桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院 大徳寺塔頭 黄梅院へ

織田信長、豊臣秀吉、小早川隆景、蒲生氏郷、千利休など戦国時代ゆかりの寺、大徳寺塔頭 黄梅院は通常非公開から2020年(令和2年)6月1日より期間を定めない通常拝観を始められました。以前は前庭以外は撮影禁止でしたが、それも解禁され2006年(平成18年)4月25日以来の訪問で、表門から入り、玄関から渡り廊下を通り、立礼式茶室「不識庵」をとおり、千利休が作庭した「直中庭」を見て、書院「自休軒」を通り「方丈(本堂)」の室内を見て、前庭の「破頭庭」までやって来ました。

IMG_8764.jpg次は「方丈(本堂)」から渡り廊下を通って、重要文化財に指定されている「庫裏」に入ります。写真は庫裏を出た時に撮ったものです。


IMG_8743.jpgIMG_8744.jpg「方丈」と「庫裏」の間には「古井戸」もありました。由緒書きを見ると、まだ現役だそうです。

IMG_8745.jpgその渡り廊下から見た「閑坐庭(かんざてい)」がありました。案内では心静かに坐して、この枯山水庭園を見てくださいとありました。

IMG_8750.jpg「庫裏」を入って右手に「納経所」がありました。私は2006年(平成18年)4月25日ご住職に直接書いて貰ったのでスルーです

IMG_8749.jpgIMG_9003.jpgIMG_8754.jpg1589年(天正17年)に小早川隆景の寄進により、完成した日本で現存する禅宗寺院の庫裏として最古のものです。庫裏は火を扱う所で常に火災に遭いやすく古式の庫裏は残存しにくいので貴重な存在と言えます。

重要文化財に指定されてる庫裏は、切妻造板葺で、「火番寮」「典座(てんぞ)寮」「納所(なっしょ)寮」「知客寮」「旦過(たんか)寮」とそれぞれの宿舎になっており、禅宗寺院の生活様式をそのまま現代に伝えている。

IMG_8747.jpg
時別公開された、森蘭丸寄進の「毘沙門尊天」(重要美術品)で、織田信長は護身仏として常に携帯していたそうです。

IMG_8753.jpg毘沙門尊天」の右横には「韋駄天像」が祀られています。伽藍を守る神様で禅宗寺院では厨房や僧坊を守る護法神として祀られています。

IMG_8751.jpg次は前途した部屋を見ていきます。最初は「納所(なっしょ)」で、この部屋の僧は食料の調達、金銭の工面を司り寺の中心的なまかない役をはたしていました。

IMG_8755.jpgここは「典座(てんぞ)」と言います。典座とは食事を作る人のことで、禅寺では知客・副司・典座と三役として常住では大切な役だそうです。

IMG_8757.jpgIMG_8759.jpgあと特に案内は無かったですが、残りの「火番寮」「知客寮」「旦過(たんか)寮」のどれかでしょうね。このあと庫裏は出て行きました。

IMG_8761.jpgIMG_8762.jpg庫裏を出たら、再び向きを変えた「閑坐庭」を見ます。最初は花頭窓から覗いて見たのと北側から向きを変えて見てみました。

IMG_8763.jpgIMG_8765.jpg次は「方丈(本堂)」の北側の部屋を見ていきます。最初は「書院の間」から。住持が書見・書簡文筆などに使用した部屋です。

IMG_8772.jpg次が「眠蔵(みんぞう)」で、住持はこの部屋で休んでいました。住持の質素な生活が偲ばれます。

IMG_8774.jpg「方丈(本堂)」最後の部屋は、「衣鉢の間」です。衣は袈裟のこと。鉢は時鉢(食器)のこと。修行僧が歳月をかけて悟りを開いた時、師道がその証に衣鉢を与えた故事に依る大切な部屋です。

IMG_9002.jpgIMG_8779.jpgIMG_8769.jpgIMG_8776.jpgまた、その前庭は枯山水の「作仏庭(さぶつてい)」と呼ばれる枯山水庭園です。この庭園の北東に滝を表す立石を配し、南に流れる小舟を浮かべ、本堂前の「破頭庭」へと連なる作りとなっています。そして向かいに見えているのは茶室東禅軒(とうぜんけん)」です。

IMG_8995.jpg余談ですが、ここからお隣の屋根が見えています。この屋根こそ、先程まで訪れていた「龍源院」の方丈の屋根なんです。

IMG_8781.jpgIMG_8782.jpg茶室東禅軒(とうぜんけん)」の内部は非公開でしたが、10月3日からの京都春秋主催の秋の特別公開では、ここで別途500円で呈茶をされたようです。

IMG_8784.jpg方丈(本堂)」を出て、次に書院自休軒(じきゅうけん)」に移ります。ここも北側の部屋を見ていくと・・・。

IMG_8785.jpgこの部屋は「水屋(みずや)」です。茶の支度はここでします。水屋があるということは、茶室がお隣にある・・・ということです。

IMG_8788.jpg
IMG_1062.jpg
こちらが、千利休の茶道の師である武野紹鷗(たけのじょうおう)好み茶室昨夢軒(さくむけん)」は、ここにありました。入口の右手に床の間がありますが、室内に入れないので撮れません。

茶席「昨夢軒」は書院「自休軒」の中に組み込まれています。元は独立した建物で境内東南側にあり、書院建立時に移築されたという。この茶室には躙口もなく、このような様式を囲え込み式と言われています。

IMG_8790.jpgIMG_8791.jpg書院「自休軒」の最後の部屋には案内がありませんでした。見落としが無いか探したんでけどね

IMG_8787.jpgIMG_8794.jpgIMG_8795.jpg「作仏庭」から続く白砂が、書院「自休軒」の北側まで綺麗に続いています。そして前方に行きで通った渡り廊下が見えてきました。

IMG_8798.jpgIMG_8799.jpgIMG_8797.jpg書院自休軒」を出るとき、「自休」と書かれた扁額に気がつきました。そして「直中庭」にある瓢箪型の空池を撮ってみました。綺麗な瓢箪の形をしているんですが・・・。

IMG_8801.jpg帰りも茶席不識庵」の中を通ります。ただ蚊取り線香を焚かれているように、蚊が多いですね。このとき、10時23分でしたが、誰とも出会いません。

IMG_8805.jpgIMG_8808.jpgIMG_8809.jpg前方に「拝観受付所」が見えてきたとき、外国人観光客の1組2名と初めて出会いました

IMG_8810.jpgIMG_8811.jpgIMG_8812.jpgIMG_8996.jpgここは「表門」から堂内までの距離が長いです。このお地蔵さんの前にある門をくぐると庫裏が見えて来ます。

IMG_8813.jpgIMG_8814.jpg最後に、重要文化財に指定されている「鐘楼」を撮りました。鐘楼に使用されている釣鐘は1592年(天正20年)に加藤清正から寄進されたもので、朝鮮伝来のものと伝わります。

IMG_8890.jpg行きにスルーした表門の前にある石標です。右から、「萬松院殿 織田信秀公霊所」「洞春寺殿 毛利元就公家一門霊所」「小早川隆景卿墓所」「蒲生氏卿公墓地」と読み取れました。

IMG_8817.jpg10時29分に「表門」をくぐりました。1589年(天正17年)に小早川隆景の寄進により建立。2005年(平成17年)に解体修理されました。

ここを出たのが10時30分頃、今日は11時にテイクアウト弁当を予約していたので時間が余りました。それで秋期特別公開している寺院に寄って行こうと思い、そちらに向かいました。

【大徳寺塔頭 黄梅院(庫裏)】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック