明智光秀一族の菩提寺 西教寺へ

旧竹林院を出て、ここから近くの明智光秀ゆかりの「西教寺」に行きました。現在、放送されているNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人である明智光秀一族の菩提寺である西教寺には、今年雪が舞う中の2019年(平成31年)1月26日と、2013年(平成25年)11月13日の2度来てます。

この日、再び訪れたのは目的が2つあって、一つは前回訪問時に、明智光秀の正室「煕子」の墓を見損ねたのと、西教寺が「光秀大博覧会」の会場となったので、それも見に来た訳です。

CIMG3494.jpg12時31分に駐車場に車を入れ、少し戻って「総門」から参道に入りました。前回は、小雪が舞う大変寒い日でしたね。

CIMG3495.jpg総門を入って右手に「禅坊院光秀館」があって、ここで大河ドラマの魅力を体感できる、びわ湖大津「麒麟がくる」展が開催中でした。

ここと、「滋賀院門跡」と「西教寺」の三箇所で開催中でした。ただ予算のことと、友人があまり乗り気じゃなかったので、ここは入りませんでした。

CIMG3496.jpg参道を行くと、途中に「拝観受付所」がありました。冬場は無かったんですが、びわ湖大津「麒麟がくる」展が西教寺も開催中ですから、ここで500円を払いました。

なお、三箇所別々で行くと、1500円ですが、共通券では1200円でした。

CIMG3497.jpgCIMG3498.jpgCIMG3499.jpgやはり大河人気でしょうね、けっこう多くの方が来場されてます。私らは本堂に上がる前に、前回の忘れ物を見に行きます。

CIMG3501.jpg真っ先に向かったのが、「麒麟がくる」では、木村文乃さんが演じている「明智煕子の墓」です。細川忠興の正室・細川ガラシャの母でもあります。

CIMG3503.jpgこちらは「濃州妻木(明智)一族の供養塔」で、煕子の父である妻木藤右衛門廣忠(妻木城12代)は、本能寺の変・山崎の合戦・坂本城の攻防と続くなか、討ち死にしました。その一族は、ここ西教寺に埋葬され供養されたと伝わり、その供養塔が建てられました。

CIMG3508.jpgこちらは「明智一族の墓」で、1582年天正10年の「本能寺の変」のあと、「山崎の合戦」に敗れ非業の最期を遂げた時、光秀一族とともに西教寺に葬られました。

余談ですが、以前来たとには見向きもされなかった「明智光秀一族の墓」ですが、この日は多くの方が見に来られていました。大河人気の影響の大きさが分かります

CIMG3500.jpgこのあと「本堂」に上がって堂内に入ってお参りは済ませました。今日は、普段非公開のエリアに入れそうなので、そちらに向かいます。

このエリアは、京都定期観光バスでのツアーで、2013年(平成25年)11月13日に三重在住の先輩と来ています。5年振りの訪問ですよね、楽しみです

CIMG3511.jpg堂内を出て、本堂の西側に出ると向かいに「客殿」が見えます。ここは最期に見学します。

CIMG3513.jpg帰ってから確認すると、前回とは逆の順で見て回ったようです。先ずは「書院」に向かいます。

CIMG3514.jpgCIMG3515.jpg書院に入る前には「磨崖仏」があって、その書院前には「書院庭園」が広がっています。この庭園は、坂本一帯に亘って汎く見られる所謂穴太式庭園の一つで、このあたり一帯の造庭の活躍した、穴太宗の手によるもです。

CIMG3516.jpgCIMG3517.jpgCIMG3518.jpg書院」の中も入ってみました。特段、何も変わったことはありませんでしたが、もう一度「書院庭園」を見て次へと向かいました。

CIMG3520.jpg次に「客殿」に向かう前に、「明智光秀公資料室」に入りました。室内は撮影禁止でしたが、ここでは明智光秀直筆の寄進状など、菩提寺に残された貴重な資料を展示されてました。

CIMG3521.jpgCIMG3523.jpg渡り廊下を進むと、前方に「客殿庭園」が見えてきました。小堀遠州作庭と伝わる庭園です。

CIMG3525.jpgCIMG3531.jpg客殿庭園」は、裏山の急斜面を巧みに利用し丸刈角刈の小刈込を酷使した鑑賞庭園です。造園者は、小堀遠州と伝わります。

CIMG3526.jpgCIMG3528.jpgCIMG3529.jpg客殿内の「茶の間」には入れました。元は豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿を移築されたようです。

CIMG3535.jpgCIMG3536.jpg「客殿」のさらに奥に部屋があって、そこには「観世音菩薩」「地蔵菩薩」を間近で見られました。

CIMG3538.jpg「客殿」を回り込んで、次にガラス越しですが室内を見ていきます。2013年(平成25年)11月13日に来た時は、ガラスは無かったように記憶しています。

IMG_9407.jpg帝艦の間」は客殿の主室で、上座の間です。床棚は通常は翠に近い方に床、奥に棚をとってますが、この客殿ではまったく逆の方法をとっています。ここでは帝艦図が描かれ、いかにも天下人の豊臣秀吉が座するのにふさわしい部屋といえます。

IMG_9408.jpg花鳥の間」は、上座の間を仕切る襖四面には、老松に鶴の図が描かれ長寿を表すとともに、かたわらには富貴の町長である牡丹が配されています。

賢人の間」は、奥に法勝寺伝来の薬師如来坐像を安置し、左右の襖に琴棋書画図と竹林七賢図を描いています。

IMG_9409.jpgIMG_9410.jpg猿猴の間」は、部屋をめくる襖障子に、水際の柳や老木や、水に洗われる岩上に遊ぶ猿などを、詩情豊かな筆致で描かれています。

鶴の間」は、十三面の襖に、大海原に飛翔し、砂浜で憩う群鶴が描かれています。飛翔する鶴の下に描かれた波は画面が進むに連れ変化します。

CIMG3546.jpgCIMG3547.jpgガラス越しのため、綺麗に撮れてません。その客殿から見た「本堂」裏と「客殿」の全景です。

CIMG3549.jpg帰りに、「本堂」を一周し東側に出てると、「鐘楼」が見えました。このあと本堂を出て行きました。

CIMG3550.jpgCIMG3553.jpgCIMG3551.jpg「本堂」から降りて来て、境内の「放生池」や、宗祖真盛上人の六字の名号「名号石」を見て境内を出て行きました。

CIMG3555.jpgCIMG3564.jpgCIMG3566.jpgCIMG3565.jpg帰りに「宗祖大師殿」に寄りました。1878年(明治11年)に真盛宗別派独立に伴い、本堂南の一段低い地に建設されたものです。天台真盛宗、宗祖圓戒国師慈攝真盛上人の木像が祀られているお堂です。昭和天皇から下賜された「慈攝」の勅願が架かっています。

CIMG3556.jpgCIMG3563.jpgここから綺麗に琵琶湖が見えました。けっこう上がって来てたんですね、次は琵琶湖湖畔に向かいます。

CIMG3569.jpg宗祖大師殿」から石段を降りてきたら、「拝観受付所」の前に出てきました。そしと長い参道を通って駐車場に戻りました。

13時頃に駐車場に戻り、すぐに出て行きました。ここから京都の山科に用事があったんですが、その前にもう一つ、明智光秀ゆかりの地を寄って行きます。

【西教寺】

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