西日本最大級の要塞 洲本城へ
鳴門山展望台を10時50分過ぎに出て、鳴門北ICから神戸淡路鳴門自動車道に入り大鳴門橋を渡ります。そして再び淡路島に入り北に向かって車を走らせていると途中から土砂降りの雨が降ってきました。今まで晴れていたのが嘘のようですが、天気予報は当たっています。洲本ICで高速を降りて、洲本市内に入って行きますが雨は止みません。洲本市内に入り、海岸通りを走り洲本温泉街を通って、車は山側に登って行きます。曲がりくねった山道を登って行きほどなくしたら洲本城に着きました。
駐車場は、「馬屋(月見台)」の前にあって、11時38分に着きました。さほど広くない駐車場に数台止まっています。
車から降りて、本丸に向かって歩こうとすると、友人が「ここからの眺望綺麗よ」と教えてくれ傘を差しながら見てみると・・・。
小雨だったら良かったのに、かなり降ってて・・・洲本市内も雨で煙っています。晴天なら紀淡海峡・成ヶ島・友ヶ島なんかが見えるようですが、この天気では無理ですね。
駐車場を出て、本丸を目指すところ・・・車で上がってくる途中に気になる曲輪があったので、私だけ道を戻ります。
ここを車で登ってきました。私だけ傘を差してここを下って行きます。友人は先に登って行きました。
ここは、かつて「大手門」があった所です。看板には「大手門跡」と書いてありました。洲本城の表門にあたる「大手門」は、馬屋とともに城の南側に設けられた。
「大手門跡」から少し下がると案内版が出ていて、読むと「腰曲輪」と書いてありました。
雨が降っているので、下ったのはここまで。ここから本丸を目指して登って行きます。途中「東の丸」に通じる石段があって、家紋の幟が・・・。
これはは「輪違い」の家紋で、脇坂安治が城主だったことを物語っていると思います。脇坂安治は賤ヶ岳の七本槍の一人。淡路国洲本藩主、伊予国大洲藩初代藩主、龍野藩脇坂家初代で。脇坂家は10代つづき明治維新を迎えることになる。
ここも広大な城域で、雨が降ってなかったら隅々まで散策したいお城です。「東の丸」に向かわずに本丸を目指すと、突き当たりに「南の丸」の石垣が見えてきます。
こちらは「南の丸隅櫓跡」です。本丸南側に通じる要塞でしょう、石垣が古く歴史を感じます。
振り返って「南の丸隅櫓跡」を見ると、「南の丸」のが低いことに気がつきます。雨降り出なかったら、ここも上がって見たかったですね。
天守が見えていまても真っ直ぐ行けないのがお城の醍醐味ですよね。次には強固に造られた城内では最も幅が広い「本丸大石段」を登ります。
「本丸大石段」を登ると本丸南に造られた「本丸虎口」でます。本丸への直進を阻み、屈折した枡形をなしている。
「本丸虎口」を突破すると本丸に入ります。すると正面に「模擬天守」が見えてきました。
「天守台」に上がろう、本丸搦手虎口に向かうと、後ろから友人が「先に天守に行こう」と言ってきたので間違いに気づいた次第です。
この石段を上がった右手が「小天守台」です。残念ながら雨は止みません。足元に気をつけながら石段を登ると・・・。
登ると素晴らしい眺望が飛び込んできます。雨に煙ってますが綺麗な洲本市街地及び大阪湾が見渡せます。
1928年(昭和3年)の昭和天皇即位の御大典記念に、本丸の天守台に造られた。3層の模擬天守は昭和の新造天守第一号と言われている。
友人に、「天守入れるの?」と聞くと「入れるよ」と。見た所入口が見当たらないですけど・・・入ったことがある友人に付いて行くと・・・。
天守内部に通じる階段が収納されているので、上がることは出来ません。理由は想像ですが、新型コロナウイルスの感染予防のためでしょうね。
模擬天守から見た本丸広場です。雨の中2組4名の方が来られていました。次はもう一度眺望です。
先の鳴門山展望台では晴れていたのが嘘みたいに、ここでは雨が止みません。傘を差しながら写真を撮っているので、服も濡れてしまいました。
天守台を降りて、本丸内にある「芝右衛門狸大明神」によりました。芝右衛門狸のおはなしが書いてありましたが、帰ってから読みました。芝居好きのタヌキで有名な芝右衛門狸のおはなしでした。
「本丸」の西側には「武者走台」があって、石段もありましたが、足元が滑るので登りません。
雨が降ってても、こちらには何組か上がって来られますね。ゆっくり下っていき駐車場を目指します。
「南の丸」まで戻ってくと、この先に「西の丸」への案内が出てて友人に「近い?」と聞くと「相当ある」と聞いたので、行くの止めました。
下まで降りてくると「案内図」がありました。たしかに「西の丸」は遠かったです。ここも時間をかけてゆっくり散策する所ですね。
洲本城は三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた城で標高133㍍の三熊山山上にあります。羽柴秀吉による淡路討伐の後、仙石秀久に与えられました。その後、脇坂安治が城主のときに天守が築かれましたが、移封先の大洲城へ移築したという説があります。また安治は石垣を改修して「登り石垣」を築きましたが、これは日本全国でも三箇所にしか残っていない珍しいものです(ほかのふたつは松山城と彦根城)。遺構としては東西800㍍、南北600㍍の範囲に総石垣造の曲輪(くるわ)が見られます。とりわけ石垣の保存状態がよく、城址のあちこちで見ることができます。現在は本丸跡に模擬天守が建てられており、これは江戸時代の天守を復元したものではありませんが、日本最古の鉄筋コンクリート製模擬天守として知られています。山麓には「大坂夏の陣」の後、徳島藩主・蜂須賀氏の筆頭家老である稲田氏によって築かれた平城があり、その跡地には洲本城に関する資料を展示する市立淡路文化史料館が建てられています。
雨と汗で濡れた体を拭い、12時10分頃に「馬屋」近くにある駐車場を出て行きました。洲本城は江戸初期に築かれた「下の城」が造られましたが、今日車窓から見るだけでした。洲本も温泉街もあるので、次は温泉に浸かりゆっくりしたいです。
【洲本城】
駐車場は、「馬屋(月見台)」の前にあって、11時38分に着きました。さほど広くない駐車場に数台止まっています。
車から降りて、本丸に向かって歩こうとすると、友人が「ここからの眺望綺麗よ」と教えてくれ傘を差しながら見てみると・・・。
小雨だったら良かったのに、かなり降ってて・・・洲本市内も雨で煙っています。晴天なら紀淡海峡・成ヶ島・友ヶ島なんかが見えるようですが、この天気では無理ですね。
駐車場を出て、本丸を目指すところ・・・車で上がってくる途中に気になる曲輪があったので、私だけ道を戻ります。
ここを車で登ってきました。私だけ傘を差してここを下って行きます。友人は先に登って行きました。
ここは、かつて「大手門」があった所です。看板には「大手門跡」と書いてありました。洲本城の表門にあたる「大手門」は、馬屋とともに城の南側に設けられた。
「大手門跡」から少し下がると案内版が出ていて、読むと「腰曲輪」と書いてありました。
雨が降っているので、下ったのはここまで。ここから本丸を目指して登って行きます。途中「東の丸」に通じる石段があって、家紋の幟が・・・。
これはは「輪違い」の家紋で、脇坂安治が城主だったことを物語っていると思います。脇坂安治は賤ヶ岳の七本槍の一人。淡路国洲本藩主、伊予国大洲藩初代藩主、龍野藩脇坂家初代で。脇坂家は10代つづき明治維新を迎えることになる。
ここも広大な城域で、雨が降ってなかったら隅々まで散策したいお城です。「東の丸」に向かわずに本丸を目指すと、突き当たりに「南の丸」の石垣が見えてきます。
こちらは「南の丸隅櫓跡」です。本丸南側に通じる要塞でしょう、石垣が古く歴史を感じます。
振り返って「南の丸隅櫓跡」を見ると、「南の丸」のが低いことに気がつきます。雨降り出なかったら、ここも上がって見たかったですね。
天守が見えていまても真っ直ぐ行けないのがお城の醍醐味ですよね。次には強固に造られた城内では最も幅が広い「本丸大石段」を登ります。
「本丸大石段」を登ると本丸南に造られた「本丸虎口」でます。本丸への直進を阻み、屈折した枡形をなしている。
「本丸虎口」を突破すると本丸に入ります。すると正面に「模擬天守」が見えてきました。
「天守台」に上がろう、本丸搦手虎口に向かうと、後ろから友人が「先に天守に行こう」と言ってきたので間違いに気づいた次第です。
この石段を上がった右手が「小天守台」です。残念ながら雨は止みません。足元に気をつけながら石段を登ると・・・。
登ると素晴らしい眺望が飛び込んできます。雨に煙ってますが綺麗な洲本市街地及び大阪湾が見渡せます。
1928年(昭和3年)の昭和天皇即位の御大典記念に、本丸の天守台に造られた。3層の模擬天守は昭和の新造天守第一号と言われている。
友人に、「天守入れるの?」と聞くと「入れるよ」と。見た所入口が見当たらないですけど・・・入ったことがある友人に付いて行くと・・・。
天守内部に通じる階段が収納されているので、上がることは出来ません。理由は想像ですが、新型コロナウイルスの感染予防のためでしょうね。
模擬天守から見た本丸広場です。雨の中2組4名の方が来られていました。次はもう一度眺望です。
先の鳴門山展望台では晴れていたのが嘘みたいに、ここでは雨が止みません。傘を差しながら写真を撮っているので、服も濡れてしまいました。
天守台を降りて、本丸内にある「芝右衛門狸大明神」によりました。芝右衛門狸のおはなしが書いてありましたが、帰ってから読みました。芝居好きのタヌキで有名な芝右衛門狸のおはなしでした。
「本丸」の西側には「武者走台」があって、石段もありましたが、足元が滑るので登りません。
雨が降ってても、こちらには何組か上がって来られますね。ゆっくり下っていき駐車場を目指します。
「南の丸」まで戻ってくと、この先に「西の丸」への案内が出てて友人に「近い?」と聞くと「相当ある」と聞いたので、行くの止めました。
下まで降りてくると「案内図」がありました。たしかに「西の丸」は遠かったです。ここも時間をかけてゆっくり散策する所ですね。
洲本城は三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた城で標高133㍍の三熊山山上にあります。羽柴秀吉による淡路討伐の後、仙石秀久に与えられました。その後、脇坂安治が城主のときに天守が築かれましたが、移封先の大洲城へ移築したという説があります。また安治は石垣を改修して「登り石垣」を築きましたが、これは日本全国でも三箇所にしか残っていない珍しいものです(ほかのふたつは松山城と彦根城)。遺構としては東西800㍍、南北600㍍の範囲に総石垣造の曲輪(くるわ)が見られます。とりわけ石垣の保存状態がよく、城址のあちこちで見ることができます。現在は本丸跡に模擬天守が建てられており、これは江戸時代の天守を復元したものではありませんが、日本最古の鉄筋コンクリート製模擬天守として知られています。山麓には「大坂夏の陣」の後、徳島藩主・蜂須賀氏の筆頭家老である稲田氏によって築かれた平城があり、その跡地には洲本城に関する資料を展示する市立淡路文化史料館が建てられています。
雨と汗で濡れた体を拭い、12時10分頃に「馬屋」近くにある駐車場を出て行きました。洲本城は江戸初期に築かれた「下の城」が造られましたが、今日車窓から見るだけでした。洲本も温泉街もあるので、次は温泉に浸かりゆっくりしたいです。
【洲本城】
この記事へのコメント