMG_7586.jpgさらに南には1923年(大正12年)に寄進された「神馬舎(しんばしゃ)」があって、1985年(昭和60年)に寄進された木造神馬が奉納されました。

IMG_7589.jpgIMG_7594.jpg境内の隅に「絵馬殿」があって、休憩所も兼ねているので友人は、ここで水分補給をして、私は向かいの・・・。

IMG_7590.jpgこの時、7時44分でしたが「授与所」に神職さんがお一人座られていました。この時間では書き置きしかありませんが、御朱印いただけました

IMG_7591.jpg最初に参拝した優雅な「拝殿」です。早朝で雨も降っているので、この時間では誰も来られ無いです。

IMG_7595.jpgIMG_7596.jpg絵馬殿で友人と合流し、「文化財の小経」を進みます。最初は「文庫」から。

彦根藩は、「桜田門外の変」のあと、勤王の旗印を明らかにします。その大きな役割を果たした人物が多賀大社大禰宜車戸宗功は長州藩士の伊藤俊介(博文)ら勤王方と彦根藩の仲介に奔走したそうで、功績がありました。この文庫は、その車戸家の邸宅内にあったそうで、長州や土佐藩志士らと密談を行ったという、維新前夜の貴重な遺構です。

IMG_7598.jpgこの二つの「大釜」は、1633年(寛永10年)と1699年(元禄12年)に江戸幕府から奉納され神事に使われていました。

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皇太子殿下御成婚記念」と書いてありますが、現在の天皇陛下でしょうか?、上皇様でしょうか?

IMG_7602.jpgここは「神輿庫(みこしこ)」で、4月22日の古例大祭に出される神輿・鳳輦(ほうれん)を奉安する庫です。

IMG_7603.jpg神社に「梵鐘」は珍しいですね、理由があって、明治初期の神仏分離令の前には、寺院の建物が存在してました。この梵鐘以外は破却されまたが、浅井家や佐々木家が寄進した室町時代の梵鐘は残ったそうです。

IMG_7605.jpg切妻造「太閤蔵」です。豊臣秀吉の寄進によって造営された建物の一つです。最初に渡った「太閤橋」もそうでした。

IMG_7607.jpgこちらの奥に「奥書院庭園」があって、普段は見られるみたいですが、現在は新型コロナウイルスの感染予防から拝観を停止されています・・・残念。

雨が降り、ゆっくり歩いていると末社「夷神社」を見付けました。祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)です。

ここは明治の神仏分離令の前までは、不動院・般若院・成就院・観音院の四つの神宮寺があって、ここはその般若院がありました。般若院は非彦根藩主井伊家の宿坊だったようです。

IMG_7612.jpgここでやっと摂社「日向神社」に着きました。遠路来たので、境内の案内にしたがってここまでやって来た次第です。

IMG_7614.jpg右側から入り「神明両宮」をお参りしました。祭神は天照大神(あまてらすおおのかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)でした。

IMG_7615.jpgこちらが「日向神社」です。祭神は天照大御神に三種の神器を授けられ、統治のために地上に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)で、1934年(昭和9年)に境内唯一の摂社となりました。

IMG_7621.jpgIMG_7619.jpgIMG_7620.jpgこの時、7時58分になっていました。雨は止みません。汗で濡れたのか雨で濡れたのかここから駐車場に戻りました。

少し離れているので、車に戻り水分を補給、タオルも交換してここを8時7分に出て行きました。車は次に近江八幡市を目指します。私は平成元年から7年か8年まで滋賀県大津市の職場に通っていたので、滋賀の地理は若干詳しいです。友人が高速に乗るかどうか迷っていたので、湖岸道路を勧めました

【多賀大社】

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