但馬地方を行く 但馬一の宮 出石神社へ
「但馬国一の宮 粟鹿神社」を出て、次に兵庫県豊岡市出石町にある「出石神社(いずしじんじゃ)」に向かいました。土地勘が無いので、どの道を通ったか説明はできませんが、10時40分頃に「但馬一の宮 出石神社」の駐車場に着きました。
写真は「一の鳥居」です。駐車場は「二の鳥居」近くにあるので、先輩と二人して戻りました。
駐車場には車が多く止まってました。その駐車場の近くにある、こちらが「二の鳥居」です。鳥居前には狛犬が鎮座してました。
「二の鳥居」をくぐり、右手には「手水舎」がありました。それより鮮やか朱色の門が気になりますね。
「神門」は、鮮やかな赤の丹塗(にぬり)の八脚門で数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗(にぬり)です。
「神門」をくぐると正面に「拝殿」がありますが、その拝殿前に多くの靴が並んでいます。どうやら「七五三詣での祈祷中」のようです。
近くに寄るのも憚れますが、先に「社務所」に寄って御朱印をお願いしました。朱印帳を差し出して帰りに寄ります。
奥から祝詞が聞こえますが、「拝殿」前で参拝は済ませました。但馬開発の祖神、天日槍命(あめのひぼこのみこと)と伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ)が祀られています。
「本殿」を見ようと、「拝殿」の左に出ると、「本殿」前で神主さんが祝詞をあげられていたので直ぐに退散しました。
右側に回り込むと、立派な「本殿」が見えました。1914年(大正3年)に再建された3間社流造と、その前に切妻造りの「幣殿」と「祝詞殿」があり、「拝殿」は舞殿形式で入母屋造りとなっています。
但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍命と八種の宝(伊豆志八前大神)が祀られています。天日槍命は朝鮮半島(新羅)から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍命が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。
次は境内社を見て回ります。先ずは「比賣社(ひめしゃ)」です。見た所真新しい社殿です。
そのお隣・・・南側には「夢見稲荷社」があって、祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とも。穀物の神様でしょう。
境内社を見ていると、先輩が「絵馬堂」「休み堂」の近くにあった「消防ポンプ」を教えてくれました。
帰りに「社務所」に寄ると、御朱印いただけました。それに朱印帳に由緒書きも挟んであって、ありがたいです。
帰る頃になると、「拝殿」で祈祷されていた方も、ぞろぞろ出て来られました。帰りも「一の鳥居」まで戻って、ここの風景を撮ってから駐車場に戻った次第です。
10時53分頃に駐車場に戻り、次は出石の街中に行って、ここの名物である蕎麦を食べに行きます。
【出石神社】
写真は「一の鳥居」です。駐車場は「二の鳥居」近くにあるので、先輩と二人して戻りました。
駐車場には車が多く止まってました。その駐車場の近くにある、こちらが「二の鳥居」です。鳥居前には狛犬が鎮座してました。
「二の鳥居」をくぐり、右手には「手水舎」がありました。それより鮮やか朱色の門が気になりますね。
「神門」は、鮮やかな赤の丹塗(にぬり)の八脚門で数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗(にぬり)です。
「神門」をくぐると正面に「拝殿」がありますが、その拝殿前に多くの靴が並んでいます。どうやら「七五三詣での祈祷中」のようです。
近くに寄るのも憚れますが、先に「社務所」に寄って御朱印をお願いしました。朱印帳を差し出して帰りに寄ります。
奥から祝詞が聞こえますが、「拝殿」前で参拝は済ませました。但馬開発の祖神、天日槍命(あめのひぼこのみこと)と伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ)が祀られています。
「本殿」を見ようと、「拝殿」の左に出ると、「本殿」前で神主さんが祝詞をあげられていたので直ぐに退散しました。
右側に回り込むと、立派な「本殿」が見えました。1914年(大正3年)に再建された3間社流造と、その前に切妻造りの「幣殿」と「祝詞殿」があり、「拝殿」は舞殿形式で入母屋造りとなっています。
但馬一の宮といわれ、祭神は但馬開発の祖神、天日槍命と八種の宝(伊豆志八前大神)が祀られています。天日槍命は朝鮮半島(新羅)から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。出石神社由来記には天日槍命が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されています。「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれています。また、龍が鉾に巻きついている姿は歌舞伎の柱まき(柱に手と足をかけみえをきること)の原型ではという説もあります。出石神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えていますが、諸書によると奈良朝時代すでに山陰地方の有数の大社であったことがうかがわれます。
次は境内社を見て回ります。先ずは「比賣社(ひめしゃ)」です。見た所真新しい社殿です。
そのお隣・・・南側には「夢見稲荷社」があって、祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とも。穀物の神様でしょう。
境内社を見ていると、先輩が「絵馬堂」「休み堂」の近くにあった「消防ポンプ」を教えてくれました。
帰りに「社務所」に寄ると、御朱印いただけました。それに朱印帳に由緒書きも挟んであって、ありがたいです。
帰る頃になると、「拝殿」で祈祷されていた方も、ぞろぞろ出て来られました。帰りも「一の鳥居」まで戻って、ここの風景を撮ってから駐車場に戻った次第です。
10時53分頃に駐車場に戻り、次は出石の街中に行って、ここの名物である蕎麦を食べに行きます。
【出石神社】
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