近江國一之宮 建部大社へ

11時25分に滋賀県草津市の「草津市立水生植物公園みずの森」を出て、湖岸道路を通って大津市に向かいましたが、渋滞してましたね約25年前は、渋滞は無かったから大津市内も変わったでしょう。湖岸道路から「瀬田の唐橋」までくると、次のも目的地は直ぐでした。

近江八景の一つ「瀬田の唐橋」からほど近くに、近江國一宮である建部大社があり、11時58分駐車場に着きました。

IMG_7931.jpg「瀬田の唐橋」から東へ約400㍍に石造りの「一の鳥居」が建っています。それより100㍍手前には「建部大社」と書かれた大きな社標号もありました。

IMG_7930.jpg車は、「一の鳥居」をくぐり、そのまま東に進むと次に「二の鳥居」があって、案内にしたがってその先の駐車場に車は入りました。

IMG_7856.jpg車を降りて、切妻造、檜皮葺の「神門」から神域に入ります。雨は降っているので傘を差しての参拝です。

IMG_7925.jpg入ると左手に「手水舎」があって、ここも柄杓はありません。この前に「社務所」がありますが、帰りに寄ります。

IMG_7857.jpgIMG_7859.jpg「神門」からまっすぐ参道を進むと正面に「拝殿」があります。初めて来た私は、ここが「本殿」かと勘違い、友人に本殿を教えもらいました。

IMG_7860.jpg拝殿の奥に「本殿」と「権殿」が並んで建っています。私の記憶では上賀茂神社も同じだったような・・・。

IMG_7861.jpg拝殿」でお参りさせてもらいました。拝殿から向かって左が「本殿」で日本武尊(やまとたけるのみこと)が祀られており、右が「権殿」で、大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られています。

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拝殿横に「三本杉」があって、写真は引いて撮りました。755年(天平勝宝7年)に大己貴命(おおなむちのみこと)を奉祀した際に、一夜にして成長したと伝わる御神木です。

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参拝のあと、さほど広くない境内を傘を差して散策しようと思います。この石碑は「今上天皇陛下御手植之松」と書かれています。昭和天皇でしょか

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こちらは重要文化財に指定されている「石燈籠」で、1270年(文永7年)の刻印があるそうです。

IMG_7864.jpgこちらは「絵馬舎」です。次は境内の摂社・末社を巡ります。日本武尊の家族・家臣が祀られているそうで興味津々です。

IMG_7865.jpg摂社「藤宮(ふじのみや)神社」で、祭神が布多遅比売命(ふたじひめのみこと)で 日本武尊の御妃にあたります。琵琶湖西岸を支配していた淡海国の娘で、当地と縁が深い。

IMG_7867.jpg次も摂社で「若宮神社」です。祭神は、日本武尊の御子である建部稲依別命(たけべいなよりわけのみこと)です。建部公・犬神朝臣両氏族の始祖。

IMG_7869.jpg次は末社「弓取神社」で、祭神が日本武尊の副将・弟彦公(おとひこのきみ)が祀られています。

IMG_7871.jpg次も摂社「箭取神社(せんとりじんじゃ)」で、日本武尊の家臣、石占横立、田子之稲置、乳近之稲置が祀られています。

IMG_7876.jpgIMG_7877.jpg境内には「宝物殿」があって、無料で重要文化財の「女神像」などが見られるみたいですが、閉まってます。その横には白馬が奉納されている「神馬舎」がありました。

IMG_7878.jpgこちらは「八柱神社」で、祭神が(藤時平 融大臣 事代主命 市杵嶋姫命 素盞男命 豊玉彦命 櫛名多姫命)、所願成就の神様とありました。

IMG_7881.jpgさらに奥に行けば「伊勢神宮遥拝所」がありました。案内には「皆様の家庭が、松根のごとく末永く栄えますように」と書いてありました。

IMG_7882.jpg次は末社「武富稲荷神社」で、祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)です。瀬田地域の五穀豊穣・家業繁栄で崇拝されています。

IMG_7894.jpgIMG_7885.jpg次も末社「大野神社」で、祭神は草野姫命(かやのひめのみこと)。建部大社の創建時から地主神として祀られていた神社で、縁結びの御利益があとか。

IMG_7888.jpgここの「吊り燈籠」「吊り金具」は、2016年(平成28年)8月に大野神社から奉納されてた書いてあります。栗東市の大野神社のことでしょうか

IMG_7873.jpgIMG_7895.jpgIMG_7896.jpgIMG_7897.jpgここは旧檜山(ひのきやま)神社の旧本殿があった所です。現在は「檜山神社遥拝所」となっています。なお、檜山神社は、建部神社の背後の御旅山の山頂に鎮座してます。

IMG_7903.jpgIMG_7904.jpgIMG_7906.jpg社務所前には、「頼朝の出世水」があります。これは源頼朝が平家に捕らえられて伊豆に流される途中、建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願をし、見事にその願が叶ったと伝記に由来します。また近くには「水琴窟」もありました。

IMG_7907.jpg再び拝殿の左横まで戻って末社「蔵人頭神社」で、料理の神様である七掬脛命(ななつかはぎのみこと)が祀られています。

IMG_7909.jpg次が末社「行事神社」で、祭神が吉備臣武彦(きびのたけひこ)、大伴連武日(おおとものむらじたけひの)で日本武尊の家臣です。

IMG_7911.jpg摂社「大政所神社」で、祭神が 播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめ)で、第12代景行天皇の皇后で、日本武尊の母でした。

IMG_7913.jpg摂社「聖宮神社(ひぢりのみやじんじゃ)」で、第12代景行天皇、日本武尊の父でした。

IMG_7915.jpgさせに奥には「願い石」があって、古くから伝承される白い石。願掛けに用いるそうです。ちなみに初穂料は1000円です。

IMG_7918.jpg「本殿」の裏に回り込みと、特別天然記念物「菊花石」がありました。皇室同様に子々孫々続きますようにと安置されています。

IMG_7920.jpg「権殿」の裏には天然記念物「さざれ石」が安置されてます。君が代に詠まれるものですね。我が家の繁栄と家族の幸せを祈ります。

IMG_7922.jpgIMG_7923.jpg何故か境内には「今堅田 杢兵衛丸の錨」がありました。案内版などは無かったので。理由は不明です。このあと朱印です。

IMG_7924.jpg最後に「社務所」へ行きました。呼んだら神職さんが出てこられ、朱印帳に書いていただきました。

IMG_7899.jpgIMG_7901.jpgIMG_7926.jpgIMG_7928.jpg朱印をいただいたあと、神門から外に出ました。私は知りませんが、日本初の千円札は日本武尊の肖像だったそうで建部大社の図柄が用いられたそうです。

私は、伊藤博文の千円札から知っています。ここから車に戻り12時17分にここを出て行きました。今日はあと一箇所寄って行きます。車は懐かしい大津市内を走り、遠くから私が通っていた職場も見えました。30年ちかく見て叶ったので懐かしかったですね。

【建部大社】

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