近江商人の旧家 近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)へ
白雲館(旧八幡東学校)をさっとみたあと、直ぐに車に乗り込み出発します。途中、メンタームで有名な「近江兄弟社本社」の前を通りました。ここが本社だったんですね、そこを通り過ぎて車は新町通りに入ります。この新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。国の重要伝統的建造物保存地域となっており、江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして、その保存運動が展開されているみたいです。
車は、約1分ぐらいで目的地である「近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)」の前に着きました。ここでコインパーキングを探すのも面倒と友人は、車に乗ったままで、私だけ館内に入ることにしました。
入口の門に「無断写真撮影お断り」と赤字で書かれており、この写真は帰りに撮りました。
玄関かどうか分かりませんが、入ると受付があって、そこで入館料300円を払います。そして写真撮影の有無を聞くと「何処を撮って貰っても結構です」と。ここは有料施設のため入口で写真だけ撮られるのを断りされているのでしょう。
入口から館内全景を撮りました。今から座敷に上がり見ていきます。なお、受付で何箇所か共通券があったようですが、そこは事前に調べて無かったので、ここだけにしました。
旧西川家住宅の西川利右衛門は、屋号を大文字屋と称して蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えました。現在資料館として入館できる施設は3代目によって1706年(宝永3年)に建てられたもので、1983年(昭和58年)に国の重要文化財に指定され、1985年(昭和60年)10月より33ヶ月の工期を経て、建築当初に改修されました。1930年(昭和5年)に後継者が無いまま11代目が亡くなり、約300年にわたって活躍した西川家は終焉を迎えました。西川家の家訓は「先義後利栄・好富施其徳」。義理人情を第一とし、利益追求を後回しにすることが商売繁盛となり、得られた富に見合った人間形成を行えと説いています。
「土間」を上がると、最初の部屋は「中の間」次が「寝間」そして「座敷」へと続きます。ここでは、とくに案内は無いようです。
「寝間」と奥に庭が見える部屋が「奥の寝間」です。ここには、江戸時代の「鶏図衝立」(岡本豊彦筆)がありました。
こちらは立入禁止ですが、2階への箱階段がありました。何だか京町屋に似ていますね。
「次の間」から「座敷玄関」を見ています。客人は、板塀戸口から「見越の松」の中庭を通りここで出迎えたのでしょう。
その客人は「座敷」に通されたのでしょうね。床の間には西川家の家訓が飾ってあります。「先義後利者栄好富面施其徳」(義を先にし利を後にするは栄え好く富みて其徳を施せ)と書いてありました。
「座敷」「奥の寝間」「奥の間」からは、「庭園」が見られます。よく手入れされた綺麗な庭園でした。
「座敷」から「次の間」を見ています。少しだけ「見越の松」がある中庭も見えています。広い旧家・・・まだまだ見ています。
「座敷」を出て、「仏間」と奥の「茶室」を見ています。「茶室」だけは立入禁止でした。
新町通り沿いに面したお店の方も見せて貰いました。暖簾をくぐると、そこは大文字屋の「玄関」にあたります。
お店の「下戸」「板の間」にあるガラスケース内の展示物も見て、再び「中の間」まで戻りました。
「土間」には、懐かしい「おくどさん」がありました。京町屋でお馴染みですよね、我が家にもありました。また、ここには「ナグリ板塀模型」も展示してありました。
今度は靴を履いて、「旧西川家住宅(西川利右衛門)土蔵」を見に行きました。この土蔵は、天和年間(1681~1683)に建てられた、江戸時代前期の土蔵で内部は三層(三階建て)になっているようです。ただし非公開で見られません。
こちらの井戸は通常の井戸と違い別の水源から送られた水を貯めるための井戸です。この地域は地質が悪く井戸を掘ることができません。その水を供給するためには用水路を作る必要がありましたが、当時はパイプの代わりに竹を用いて「古式水道」を整備されたようです。
土蔵から見た「旧西川家住宅」です。足早に重要文化財に指定されてる旧家を出て行くことにしました。
ここには10時1分に出て行きました。出ると友人の姿が見えないので少々探しました。雨は止んでますが、蒸し暑いです。
向かいには「西川庄六邸」(非公開・県指定文化財)はあって、2代目西川利右衛門の子「庄六」を初代に、蚊帳・綿・砂糖・扇子などを商いした町屋です。
正面は八幡山で、八幡山ロープウェイが見えています。豊臣秀次の八幡城跡を見てみたいので、いずれ乗りたいです。ほどなくして友人と合流して、次へと向かいました。
【近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)】
車は、約1分ぐらいで目的地である「近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)」の前に着きました。ここでコインパーキングを探すのも面倒と友人は、車に乗ったままで、私だけ館内に入ることにしました。
入口の門に「無断写真撮影お断り」と赤字で書かれており、この写真は帰りに撮りました。
玄関かどうか分かりませんが、入ると受付があって、そこで入館料300円を払います。そして写真撮影の有無を聞くと「何処を撮って貰っても結構です」と。ここは有料施設のため入口で写真だけ撮られるのを断りされているのでしょう。
入口から館内全景を撮りました。今から座敷に上がり見ていきます。なお、受付で何箇所か共通券があったようですが、そこは事前に調べて無かったので、ここだけにしました。
旧西川家住宅の西川利右衛門は、屋号を大文字屋と称して蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えました。現在資料館として入館できる施設は3代目によって1706年(宝永3年)に建てられたもので、1983年(昭和58年)に国の重要文化財に指定され、1985年(昭和60年)10月より33ヶ月の工期を経て、建築当初に改修されました。1930年(昭和5年)に後継者が無いまま11代目が亡くなり、約300年にわたって活躍した西川家は終焉を迎えました。西川家の家訓は「先義後利栄・好富施其徳」。義理人情を第一とし、利益追求を後回しにすることが商売繁盛となり、得られた富に見合った人間形成を行えと説いています。
「土間」を上がると、最初の部屋は「中の間」次が「寝間」そして「座敷」へと続きます。ここでは、とくに案内は無いようです。
「寝間」と奥に庭が見える部屋が「奥の寝間」です。ここには、江戸時代の「鶏図衝立」(岡本豊彦筆)がありました。
こちらは立入禁止ですが、2階への箱階段がありました。何だか京町屋に似ていますね。
「次の間」から「座敷玄関」を見ています。客人は、板塀戸口から「見越の松」の中庭を通りここで出迎えたのでしょう。
その客人は「座敷」に通されたのでしょうね。床の間には西川家の家訓が飾ってあります。「先義後利者栄好富面施其徳」(義を先にし利を後にするは栄え好く富みて其徳を施せ)と書いてありました。
「座敷」「奥の寝間」「奥の間」からは、「庭園」が見られます。よく手入れされた綺麗な庭園でした。
「座敷」から「次の間」を見ています。少しだけ「見越の松」がある中庭も見えています。広い旧家・・・まだまだ見ています。
「座敷」を出て、「仏間」と奥の「茶室」を見ています。「茶室」だけは立入禁止でした。
新町通り沿いに面したお店の方も見せて貰いました。暖簾をくぐると、そこは大文字屋の「玄関」にあたります。
お店の「下戸」「板の間」にあるガラスケース内の展示物も見て、再び「中の間」まで戻りました。
「土間」には、懐かしい「おくどさん」がありました。京町屋でお馴染みですよね、我が家にもありました。また、ここには「ナグリ板塀模型」も展示してありました。
今度は靴を履いて、「旧西川家住宅(西川利右衛門)土蔵」を見に行きました。この土蔵は、天和年間(1681~1683)に建てられた、江戸時代前期の土蔵で内部は三層(三階建て)になっているようです。ただし非公開で見られません。
こちらの井戸は通常の井戸と違い別の水源から送られた水を貯めるための井戸です。この地域は地質が悪く井戸を掘ることができません。その水を供給するためには用水路を作る必要がありましたが、当時はパイプの代わりに竹を用いて「古式水道」を整備されたようです。
土蔵から見た「旧西川家住宅」です。足早に重要文化財に指定されてる旧家を出て行くことにしました。
ここには10時1分に出て行きました。出ると友人の姿が見えないので少々探しました。雨は止んでますが、蒸し暑いです。
向かいには「西川庄六邸」(非公開・県指定文化財)はあって、2代目西川利右衛門の子「庄六」を初代に、蚊帳・綿・砂糖・扇子などを商いした町屋です。
正面は八幡山で、八幡山ロープウェイが見えています。豊臣秀次の八幡城跡を見てみたいので、いずれ乗りたいです。ほどなくして友人と合流して、次へと向かいました。
【近江八幡市立資料館(旧西川家住宅)】
この記事へのコメント