平安京の表鬼門に鎮座する日吉大社へ
建部大社を12時17分に出発し、車は大津市内の琵琶湖畔を北に進んで行きます。会社の仲間と何度か乗船した浜大津港や、明智光秀ゆかりの坂本城の前も通りました。大津市の坂本まで来ると、琵琶湖湖畔から離れて比叡山麓を緩やかに登っていくと、大きな石造鳥居を車で括ります。この日最後の目的地は日吉大社でした。
日吉大社の一の鳥居を過ぎ、次に二の鳥居も車でくぐります。ともに車で通過したので写真はありません。二の鳥居まで来ると、「京阪坂本比叡山口駅」や「日吉そば」「本家 鶴㐂そば」の名店があるので人通りは多いです。車はそのまま登って行き「東受付所」までやって来ました。
何度か来ている友人も知らなかったことで、ここで入苑協賛料として300円を払います。すると綺麗なカラー版の由緒書きをいただきました。
東受付所から真っ直ぐ上がれば「東本宮」でしたが、こちはら最後に訪れます。車は日吉大社の駐車場に止めるため、坂道を登っていき12時58分に着きました。私は日吉大社に来るのは初めてで、何度か来ている友人に案内してもらい先ずは「西本宮」を目指します。
"えべっさん"の名前で親しまれてる「恵毘須社」があって、祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)でした。
こちらは「しんぼう地蔵」と呼ばれてますが、正しくは「忍耐地蔵尊」といい、杉の根に殆ど埋まっている状態です。
日吉大社では、社殿が比叡山山麓に沿って離れて建っています。雨が降ってて足元は滑りやすくなっていますが、全て回るつもりです。
駐車場から石段を上がって行くと、前方に「白山宮本殿」が見えてきました。これは後で知ったことで、ここが本殿だと最初は思いました。
石段を最初に見るのは「北野社」でした。祭神は菅原道真(すがわらみちざね)公です。ご存じ学問の神様です。
次は疫病退散の御利益がある「八坂社」で、祭神は素佐之男命(すさのおのみこと)でした。コロナ早く終息したら良いのにね。
次は「小白山社(こしらやましゃ)」で、祭神が大己貴神(おおなむちのみこと)でした。
次が「劔宮社(つるぎのみやしゃ)」で、祭神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)で、御利益が金運上昇、武運長久でした。
それで、やっと「白山宮拝殿」と「白山宮本殿」に着きました。国の重要文化財に指定されており、三間社流造で檜皮葺の建物で、1598年(慶長3年)に建てられました。
平安時代末期に加賀の白山から、白山権現を勧請して創祀された神社。そのため旧称が客人宮(まろうどみや)であり、祭神が菊理姫神(くくりひめのかみ)(白山の白山比咩神と同一)を祀っています。
次に石段を少し上がって、「宇佐宮エリア」に入りました。石段を上がる前に友人に「本殿に着いた?」と聞くと「まだまだ」と。暑いのと雨降りの湿気で身体が堪えてます。
石段を上がり最初に見るのが「宇佐竈殿社」で、祭神が奥津彦神(おきつひこのかみ)、奥津姫神(おきつひめのかみ)でした。
次が「気比社(けひしゃ)」で、祭神が第14代仲哀天皇)ちゅうあいてんのう)で、御利益が国家安泰・延命長寿・武運長久でした。
そして「宇佐宮拝殿」と「宇佐宮本殿」に着きました。本殿は国の重要文化財に指定されています。祭神は田心姫神(たごりひめのかみ)(旧称、聖真子)でした。大分県宇佐八幡宮の比賣姫と同じ神されています。
山王七社のうちでも、特に東本宮、西本宮そして、この宇佐宮は日吉三聖と称され、特に高い社格を誇る。またそれぞれ三社共通の社殿形式・日吉造と関連付けられる。
西本宮に入る手前「大宮竈殿社」がありました。祭神は、奥津彦神と奥津姫神でした。ここは本宮の食事・調理を司る神です。
次に、いよいよ西本宮のエリアに入ります。雨が降ってて足元も悪い中、やっと着いたなぁ・・・と。
西本宮には「西本宮楼門」から入ります。1586年(天正14年)の建造。屋根の四隅裏に神猿の彫刻があったそうで、気がつかなかったのは残念です。
楼門前には「手水舎」がありますが使えなくなってます。その代わりに「手水」が用意されてました。
楼門から入ろうとしたら、友人が「あの石橋は大雨で流された」と教えてくれました。それで撮った1枚です。
この先を見てみると「山王鳥居」が見えています。また右手には「祇園石」も見えてました・・・が、西本宮から次に東本宮に向かったので、こちらには行きませんでした。
次に、先程の楼門から入りましたが、神猿は写真を見たら確認できました。前もって知っていたらと少し悔いが残りましたが・・・楼門入った左手に「授与所」があるので、先に朱印帳を預けて・・・。
重要文化財に指定されている「西本宮拝殿」です。1586年(天正14年)の造営で入母屋造り。
国宝「西本宮本殿」です。1586年(天正14年)の造営ですが、1597年(慶長2年)に改造されて、1961年(昭和36年)に国宝に指定されました。
正面と左右に庇を設けてあるのが日吉造りの特徴です。この形式は日吉大社の東本宮・宇佐宮にも見られ、もとは大宮と呼ばれていました。日吉大社は全国におよそ3800社ある日吉神社・日枝神社の総本社として比叡山東山麓に鎮座する。西本宮は天智天皇により奈良の三輪山から大己貴神(おおなむちのかみ)が勧請され創祀されました。
西本宮をお参りしたら次に「東本宮」に向かいます。そうとう離れているか坂を登るんだったら体に堪えるなぁ堪えるなぁ・・・と、その時思いました。
「西本宮」を出て再び「宇佐宮」の前を通りました。すると行きに見落としていた「校倉」がありました。
ここから行きのルートを離れ山道を東本宮に向けて歩いて行くと、八王子山頂に続く石段があります。登ったことがある友人に聞くと、行きは登りで40分ぐらいかかる聞いたので早々に断念しました。
それで山頂まで行けない人のために「三宮遙拝所」がありました。祭神は鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)です。
向かいには「牛尾宮遙拝所」があって、祭神は大山咋神洗魂(おおやまくいのかみのあらみたま)でした。山頂からは琵琶湖を望めるみたいで、涼しくなったら登ってみたいです。
ここから東本宮は、すぐそこです。最後の一踏ん張り頑張ります。
【日吉大社】
日吉大社の一の鳥居を過ぎ、次に二の鳥居も車でくぐります。ともに車で通過したので写真はありません。二の鳥居まで来ると、「京阪坂本比叡山口駅」や「日吉そば」「本家 鶴㐂そば」の名店があるので人通りは多いです。車はそのまま登って行き「東受付所」までやって来ました。
何度か来ている友人も知らなかったことで、ここで入苑協賛料として300円を払います。すると綺麗なカラー版の由緒書きをいただきました。
東受付所から真っ直ぐ上がれば「東本宮」でしたが、こちはら最後に訪れます。車は日吉大社の駐車場に止めるため、坂道を登っていき12時58分に着きました。私は日吉大社に来るのは初めてで、何度か来ている友人に案内してもらい先ずは「西本宮」を目指します。
"えべっさん"の名前で親しまれてる「恵毘須社」があって、祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)でした。
こちらは「しんぼう地蔵」と呼ばれてますが、正しくは「忍耐地蔵尊」といい、杉の根に殆ど埋まっている状態です。
日吉大社では、社殿が比叡山山麓に沿って離れて建っています。雨が降ってて足元は滑りやすくなっていますが、全て回るつもりです。
駐車場から石段を上がって行くと、前方に「白山宮本殿」が見えてきました。これは後で知ったことで、ここが本殿だと最初は思いました。
石段を最初に見るのは「北野社」でした。祭神は菅原道真(すがわらみちざね)公です。ご存じ学問の神様です。
次は疫病退散の御利益がある「八坂社」で、祭神は素佐之男命(すさのおのみこと)でした。コロナ早く終息したら良いのにね。
次は「小白山社(こしらやましゃ)」で、祭神が大己貴神(おおなむちのみこと)でした。
次が「劔宮社(つるぎのみやしゃ)」で、祭神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)で、御利益が金運上昇、武運長久でした。
それで、やっと「白山宮拝殿」と「白山宮本殿」に着きました。国の重要文化財に指定されており、三間社流造で檜皮葺の建物で、1598年(慶長3年)に建てられました。
平安時代末期に加賀の白山から、白山権現を勧請して創祀された神社。そのため旧称が客人宮(まろうどみや)であり、祭神が菊理姫神(くくりひめのかみ)(白山の白山比咩神と同一)を祀っています。
次に石段を少し上がって、「宇佐宮エリア」に入りました。石段を上がる前に友人に「本殿に着いた?」と聞くと「まだまだ」と。暑いのと雨降りの湿気で身体が堪えてます。
石段を上がり最初に見るのが「宇佐竈殿社」で、祭神が奥津彦神(おきつひこのかみ)、奥津姫神(おきつひめのかみ)でした。
次が「気比社(けひしゃ)」で、祭神が第14代仲哀天皇)ちゅうあいてんのう)で、御利益が国家安泰・延命長寿・武運長久でした。
そして「宇佐宮拝殿」と「宇佐宮本殿」に着きました。本殿は国の重要文化財に指定されています。祭神は田心姫神(たごりひめのかみ)(旧称、聖真子)でした。大分県宇佐八幡宮の比賣姫と同じ神されています。
山王七社のうちでも、特に東本宮、西本宮そして、この宇佐宮は日吉三聖と称され、特に高い社格を誇る。またそれぞれ三社共通の社殿形式・日吉造と関連付けられる。
西本宮に入る手前「大宮竈殿社」がありました。祭神は、奥津彦神と奥津姫神でした。ここは本宮の食事・調理を司る神です。
次に、いよいよ西本宮のエリアに入ります。雨が降ってて足元も悪い中、やっと着いたなぁ・・・と。
西本宮には「西本宮楼門」から入ります。1586年(天正14年)の建造。屋根の四隅裏に神猿の彫刻があったそうで、気がつかなかったのは残念です。
楼門前には「手水舎」がありますが使えなくなってます。その代わりに「手水」が用意されてました。
楼門から入ろうとしたら、友人が「あの石橋は大雨で流された」と教えてくれました。それで撮った1枚です。
この先を見てみると「山王鳥居」が見えています。また右手には「祇園石」も見えてました・・・が、西本宮から次に東本宮に向かったので、こちらには行きませんでした。
次に、先程の楼門から入りましたが、神猿は写真を見たら確認できました。前もって知っていたらと少し悔いが残りましたが・・・楼門入った左手に「授与所」があるので、先に朱印帳を預けて・・・。
重要文化財に指定されている「西本宮拝殿」です。1586年(天正14年)の造営で入母屋造り。
国宝「西本宮本殿」です。1586年(天正14年)の造営ですが、1597年(慶長2年)に改造されて、1961年(昭和36年)に国宝に指定されました。
正面と左右に庇を設けてあるのが日吉造りの特徴です。この形式は日吉大社の東本宮・宇佐宮にも見られ、もとは大宮と呼ばれていました。日吉大社は全国におよそ3800社ある日吉神社・日枝神社の総本社として比叡山東山麓に鎮座する。西本宮は天智天皇により奈良の三輪山から大己貴神(おおなむちのかみ)が勧請され創祀されました。
西本宮をお参りしたら次に「東本宮」に向かいます。そうとう離れているか坂を登るんだったら体に堪えるなぁ堪えるなぁ・・・と、その時思いました。
「西本宮」を出て再び「宇佐宮」の前を通りました。すると行きに見落としていた「校倉」がありました。
ここから行きのルートを離れ山道を東本宮に向けて歩いて行くと、八王子山頂に続く石段があります。登ったことがある友人に聞くと、行きは登りで40分ぐらいかかる聞いたので早々に断念しました。
それで山頂まで行けない人のために「三宮遙拝所」がありました。祭神は鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)です。
向かいには「牛尾宮遙拝所」があって、祭神は大山咋神洗魂(おおやまくいのかみのあらみたま)でした。山頂からは琵琶湖を望めるみたいで、涼しくなったら登ってみたいです。
ここから東本宮は、すぐそこです。最後の一踏ん張り頑張ります。
【日吉大社】
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