明智光秀ゆかりの水城 坂本城址へ

西教寺を出て、車は湖畔道路(高島大津線)に出て、大津市内に向けて走ります。まもなく「坂本城址」と書かれた大きな石碑と幟があったので、そちらの駐車場に車を止めました。

CIMG3587.jpgCIMG3588.jpg13時14分に着きました。事前に知っていましたが、ここは城跡の遺蹟はほぼ無いです。雰囲気だけ味わいに来たようなものです

CIMG3586.jpgCIMG3582.jpgCIMG3571.jpg「坂本城址公園」として整備されており、多くの車が止まっています。NHK大河ドラマ人気でしょうね。

CIMG3573.jpg
公園内にある「明智光秀像」です。像の下には明智光秀の業績が書かれていました。それによると・・・。

明智光秀は、北国街道(西近江路)と湖上交通との要所にあたるこの地に、1572年(元亀3年)坂本城を築いた。この城は琵琶路に臨む典型的な水城で、しかも築城に造詣の深い光秀だけに城は、豪壮豪麗で、安土城に次ぐ名城といわれていた。ここで近江滋賀郡を支配し、民政は行き届いていたという。その後、光秀は丹波を平定し、1577年(天正5年)頃から亀山城を築き、その城下町が現在の亀岡市の基礎となった。さらに1579年(天正7年)頃横山城を攻めたあと、城の大改造を行い明智にちなんで福知山と名付け後に福知山城となった。いまも福知山踊りは、光秀を偲び歌い次がれている。

CIMG3575.jpgCIMG3577.jpgこちらには、明智光秀が滋賀の地での功績が書かれていました。「われならで誰かは植えむ一つ松心して吹け志賀の浦風」と詠まれた歌碑ですね。

CIMG3585.jpg
坂本城は、現在見るべき遺構がほとんど残っておらず、1979年(昭和54年)に実施された発掘調査によって一定の構造が明確になってきたそうで、その縄張り図がここにありました。

CIMG3589.jpgCIMG3590.jpgここから正面に三上山・・・通称「近江富士」が見えています。ここから北の方角に、かつての「本丸」があった所です。

CIMG3593.jpgCIMG3592.jpgこの日は天気が良かったです。綺麗な琵琶湖を久し振りに見ました。以前、職場が大津市内にあったので、毎日見ていた琵琶湖は懐かしいです。

CIMG3581.jpgCIMG3580.jpg琵琶湖の水位が下がると、坂本城の石垣が現れるそうですが、ここから「日吉大社 七本柳鳥居」が見えています。

本能寺の変の後、「山崎の合戦」で敗れた明智一族の明智秀満が妻子を刺し殺して城に火を放ち、討ち死にした史実は、戦国の悲話としてもよく語られているそうです。13時23分にここを出て、京都市内に戻りました。

帰りに、最近オープンした京都市山科区にある「マールブランシュ ロマンの森」に寄ってみましたが、入店するのに60分待ちと出ていたので、ケーキを食べるのにそんなに待てないので、直ぐに退散し、京都市北区にある「マールブランシュ北山本店」に寄ってもらい、家族にケーキを買って帰りました。ここも少し待ちましたが、今日は家族に「ケーキを買って帰る」と言って家を出たので、混雑していも待ちましたが、外で待たせた友人には申し訳なかったです。

【坂本城址】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック