織田信長、豊臣秀吉、小早川隆景、蒲生氏郷、千利休ゆかりの寺、大徳寺塔頭 黄梅院へ
10時に大徳寺塔頭 龍源院の表門を出て、次はお隣の大徳寺塔頭 黄梅院の「表門」の前に10時1分に着きました。
通常非公開の黄梅院(おうばいいん)は、春や秋に特別公開されますが、その時は撮影禁止でした。それで2006年(平成18年)4月25日以来、訪問してませんでしたが・・・。
10時1分に来たらまだ閉門してました。ただ直ぐに寺の方が来られて、開門されたので表門をくぐりました。
14年もの長い間来て無いので、記憶は殆どありません。表門をくぐ正面に雄大な「庫裏」が見えましたが、後程内部は見られます。
表門を入って正面に庫裏を見て、案内にしたがい次の門をくぐると正面に「拝観受付所」が見えました。
黄梅院は、臨済宗大徳寺派大本山の塔頭の一つ。1562年(永禄5年)織田信長が羽柴秀吉を伴って初めて入洛すると、信長は秀吉に京都所司代に任じ、併せて父・信秀の追善菩提のために小庵を建立します。この小庵は大徳寺九十八世住持・春林和尚(しゅんりんそうしゅく)を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられたことに始まります。信長は1582年(天正10年)「本能寺の変」で急逝すると、羽柴秀吉が小早川隆景に普請を命じ、鐘楼・客殿・庫裏などを増築し、1589年(天正17年)に「黄梅院」と改めました。
そこで、拝観料1000円を納めます。春や秋の特別公開時は800円だったと記憶しています。それには訳があって・・・。
2020年10月3日~12月6日から、秋の特別公開が始まります。「京都春秋」主催で、拝観料は800円とあります。ただ「前庭以外は撮禁止」と書いてあるので、今から行く先は撮影禁止なんでしょうけど、6月1日から寺独自開催で期間を決めない拝観を始められました。ただ拝観料は1000円ですが、撮影禁止は解除されたようで今日、来て見た訳です。






拝観料を納めると、順路にしたがって奥へ奥へと進みます。途中、何箇所か四阿がありましたが、特別公開ではないので内部は見られません。

ここから靴を脱いで下駄箱に預け、スリッパに履き替えます。修復されたのでしょう、綺麗な渡り廊下を歩いて行きます。

渡り廊下を歩いて行くと、右手に門が開いてて、覗いたみました。後で分かりますが、書院「自休軒」が見えていました。






綺麗な渡り廊下を歩いて行くと、立礼式茶室「不識庵」に入りました。振り向くと扁額が架かっていたので、名前が分かった次第です。

この渡り廊下・・・薄ら記憶があります。けっこう本堂まで距離があるんですね。途中には茶室「一枝庵」がありました。
しばらく進むと、前方に「直中庭(じきちゅうてい)」と、と書院「自休軒(じきゅうけん)」が見えて来ました。
この直中庭は、千利休66歳のとき造られた庭園で、秀吉の軍旗「瓢箪」を象った空池を持ち、大徳寺二世徹翁和尚が比叡山より持ち帰った不動三尊石や加藤清正寄進の朝鮮燈籠を配した池泉式枯山水庭園です。



肉眼では、はっきり瓢箪型の池が分かりますが、写真は難しいですね。千利休が作庭に加わったと知り驚きより歴史の深さを知りました。
次に、書院「自休軒(じきゅうけん)」に入りますが、その前庭も綺麗な枯山水庭園がありました。ここは帰りに寄ります。




「直中庭(じきちゅうてい)」を見て、次に書院「自休軒(じきゅうけん)」を通りました。2011年(平成23年)に修理を終えられました。この書院室内も後程見て回ります。


書院を抜けると、次に「方丈(本堂)」です。その前庭は「破頭庭(はとうてい)」と呼ばれています。
この庭園の半分手前は白川砂で、もう向こう半分を桂石で区切り苔を配し観音菩薩・勢至菩薩の二石でまとめた質素な庭で、天正年間(1573~1593)に作庭されました。
この二石が前途した観音菩薩・勢至菩薩に見立てているのでしょう。帰ってから知りましたが、何気なく撮ってました
。
ここは禅宗寺院で、典型的な方丈様式です。最初は「檀那の間」で、室町・江戸時代には諸大名・諸役人がここで住持と対面しました。襖絵は「西湖図」で、桃や時代の作(複製)、雲谷等顔(うんこくとうがん)です。


次は「室中の間」です。襖絵は、こちらも水墨壁画で、作者は雲谷等顔(うんこくとうがん)で「竹林七賢図(ちくりんのしちけんず)」でした。ご本尊は見えませんでしたね、お参りはさせてもらいました。
こちらは「礼の間」です。住持が客人と対面するための部屋でした。襖絵は雲谷等顔(うんこくとうがん)で「芦雁図」で、複製です。本物は京都国立博物館な寄託されてるそうです。

禅宗寺院特有の様式が表されている「方丈(本堂)」は、1586年(天正14年)に豊臣秀吉の尽力により竣工。現在重要文化財に指定されています。檜皮葺入母屋造りで、1977年(昭和52年)に400年振りに全面解体修理がなされました。
2006年(平成18年)4月25日以来の訪問で、ほぼ忘れてました。前回は撮影禁止のため写真が撮れなかったことも、なかなか思い出せません。初めて来たように感覚で久し振りの拝観を楽しんでいます。次は雄大な「庫裏」に入ります。つづく。
【大徳寺塔頭 黄梅院】





黄梅院は、臨済宗大徳寺派大本山の塔頭の一つ。1562年(永禄5年)織田信長が羽柴秀吉を伴って初めて入洛すると、信長は秀吉に京都所司代に任じ、併せて父・信秀の追善菩提のために小庵を建立します。この小庵は大徳寺九十八世住持・春林和尚(しゅんりんそうしゅく)を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられたことに始まります。信長は1582年(天正10年)「本能寺の変」で急逝すると、羽柴秀吉が小早川隆景に普請を命じ、鐘楼・客殿・庫裏などを増築し、1589年(天正17年)に「黄梅院」と改めました。
そこで、拝観料1000円を納めます。春や秋の特別公開時は800円だったと記憶しています。それには訳があって・・・。
2020年10月3日~12月6日から、秋の特別公開が始まります。「京都春秋」主催で、拝観料は800円とあります。ただ「前庭以外は撮禁止」と書いてあるので、今から行く先は撮影禁止なんでしょうけど、6月1日から寺独自開催で期間を決めない拝観を始められました。ただ拝観料は1000円ですが、撮影禁止は解除されたようで今日、来て見た訳です。





















この直中庭は、千利休66歳のとき造られた庭園で、秀吉の軍旗「瓢箪」を象った空池を持ち、大徳寺二世徹翁和尚が比叡山より持ち帰った不動三尊石や加藤清正寄進の朝鮮燈籠を配した池泉式枯山水庭園です。













この庭園の半分手前は白川砂で、もう向こう半分を桂石で区切り苔を配し観音菩薩・勢至菩薩の二石でまとめた質素な庭で、天正年間(1573~1593)に作庭されました。









2006年(平成18年)4月25日以来の訪問で、ほぼ忘れてました。前回は撮影禁止のため写真が撮れなかったことも、なかなか思い出せません。初めて来たように感覚で久し振りの拝観を楽しんでいます。次は雄大な「庫裏」に入ります。つづく。
【大徳寺塔頭 黄梅院】
この記事へのコメント