世界文化遺産 比叡山延暦寺西塔エリア 釈迦堂・瑠璃堂内陣特別公開へ
世界文化遺産 比叡山延暦寺東塔エリアを出て、再び比叡山ドライブウェイに入り、西塔エリアを目指します。そして約5分程度で西塔エリアの駐車場に着きました。
西塔エリアでは、この秋「釈迦堂内陣特別公開」「瑠璃堂内陣特別公開」があって、期間は10月1日から11月31日でした。
西塔エリアの拝観受付所の手前に「箕淵弁財天」があったので、寄って行きました。ここに来て知りましたが、ここは比叡山三大弁財天とされる一つだったんですね。他は東塔の無動寺弁天堂、横川の箸塚弁財天でした。
この「拝観受付所」で、東塔エリアで購入した共通券のチケットを見せると、そのまま通されました。特に半券を切られることも無かったです。
案内にしたがって、参道を歩いていくと、左手に「親鸞聖人ご修行の地」と書かれた石碑がありました。
程なくして、正面の石段を少しだけ上がると重要文化財に指定されている「常行堂」(左)と「法華堂(にない堂)」(右)見えて来ます。
こちらが「法華堂」で、ご本尊は普賢菩薩、桁行五間、梁間五間、一重、宝形造り、栩葺の建物。正面に位置間の向拝を付けています。このお堂では法華三昧を修する所です。
こちらが「常行堂」で、ご本尊は阿弥陀如来。建物の造りは法華堂と同じです。この時、堂内では四種三昧の修行中のため、僧侶のお経を唱える声が聞こえてきました。締め切った堂内は真っ暗でしょうね。
両堂を結ぶ唐破風造りの渡り廊下で結ばれています。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、「にない堂」とも呼ばれています
この先の石段を下ります。そしてその先には「釈迦堂」が見えてきました。そして石段を下る途中の左手にあったのが「恵亮堂」で、ここも寄って行きます。
この塔は「円戒国師壽塔」で、壽塔とは、生前あらかじめ造ったお墓のことです。この塔は、円戒国師・慈摂大師真盛上人(1443~1495)が最初に建立された。上人建立の壽塔は、元亀の兵災で破却され。現在は、1839年(天保10年)に建立されたものです。
9時28分に、西塔の中心となる「釈迦堂」に着きました。比叡山内では最も古い建造物で、この秋、内陣特別拝観をされていますが、まだ入りません。
この先にある「瑠璃堂」も特別公開されているので、先ずはそちらへ向かいます。場所はこの釈迦堂の横を進むようです。
釈迦堂を抜けると、比叡山ドライブウェイを横切る必要があります。有料道路を横切るので危険防止の観点から、ガードマンさんが、左右の安全を見てくれます。
比叡山ドライブウェイを横切ると、ここから山道となります。車も通れるので、道はそんなに荒れてません。ただ先が見えないので少々不安ですが・・・。
内陣公開は、9時からとありました。そこで急いだ訳です。この山道の途中で、6名ぐらいの集団と出会いました。瑠璃堂を見た来られたあとでしょうね。
9時38分になって、ようやく目的の「瑠璃堂」が見えて来ました。見えて来たら元気がでますね。
9時39分に、信長の焼き討ちを逃れた唯一の建物といわれている重要文化財に指定されてる「瑠璃堂」に着きました。狙い通り誰も居ません。
内陣特別公開とありましたが、堂内には入れません。普段は閉まっている扉が開いて内部を見ることができました。
1571年(元亀2年)9月12日の織田信長により焼き討ちの兵火を免れた現存唯一の建物と言われてます。室町時代末期の建立と推定され、重要文化財に指定されています。西塔北谷にあった古仙の靈濠に最澄が自ら薬師如来坐像を安置したのが始まりと伝わります。元慶年代(877~885)の頃、本尊が光りを放ち京の都を照らしたので、第57代・陽成天皇が不思議に思い、その光を尋ねたところ、ここに辿り着いたので、この寺に放光院の号を賜ったという逸話が残っています。
この瑠璃堂から、林間から京都市街地が垣間見えました。今日の朝は冷え込みましたが、比叡山山頂ですが、そんなに寒くは無かったです。
帰りは、3組と出会いました。やっぱり皆さん初公開の瑠璃堂は興味があるようですね。私が着いた頃に、誰も居なくて良かったです。
帰りも10分ぐらいで「釈迦堂」に戻ってきたように思います。後回しにしましたが、これから釈迦堂の内陣に入ります。
先ずは釈迦堂の御朱印をお願いしました。すると「今、内陣特別公開しているので先に見て下さい」と言われたので、友人と2人で入って行くと・・・。
釈迦堂は、西塔の中心となる仏堂で、本尊に釈迦如来を祀ることから、この名で親しまれいます。南北朝期の1347年(貞和3年)に造営された大津の圓城寺(三井寺)弥勒堂(金堂)を、豊臣秀吉の命により1595年(文禄4年)に移したもの。比叡山に現存する最古のお堂です。
内陣には四つの祠(文殊菩薩・元三大師・山王七社・八所明神)があって、帝釈天像、持国天像、増長天像、不動明王像なとが祀られていました。
釈迦堂の内陣を一周し、納経所で瑠璃堂の特別御朱印をいただきました。こちらの方は書き置きのみで、日付だけ入れて貰えます。ちなみに500円でしたね。
釈迦堂を出て、駐車場に戻る途中に、「鐘楼」へ通じる石段がありましたが、先を急ぐので登ってません。
行きでみた「恵亮堂」の向かいには「西塔政所」がありましたが、こちらは立入禁止です。
「にない堂」前にあった句碑「しづやかに輪廻生死の 世なりけり はるくるそらの かすみしてけり」(雄郎) とありました。
まもなく駐車場に近づいたとき、左下を見ると「椿堂」が見えました。もちろん下には降りません。
この西塔エリアには、伝教大師の御廟がある「浄土院」もありますが、足の疲れもあって、次へと向かうことに。
10時5分に駐車場に戻り、ここを出て最後の横川エリアに向かいました。シャトルバスのバス停を見れば、けっこう多くの人がバスを待ってました。
【比叡山延暦寺 瑠璃堂】
西塔エリアでは、この秋「釈迦堂内陣特別公開」「瑠璃堂内陣特別公開」があって、期間は10月1日から11月31日でした。
西塔エリアの拝観受付所の手前に「箕淵弁財天」があったので、寄って行きました。ここに来て知りましたが、ここは比叡山三大弁財天とされる一つだったんですね。他は東塔の無動寺弁天堂、横川の箸塚弁財天でした。
この「拝観受付所」で、東塔エリアで購入した共通券のチケットを見せると、そのまま通されました。特に半券を切られることも無かったです。
案内にしたがって、参道を歩いていくと、左手に「親鸞聖人ご修行の地」と書かれた石碑がありました。
程なくして、正面の石段を少しだけ上がると重要文化財に指定されている「常行堂」(左)と「法華堂(にない堂)」(右)見えて来ます。
こちらが「法華堂」で、ご本尊は普賢菩薩、桁行五間、梁間五間、一重、宝形造り、栩葺の建物。正面に位置間の向拝を付けています。このお堂では法華三昧を修する所です。
こちらが「常行堂」で、ご本尊は阿弥陀如来。建物の造りは法華堂と同じです。この時、堂内では四種三昧の修行中のため、僧侶のお経を唱える声が聞こえてきました。締め切った堂内は真っ暗でしょうね。
両堂を結ぶ唐破風造りの渡り廊下で結ばれています。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、「にない堂」とも呼ばれています
この先の石段を下ります。そしてその先には「釈迦堂」が見えてきました。そして石段を下る途中の左手にあったのが「恵亮堂」で、ここも寄って行きます。
この塔は「円戒国師壽塔」で、壽塔とは、生前あらかじめ造ったお墓のことです。この塔は、円戒国師・慈摂大師真盛上人(1443~1495)が最初に建立された。上人建立の壽塔は、元亀の兵災で破却され。現在は、1839年(天保10年)に建立されたものです。
9時28分に、西塔の中心となる「釈迦堂」に着きました。比叡山内では最も古い建造物で、この秋、内陣特別拝観をされていますが、まだ入りません。
この先にある「瑠璃堂」も特別公開されているので、先ずはそちらへ向かいます。場所はこの釈迦堂の横を進むようです。
釈迦堂を抜けると、比叡山ドライブウェイを横切る必要があります。有料道路を横切るので危険防止の観点から、ガードマンさんが、左右の安全を見てくれます。
比叡山ドライブウェイを横切ると、ここから山道となります。車も通れるので、道はそんなに荒れてません。ただ先が見えないので少々不安ですが・・・。
内陣公開は、9時からとありました。そこで急いだ訳です。この山道の途中で、6名ぐらいの集団と出会いました。瑠璃堂を見た来られたあとでしょうね。
9時38分になって、ようやく目的の「瑠璃堂」が見えて来ました。見えて来たら元気がでますね。
9時39分に、信長の焼き討ちを逃れた唯一の建物といわれている重要文化財に指定されてる「瑠璃堂」に着きました。狙い通り誰も居ません。
内陣特別公開とありましたが、堂内には入れません。普段は閉まっている扉が開いて内部を見ることができました。
1571年(元亀2年)9月12日の織田信長により焼き討ちの兵火を免れた現存唯一の建物と言われてます。室町時代末期の建立と推定され、重要文化財に指定されています。西塔北谷にあった古仙の靈濠に最澄が自ら薬師如来坐像を安置したのが始まりと伝わります。元慶年代(877~885)の頃、本尊が光りを放ち京の都を照らしたので、第57代・陽成天皇が不思議に思い、その光を尋ねたところ、ここに辿り着いたので、この寺に放光院の号を賜ったという逸話が残っています。
この瑠璃堂から、林間から京都市街地が垣間見えました。今日の朝は冷え込みましたが、比叡山山頂ですが、そんなに寒くは無かったです。
帰りは、3組と出会いました。やっぱり皆さん初公開の瑠璃堂は興味があるようですね。私が着いた頃に、誰も居なくて良かったです。
帰りも10分ぐらいで「釈迦堂」に戻ってきたように思います。後回しにしましたが、これから釈迦堂の内陣に入ります。
先ずは釈迦堂の御朱印をお願いしました。すると「今、内陣特別公開しているので先に見て下さい」と言われたので、友人と2人で入って行くと・・・。
釈迦堂は、西塔の中心となる仏堂で、本尊に釈迦如来を祀ることから、この名で親しまれいます。南北朝期の1347年(貞和3年)に造営された大津の圓城寺(三井寺)弥勒堂(金堂)を、豊臣秀吉の命により1595年(文禄4年)に移したもの。比叡山に現存する最古のお堂です。
内陣には四つの祠(文殊菩薩・元三大師・山王七社・八所明神)があって、帝釈天像、持国天像、増長天像、不動明王像なとが祀られていました。
釈迦堂の内陣を一周し、納経所で瑠璃堂の特別御朱印をいただきました。こちらの方は書き置きのみで、日付だけ入れて貰えます。ちなみに500円でしたね。
釈迦堂を出て、駐車場に戻る途中に、「鐘楼」へ通じる石段がありましたが、先を急ぐので登ってません。
行きでみた「恵亮堂」の向かいには「西塔政所」がありましたが、こちらは立入禁止です。
「にない堂」前にあった句碑「しづやかに輪廻生死の 世なりけり はるくるそらの かすみしてけり」(雄郎) とありました。
まもなく駐車場に近づいたとき、左下を見ると「椿堂」が見えました。もちろん下には降りません。
この西塔エリアには、伝教大師の御廟がある「浄土院」もありますが、足の疲れもあって、次へと向かうことに。
10時5分に駐車場に戻り、ここを出て最後の横川エリアに向かいました。シャトルバスのバス停を見れば、けっこう多くの人がバスを待ってました。
【比叡山延暦寺 瑠璃堂】
この記事へのコメント