但馬地方を行く 但馬国一の宮 粟鹿神社へ
10月26日(月)は、兵庫県但馬地方を会社の先輩と行ってきました。福知山在住の先輩で毎年、JR福知山駅で待ち合わせ過去、京都北部の丹後地方を連れて貰っています。2017年(平成29年)6月23日、2018年(平成30年)5月25日、2019年(令和元年)6月21日で、今年も5月に計画してましたが、コロナ禍のため断念。ようやくコロナも落ち着いてきたので昨年から約束していた但馬巡りを楽しんで来た次第です。
私は、予定している時間の20分前には着かないと落ち着かない性格で、この日も早く家をでましたが、途中で忘れ物に気がつき、慌てて家に戻り、そして出たので、予定の特急にはギリギリ間に合いました。
JR二条駅を7時37分発の「きのさき1号」に乗って、定刻通り福知山駅に8時47分着きました。コロナ禍で特急も空いているかなぁ・・・と思ってましたが、座席はほぼ埋まってましたね、それに福知山駅で降りる乗客も多かったですし昨年と変わらない乗客でした。事前の打ち合わせの通り福知山駅北口にて先輩が先に愛車で待っててくれたので、着き次第直ぐに乗り込み出発、最初の目的地は兵庫県朝来市にある、但馬国一の宮「粟鹿神社(あわがじんじゃ)」でした。
ここには9時39分に着きました。案内には「国家平癒を祈願 勅使門を建立 七不思議のある但馬一の宮」とありました。
この度、先輩と但馬を旅行するにあたり、事前にいろいろ調べました。そこで見付けた「但馬五社明神巡拝」・・・「但馬五社巡り」でした。五社のうち、「養父神社」だけは2012年(平成24年)12月4日に行ってます。今日は、「粟鹿神社」「出石神社」「小田井神社」「絹巻神社」と行ける所まで行ってもらう予定です。
回りに田園風景が広がり、先輩の愛車のナビの誘導で無事、ここまで連れて来て貰いました。ありがたいです。
鳥居をくぐり参道を進むと、最初に「勅使門」(朝来市指定文化財)を見ます。文字通り勅使が参向する際に使われる門で、過去4回の勅使参向があったようです。
「勅使門」から、さらに奥に進むと「随身門」があって、その横に案内版が出ていたので読んでみると・・・。
「粟鹿神社木造箸色随身倚像」(朝来市指定文化財)は、随身門に安置されて、向かって左に(阿形)で左右に緌を付けた冠をかぷり、顔をやや左に向けてます。、左に(吽形)で口は閉じています。
その随身門をくぐって振り向くと、ここにも文化財があって珍しい木造の狛犬が鎮座してました。「粟鹿神社木造箸色狛犬像」(朝来市指定文化財)は、像高89.4㌢像長88.3㌢木造、彩色、彫眼、作成年代は定かではありませんが鎌倉時代と推定されています。
「随身門」をくぐって右手に「手水舎」があって、ここも柄杓は撤去されています。多分、山水でしょうね、手指だけ清めました。
鬱蒼とした森の中に社殿が建っていますね。参道の奥に進むと左手に「天満宮」があって、祭神は菅原道真公です。ただその前に砲弾でしょうね、何故置いてあるのか・・・。
その先に、何故か「土俵」が。神社では土俵は、よく見かけますね、奉納相撲されるでしょうか。
石段を上がると「拝殿」があって、ここでお参りします。祭神は、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、日子坐王'ひこいますのおう)、阿米美佐利命(あめのみさりのみこと)の三柱です。
七不思議のある但馬一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、国家の大難に際して今までに4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1540坪に及ぶ神域の社叢林(しゃそうりん)は深厳な景観を形成し、市指定天然記念物です。
正面から「本殿」が見えないので、左右から見てみました。この時間ですから境内には誰も居ません。
鬱蒼とした木立の中にあるので、奥に進むのは気が引けますが、それでも見ていきます。最初は「厳島神社」で、祭神が市杵島姫命、海上守護、財福技芸の神とありました。
こちらは「床浦(とこうら)神社」で、祭神が大己貴神(おおなむちのかみ)、医療・縁結びの神です。
さらに奥には「茗荷神社(みょうがじんじゃ)」があって、祭神が草野姫命(かやのひめのみこと)。粟鹿神社の神紋抱き茗荷は境内にこの末社を祀ると書いてありました。
最も奥には「稲荷神社」があって、さすがにこの石段を登る勇気はありません。祭神が保食神(うけもちのかみ)で、農業・食物の神とありました。
最期の末社は「猿田彦神社」(庚申社)で、祭神が、猿田彦神で交通安全・除災の神とありました。しかし、中を覗くと何故か神馬が
帰りも「随身門」から出て、9時50分に向かいにある「社務所」に寄ると、張り紙があって宮司さん宅までと書いてあったので行ってみると・・・。
先輩に待ってもらって、私だけ向かい呼鈴を押すも出て来られず・・・朱印は断念しました・・・残念。
9時53分に、誰も居ない駐車場に戻って先輩が、次の目的地をナビに入れて出発しました。
このような遠路はるばる連れて来て貰った先輩には感謝ですね。今日は先輩もスマホカメラで撮影されてました。珍しいです。
【粟鹿神社】
私は、予定している時間の20分前には着かないと落ち着かない性格で、この日も早く家をでましたが、途中で忘れ物に気がつき、慌てて家に戻り、そして出たので、予定の特急にはギリギリ間に合いました。
JR二条駅を7時37分発の「きのさき1号」に乗って、定刻通り福知山駅に8時47分着きました。コロナ禍で特急も空いているかなぁ・・・と思ってましたが、座席はほぼ埋まってましたね、それに福知山駅で降りる乗客も多かったですし昨年と変わらない乗客でした。事前の打ち合わせの通り福知山駅北口にて先輩が先に愛車で待っててくれたので、着き次第直ぐに乗り込み出発、最初の目的地は兵庫県朝来市にある、但馬国一の宮「粟鹿神社(あわがじんじゃ)」でした。
ここには9時39分に着きました。案内には「国家平癒を祈願 勅使門を建立 七不思議のある但馬一の宮」とありました。
この度、先輩と但馬を旅行するにあたり、事前にいろいろ調べました。そこで見付けた「但馬五社明神巡拝」・・・「但馬五社巡り」でした。五社のうち、「養父神社」だけは2012年(平成24年)12月4日に行ってます。今日は、「粟鹿神社」「出石神社」「小田井神社」「絹巻神社」と行ける所まで行ってもらう予定です。
回りに田園風景が広がり、先輩の愛車のナビの誘導で無事、ここまで連れて来て貰いました。ありがたいです。
鳥居をくぐり参道を進むと、最初に「勅使門」(朝来市指定文化財)を見ます。文字通り勅使が参向する際に使われる門で、過去4回の勅使参向があったようです。
「勅使門」から、さらに奥に進むと「随身門」があって、その横に案内版が出ていたので読んでみると・・・。
「粟鹿神社木造箸色随身倚像」(朝来市指定文化財)は、随身門に安置されて、向かって左に(阿形)で左右に緌を付けた冠をかぷり、顔をやや左に向けてます。、左に(吽形)で口は閉じています。
その随身門をくぐって振り向くと、ここにも文化財があって珍しい木造の狛犬が鎮座してました。「粟鹿神社木造箸色狛犬像」(朝来市指定文化財)は、像高89.4㌢像長88.3㌢木造、彩色、彫眼、作成年代は定かではありませんが鎌倉時代と推定されています。
「随身門」をくぐって右手に「手水舎」があって、ここも柄杓は撤去されています。多分、山水でしょうね、手指だけ清めました。
鬱蒼とした森の中に社殿が建っていますね。参道の奥に進むと左手に「天満宮」があって、祭神は菅原道真公です。ただその前に砲弾でしょうね、何故置いてあるのか・・・。
その先に、何故か「土俵」が。神社では土俵は、よく見かけますね、奉納相撲されるでしょうか。
石段を上がると「拝殿」があって、ここでお参りします。祭神は、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、日子坐王'ひこいますのおう)、阿米美佐利命(あめのみさりのみこと)の三柱です。
七不思議のある但馬一の宮、延喜式に定める明神大社で、阿米弥佐利命が主祀神で、その他、諸々の神々が祀られています。創建は古く崇神天皇の頃と伝えられています。神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、国家の大難に際して今までに4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたとされています。当地方における数少ない遺構の一つとして貴重です。本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、 頭貫には唐草模様が見られます。また、御本殿裏の御塚には、日子坐王命が葬られ御陵として崇められています。境内の末社も由緒があり、1540坪に及ぶ神域の社叢林(しゃそうりん)は深厳な景観を形成し、市指定天然記念物です。
正面から「本殿」が見えないので、左右から見てみました。この時間ですから境内には誰も居ません。
鬱蒼とした木立の中にあるので、奥に進むのは気が引けますが、それでも見ていきます。最初は「厳島神社」で、祭神が市杵島姫命、海上守護、財福技芸の神とありました。
こちらは「床浦(とこうら)神社」で、祭神が大己貴神(おおなむちのかみ)、医療・縁結びの神です。
さらに奥には「茗荷神社(みょうがじんじゃ)」があって、祭神が草野姫命(かやのひめのみこと)。粟鹿神社の神紋抱き茗荷は境内にこの末社を祀ると書いてありました。
最も奥には「稲荷神社」があって、さすがにこの石段を登る勇気はありません。祭神が保食神(うけもちのかみ)で、農業・食物の神とありました。
最期の末社は「猿田彦神社」(庚申社)で、祭神が、猿田彦神で交通安全・除災の神とありました。しかし、中を覗くと何故か神馬が
帰りも「随身門」から出て、9時50分に向かいにある「社務所」に寄ると、張り紙があって宮司さん宅までと書いてあったので行ってみると・・・。
先輩に待ってもらって、私だけ向かい呼鈴を押すも出て来られず・・・朱印は断念しました・・・残念。
9時53分に、誰も居ない駐車場に戻って先輩が、次の目的地をナビに入れて出発しました。
このような遠路はるばる連れて来て貰った先輩には感謝ですね。今日は先輩もスマホカメラで撮影されてました。珍しいです。
【粟鹿神社】
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