比叡山麓に鎮座する山王信仰の総本宮 日吉大社 東本宮へ
全国に3800余りある山王信仰の総本宮 日吉大社。先に西本宮をお参りして次に東本宮までやって来ました。
「西本宮」を出たのが13時11分、そして13時16分に「東本宮楼門」前に着きました。約5分でしたが、そんなにしんどくは無かったです。
楼門前には「授与所」がありました。聞くと、ここも朱印があるようでお願いしました。書いていただくため、帰りに受取ます。
楼門をぐくって最初に見る光景です。ここも東本宮本殿が何処にあるか分かりません。手前から見ていくと・・・。
最初は、日吉大社摂社「樹下神社拝殿」から。重要文化財に指定されています。1595年(文禄4年)の建造です。
日吉大社七社は、「山王七社」と呼ばれ「西本宮」「東本宮」「白山宮」「宇佐宮」「三宮宮」「牛尾宮」「樹下宮」です。次は「樹下宮本殿」をお参りします。
重要文化財に指定されており、祭神は鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)で、東本宮の大山咋神と夫婦の神様です。
この本殿は三間社流造、檜皮葺の建物です。1595年(文禄4年)に建てられ、格子や波風、懸魚(げぎょ)など豪華な金具造りは見物です。床下には霊泉湧き出る井戸があるそうです。
重要文化財に指定されている「東本宮拝殿」です。入母屋造り、檜皮葺妻入りの建物で、廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。1596年(文禄5年)頃の建造物と考えられています。
国宝に指定されている「東本宮本殿」です。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で、1595年(文禄4年)の造営で、日吉造(ひえづくり)と呼ばれる独特の形で造られてい
ます。
東本宮は、八王子山の磐座を中心に神体信仰の面影を残す。背後には日吉古墳群と呼ばれる70基ほどの古墳があり、古墳時代には既に多人数の信仰があったようです。日吉造りの建物で、1595年(文禄4年)に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造りの代表建築物です。
雨は降り続いています。本殿前から「拝殿」と「楼門」を見ています。重要文化財の建物のため、昇殿は禁止と書いてありました。
ここの近くの社を見ています。最初は「樹下若宮(じゅげわかみや)」(旧称 小禅師)で、祭神が鴨玉依彦神(かもたまよりひこのかみ)。創建は桓武天皇の御代延暦年中と伝わります。
「二宮竈殿社」で、祭神は澳津彦神と澳津姫神でした。二宮(東本宮・大山咋神)の食事を調理する神様です。
こちらは案内版が出ていて「日吉雌柳(めなぎ)」と言って、男性が女性の幸せを祈る木。ナギは「薙ぎ払う」に通じ災難除を象徴するもの。
さらに本殿の裏側まで行きます。最初は「新物忌(しんものいみ)神社」で、祭神は東本宮の祭神・大山咋神の母神である天知迦流水姫神(あめちかるみずひめのかみ)です。
こちらは「亀井霊水」と言って、昔ここには池があって伝教大師参拝のおり、靈亀が現れて浮かんできたと伝わるもの。
こちらは二つの神社名が書かれており、一つは「大物忌(おおものいみ)神社」で、祭神は東本宮の祭神・大山咋神の父神である大年神(おおとしのかみ)でした。もう一つは「早尾神社」で、祭神は須佐之男尊(すさんのおのみこと)でした。
こちらは「大物忌神社」の隣にあって「稲荷社」と言います。祭神は宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)で、大年神様と同様、稲の神様でする
こちらは「内御子社(うちみこしゃ)」で、祭神が猿田彦神(さるたひこのかみ)でした。
一通り回ったので楼門から出て行き、授与所に寄りました。外に置いてあるかなぁ・・・と思いましたが、雨が降っているので声を掛けて受け取りました。
東本宮の楼門を出て下って行きます。そして最初に見たのが「須賀社」で、祭神は須佐之男尊奇魂(すさのおのみことのくしみたま)(旧姓、悪王子)でした。
こちらは「岩瀧社(いわたきしゃ)」で、祭神が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と湍津姫命(たぎつひめのみこと)でした。平安後期、延暦寺第二十八世教円座主の頃に鎮座。
そのまま下っていくと「猿岩(さるいわ)」があって、猿は山王神社の神の使いで神猿さんと親しまれています。谷川を向き座るお姿で、来る者に神縁をむすび去る者を見守ります。
こちらは「氏神神社」で、祭神は、鴨建角身命(かもたけつぬみのみこと)、琴御館宇志(ことのみたちうしまろ)(日吉社社家始祖)でした。
こちらは「氏永社」で、祭神が祝部希望遠(はふりべのまれとう)(日吉社社家の生源寺家祖)でした。
最後が「八柱社」(旧下八王子)で、祭神が天照大御神・素戔嗚尊の神の御子神(五男三女の神)でした。
ここで涼雨行きに参拝料を納めた受付まで戻ってきました。まっすぐ、その先を見ると東本宮楼門が見えています。
最後に、重要文化財に指定されてる「二宮橋」を見ました。「大宮橋」「走井橋」と並んで日吉三橋のひとつ。現在は山王祭の時にのみ渡ることができる橋です。
友人は、車を取りに再び坂を上がって行き、私はここで待たせて貰いました。そして13時31分に、ここを出発し帰路につきました。
帰りは、高速に乗らず国道161号線から山科に入り、三条通りを通って京都市内に出ました。一日中雨降りでしたが京都市内に入った頃には晴れてきました。それで帰るとやっぱり暑かったです。帰ってから家族で、ラ コリーナ近江八幡で購入したバームクーヘンを食べました。美味しかったので家族も喜んでくれました。また、友人には感謝の気持ちを添えてビールを持って帰って貰いました。
【日吉大社 東本宮】
I
「西本宮」を出たのが13時11分、そして13時16分に「東本宮楼門」前に着きました。約5分でしたが、そんなにしんどくは無かったです。
楼門前には「授与所」がありました。聞くと、ここも朱印があるようでお願いしました。書いていただくため、帰りに受取ます。
楼門をぐくって最初に見る光景です。ここも東本宮本殿が何処にあるか分かりません。手前から見ていくと・・・。
最初は、日吉大社摂社「樹下神社拝殿」から。重要文化財に指定されています。1595年(文禄4年)の建造です。
日吉大社七社は、「山王七社」と呼ばれ「西本宮」「東本宮」「白山宮」「宇佐宮」「三宮宮」「牛尾宮」「樹下宮」です。次は「樹下宮本殿」をお参りします。
重要文化財に指定されており、祭神は鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)で、東本宮の大山咋神と夫婦の神様です。
この本殿は三間社流造、檜皮葺の建物です。1595年(文禄4年)に建てられ、格子や波風、懸魚(げぎょ)など豪華な金具造りは見物です。床下には霊泉湧き出る井戸があるそうです。
重要文化財に指定されている「東本宮拝殿」です。入母屋造り、檜皮葺妻入りの建物で、廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。1596年(文禄5年)頃の建造物と考えられています。
国宝に指定されている「東本宮本殿」です。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で、1595年(文禄4年)の造営で、日吉造(ひえづくり)と呼ばれる独特の形で造られてい
ます。
東本宮は、八王子山の磐座を中心に神体信仰の面影を残す。背後には日吉古墳群と呼ばれる70基ほどの古墳があり、古墳時代には既に多人数の信仰があったようです。日吉造りの建物で、1595年(文禄4年)に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造りの代表建築物です。
雨は降り続いています。本殿前から「拝殿」と「楼門」を見ています。重要文化財の建物のため、昇殿は禁止と書いてありました。
ここの近くの社を見ています。最初は「樹下若宮(じゅげわかみや)」(旧称 小禅師)で、祭神が鴨玉依彦神(かもたまよりひこのかみ)。創建は桓武天皇の御代延暦年中と伝わります。
「二宮竈殿社」で、祭神は澳津彦神と澳津姫神でした。二宮(東本宮・大山咋神)の食事を調理する神様です。
こちらは案内版が出ていて「日吉雌柳(めなぎ)」と言って、男性が女性の幸せを祈る木。ナギは「薙ぎ払う」に通じ災難除を象徴するもの。
さらに本殿の裏側まで行きます。最初は「新物忌(しんものいみ)神社」で、祭神は東本宮の祭神・大山咋神の母神である天知迦流水姫神(あめちかるみずひめのかみ)です。
こちらは「亀井霊水」と言って、昔ここには池があって伝教大師参拝のおり、靈亀が現れて浮かんできたと伝わるもの。
こちらは二つの神社名が書かれており、一つは「大物忌(おおものいみ)神社」で、祭神は東本宮の祭神・大山咋神の父神である大年神(おおとしのかみ)でした。もう一つは「早尾神社」で、祭神は須佐之男尊(すさんのおのみこと)でした。
こちらは「大物忌神社」の隣にあって「稲荷社」と言います。祭神は宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)で、大年神様と同様、稲の神様でする
こちらは「内御子社(うちみこしゃ)」で、祭神が猿田彦神(さるたひこのかみ)でした。
一通り回ったので楼門から出て行き、授与所に寄りました。外に置いてあるかなぁ・・・と思いましたが、雨が降っているので声を掛けて受け取りました。
東本宮の楼門を出て下って行きます。そして最初に見たのが「須賀社」で、祭神は須佐之男尊奇魂(すさのおのみことのくしみたま)(旧姓、悪王子)でした。
こちらは「岩瀧社(いわたきしゃ)」で、祭神が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と湍津姫命(たぎつひめのみこと)でした。平安後期、延暦寺第二十八世教円座主の頃に鎮座。
そのまま下っていくと「猿岩(さるいわ)」があって、猿は山王神社の神の使いで神猿さんと親しまれています。谷川を向き座るお姿で、来る者に神縁をむすび去る者を見守ります。
こちらは「氏神神社」で、祭神は、鴨建角身命(かもたけつぬみのみこと)、琴御館宇志(ことのみたちうしまろ)(日吉社社家始祖)でした。
こちらは「氏永社」で、祭神が祝部希望遠(はふりべのまれとう)(日吉社社家の生源寺家祖)でした。
最後が「八柱社」(旧下八王子)で、祭神が天照大御神・素戔嗚尊の神の御子神(五男三女の神)でした。
ここで涼雨行きに参拝料を納めた受付まで戻ってきました。まっすぐ、その先を見ると東本宮楼門が見えています。
最後に、重要文化財に指定されてる「二宮橋」を見ました。「大宮橋」「走井橋」と並んで日吉三橋のひとつ。現在は山王祭の時にのみ渡ることができる橋です。
友人は、車を取りに再び坂を上がって行き、私はここで待たせて貰いました。そして13時31分に、ここを出発し帰路につきました。
帰りは、高速に乗らず国道161号線から山科に入り、三条通りを通って京都市内に出ました。一日中雨降りでしたが京都市内に入った頃には晴れてきました。それで帰るとやっぱり暑かったです。帰ってから家族で、ラ コリーナ近江八幡で購入したバームクーヘンを食べました。美味しかったので家族も喜んでくれました。また、友人には感謝の気持ちを添えてビールを持って帰って貰いました。
【日吉大社 東本宮】
I
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