我が国最古の神社、兵庫県下唯一の神宮、伊弉諾神宮へ
9月10日(木)は、兵庫県淡路島と徳島県鳴門市を巡って来ました。淡路島は多分、子供の頃に連れて行って貰っている筈・・・しかし、覚えていません。そこで淡路島出身で、ほぼ月一回程度墓参のため帰っている友人に連れて行ってもらうことになりました。私自身最近では、2012年(平成24年)9月21日に「徳島城」を初めとする徳島旅行でJR高速バスを理由した際、淡路島は通過しました。ただしバスは淡路島には止まりませんでした。友人からは、「何処に行きたいかリスト出しといて」と言われたので、事前にLINEで言っておきました。早朝自宅を車で出発し、高速は京都縦貫道の大原野インターチェンジから入りました。京都縦貫道から山崎JCTで名神高速道路に入り、途中の高槻JCTから新名神高速道路に入りました。そして途中の「宝塚北サービスエリア」で友人が買い物があるとかで、そこで少しばかりの休憩です
。

7時6分頃に着いて、7時20分には出て行きました。ここに着いて気づいたことは雨が止んでたことです。
この日の天気予報は、曇り時々雨でした。一週間前から天気は気にしてましたが、残念ながら家を出るときから雨が降ってて、ただ台風10号が去って、気温は押さえられていたのが何よりですが・・・その台風の影響で湿気は多く蒸し蒸した天候でしたね。淡路島の天気予報も良くなかったので大きい傘を持参してきました。再び車は新名神高速道に入り西に進み途中、山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道から舞子トンネルを抜けます。約3㌔の長いトンネルを抜けると目の前に巨大な「明石海峡大橋」が現れます。全長約4㌔の巨大な吊り橋を渡りますが、高速道路上のため駐停車は禁止されています。友人は景色が見えるように左側の車線を走ってくれました。車は「津名一宮IC」で高速を降り、向かったのが最初の訪問地、伊弉諾神宮でした。



8時28分にここの駐車場に着きました。この時間では1台も車は止まっていません。着くと、正面にある「大鳥居」から境内に入ります。
「大鳥居」の右側に社号標があって、左右に巨大な「狛犬」が鎮座。石造りの神明鳥居は、阪神淡路大震災で倒壊しましたが、10ケ後には再建されました。

鳥居をくぐると右側に「さざれ石」(淡路島産)があります。阪神淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日でしたね、あの恐怖は今も鮮明に覚えています。
参道の両側に燈籠が並ぶなか、次に「大鳥居」と同じ石造りの「中垣鳥居」をくぐります。

次に、「放池の神池」に架かる「反り石の神橋」を渡ります。池には命乞いの鯉と長寿を願う亀が放たれています。

その先の左手に「手水舎」があって、ここも柄杓は撤去されてありません。ここの水盤は、大阪城築城の際、海中に沈んだ石材を、江戸後期に氏子が引き上げ手水鉢としたもの。


手を清めたら「正門」から境内に入ります。1883年(明治16年)の再建ですが、それ以前は正門の両側に随神が祀られていたようです。

先に「拝殿」に行き参拝を済ませました。この拝殿は「舞殿」を兼ねており、「伊弉諾神宮」の扁額が架かっています。
祭神は、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)、伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)の2柱。「古事記」「日本書紀」にその創祀を記す日本最古の神社。伊弉冉大神とともに国生みを行った伊弉諾大神が余生を過ごされた「幽宮)かくりのみや)」。同神が身罷られたあと、その宮居の敷地に神陵を築いて祀られたのが創祀の起源とされています。
「拝殿」裏の「本殿」を見ようと右側に回り込みましたが、工事中のようでした。1879年明治12年に「幽宮)かくりのみや)」の上へ移築されました。
「本殿」と「幣殿」は現在、檜皮葺の工事のようでした。本殿は、三間社流造り、檜皮葺のようです。遠方から来たのに見られなかったのは残念でした。
友人は好き勝手な所を見ているし、私も好きなように境内を散策します。雨は大丈夫のようでしたが、折りたたみの傘は持参しています。こちらは「神馬像」でした。
ここから境内の末社を巡ります。最初は「左右(さゆ)神社」で、祭神は天照皇大御神(あまてらすすめのおおみかみ)、月讀尊(つきよみのみこと)で、伊勢大神宮の方向に位置し、眼病治癒の信仰があります。
こちらは「住吉神社」で、祭神が住吉三前神。もう一つが「鹿島神社」で、祭神が武甕槌神(たけみかづらのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)で、農業守護と武運長久を祈願して祀られて社。

こちらは「神輿庫」です。扉は固く閉まっていますが、六角鳳輦(ほうれん)の神輿が収まっています。
そのお隣の碑は「頭髪感謝碑」です。頭髪への感謝をこめて建立したとありました。
その先に「岩楠神社」と「夫婦大楠(めおとのおおくす)」と書かれた入口を入ると、もともと2株並んでいた楠が合体して成長した大木を目にします。県の天然記念物に指定されており、夫婦円満の信仰がある御神木です。
その根元に祀られているのが「岩楠神社」で、祭神が蛭子命(ひるこのみこと)。子孫繁栄、夫婦円満、延命長寿の信仰が篤い。

次は摂社「淡路祖霊社」です。淡路出身の先賢、日親、日露、大東亜の戦役で国に命を捧げた淡路の英霊、伊弉諾神宮の歴代祀職の分霊が祀られています。
「淡路祖霊社」に隣接して「遺品館」があって、予約拝観できるそうです。遺品や軍役の資料などが展示されているとか。

ここに来てときに渡った「反り石の神橋」近くまでやって来ると、茶室「明日菴(みょうにちあん)」があって、裏千家が明治末期にに監修した茶室で、2013年(平成25年)に移築・寄進されてたもの。

次に西に向かって歩いて行くと、「放生庵」と、「放生の神池」の中で水神を祀る「延壽宮」がありました。


「反り橋」から「正門」を通って、「授与所」を覗いてみました。このとき8時39分まだ開いてません。


境内の西側には「社務所」かあって神職さんが居るようです。ただ先に「西神門」を見ました。1688年(元禄元年)に修築されたと記録が残っているようです。その先には「貴賓殿」や「参集殿」がありました。
8時45分に「社務所」によって、朱印を聞いてみました。「朱印は9時からです」と断られたので、ここの朱印は断念しました・・・と言うのも、この先の予定を考えると15分が待てないて判断しました。友人は「15分だったら待ってあげるよ」と言ってくれましたが・・・。
駐車場に戻ると途中にあった「力石(ちからいし)」がありました。力くらべに使われた石のようです。
「力石(ちからいし)」の次に多分、東に向いて参拝するのでしょう「伊勢皇大神宮遙拝所」がありました。

行きと同様に「反り石の神橋」を渡って、右手を見ると「陽の道しるべ」がありました。伊弉諾神宮が日之少宮と称されたことに因み、同宮を中心とする太陽の運行を示しています。
こちらは「香りの碑」で、595年(推古天皇3年)の夏に、香木(沈)が初めて淡路島に伝来したことを記念し、建立された碑で「香」と刻まれてます。
あと、ここの石碑を見ていきました。そしてトイレを済ませて駐車場に戻ると雨が降ってきました。ここに来て雨が降ってなくて良かったです。
駐車場に戻ると8時55分でした。あと5分となりましたが、車を出して貰いました。次の予定が徳島県鳴門市で9時30分頃には着きたかったので先を急いだ次第です。車は再び「津名一宮IC」から神戸淡路鳴門自動車道に入り徳島県を目指します。
【伊弉諾神宮】




この日の天気予報は、曇り時々雨でした。一週間前から天気は気にしてましたが、残念ながら家を出るときから雨が降ってて、ただ台風10号が去って、気温は押さえられていたのが何よりですが・・・その台風の影響で湿気は多く蒸し蒸した天候でしたね。淡路島の天気予報も良くなかったので大きい傘を持参してきました。再び車は新名神高速道に入り西に進み途中、山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道から舞子トンネルを抜けます。約3㌔の長いトンネルを抜けると目の前に巨大な「明石海峡大橋」が現れます。全長約4㌔の巨大な吊り橋を渡りますが、高速道路上のため駐停車は禁止されています。友人は景色が見えるように左側の車線を走ってくれました。車は「津名一宮IC」で高速を降り、向かったのが最初の訪問地、伊弉諾神宮でした。




「大鳥居」の右側に社号標があって、左右に巨大な「狛犬」が鎮座。石造りの神明鳥居は、阪神淡路大震災で倒壊しましたが、10ケ後には再建されました。












祭神は、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)、伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)の2柱。「古事記」「日本書紀」にその創祀を記す日本最古の神社。伊弉冉大神とともに国生みを行った伊弉諾大神が余生を過ごされた「幽宮)かくりのみや)」。同神が身罷られたあと、その宮居の敷地に神陵を築いて祀られたのが創祀の起源とされています。








その先に「岩楠神社」と「夫婦大楠(めおとのおおくす)」と書かれた入口を入ると、もともと2株並んでいた楠が合体して成長した大木を目にします。県の天然記念物に指定されており、夫婦円満の信仰がある御神木です。














8時45分に「社務所」によって、朱印を聞いてみました。「朱印は9時からです」と断られたので、ここの朱印は断念しました・・・と言うのも、この先の予定を考えると15分が待てないて判断しました。友人は「15分だったら待ってあげるよ」と言ってくれましたが・・・。





あと、ここの石碑を見ていきました。そしてトイレを済ませて駐車場に戻ると雨が降ってきました。ここに来て雨が降ってなくて良かったです。
駐車場に戻ると8時55分でした。あと5分となりましたが、車を出して貰いました。次の予定が徳島県鳴門市で9時30分頃には着きたかったので先を急いだ次第です。車は再び「津名一宮IC」から神戸淡路鳴門自動車道に入り徳島県を目指します。
【伊弉諾神宮】
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