但馬地方を行く 近畿最古の芝居小屋 出石永楽館へ
出石家老屋敷を出て内堀通りを西に進み、最初の通りを北に向いて歩きます。そして程なくしたから西に看板が出てました。近畿最古の芝居小屋 出石永楽館が次の目的地です。

この看板と幟が目印です。田結庄通りから奥に50㍍ぐらい西に歩いて行くと・・・。



地元出身の会社の人に聞くと、「いつも開館してるとは限らない」と言ってたので、心配してましたが、開いてました。受付で入館料400円を支払って入って行きました。
靴を脱いで入る前に、受付で写真撮影の有無を確認しました。「立入禁止と書いてある所以外は何処を撮ってもらっても結構です」と聞きました。



2008年(平成20年)に初めて開催されてた「永楽館歌舞伎」で、片岡愛之助さんは毎年公演を行われてましたが、今年はコロナ禍により中止されたようです。

入口に人が多く集まっていたので、私は先に館内へ入ってみると、ラッキーなことに誰も居ませんでした。

入口に人が多かったこともあって、先に客席だけは写真に収めました。入口での案内で、何処を見て貰って写真を撮ってもらってもOKと聞いてます。

「花道」を通って「廻り舞台」までやって来ました。その上には「楽屋」があります。



「舞台」にも立ってみました。「廻り舞台・セリ」になっており、舞台下には奈落があって、人力で回すようです。
「舞台」の奥には、「湯殿」がありましたね、何故、ここにお風呂が、役者さんが入られたのでしょうか?

「舞台」から見た「太夫座」と下には「囃子場」です。そこには義太夫の演奏者がいます。演奏時は、その床が前方にせり出す構造になっています。

永楽館では、何処でも行けますし写真も撮れます。「舞台」上にある「楽屋」を見に階段を上がります。
空いてる間に登り、最初に見たのが「カヅラ部屋」です。多分、カツラの装着部屋でしょうね、このときは何もありませんでしたが。


2階には「化粧部屋」や「楽屋」「衣装部屋」がありました。実際に見てみると狭いですね、片岡愛之助さんも使われたのでしょうか?
「舞台」上から見た客席です。「平桟敷」になっており・・・多分、お芝居を観るには窮屈でしょう。私には無理です
。

「二階枡席」も通りました。手前は「館主席」と書いてありました。特等席ですね、そこだけは狭くない
。
2階の正面まで、やって来たので、ここで席に座りました。誰も居ないので真ん中の席に座って、芝居見物・・・芝居小屋見物です
。


この時、先輩は「舞台」に居たので、ここまで来るように合図。しばらく来るまで待ちました。今度は先輩が、ここに座ってパンフを読み出したので、私は再び下に降ります。




もう一度、館内を一周しました。私も先輩も見たいとこを独自で見ているので、ここでは単独行動です
。珍しい芝居小屋をゆっくり見学することが出来ました。
12時33分に「永楽館」を出て行きました。ここを紹介した先輩も喜んでくれて良かったです。開館していたら是非見て貰いたいですね。
近畿最古の芝居小屋「永楽館」は、明治期に建設された近畿地方に現存する最古の芝居小屋です。出石永楽館は、1901年(明治34年)に開館し、歌舞伎をはじめ新派劇や寄席などが上演され、但馬の大衆文化の中心として大変栄えました。時代と共に映画上映が中心となり、やがてテレビの普及や娯楽の多様化などにより1964年'昭和39年)に閉館しました。その後、時は流れ、往時の永楽館を懐かしむ声があがるようになり、約20年の復元に向けた活動により、2008年(平成20年)に大改修なされ、44年の時を経て永楽館は蘇りました。現在は一般公開(有料)されています。豊岡市指定文化財。
ここで何箇所か使える割引券を貰ったので、次の目的地で使用します
。次は少し離れているので、先輩とゆっくり歩いて行きました。
【出石永楽館】
















































近畿最古の芝居小屋「永楽館」は、明治期に建設された近畿地方に現存する最古の芝居小屋です。出石永楽館は、1901年(明治34年)に開館し、歌舞伎をはじめ新派劇や寄席などが上演され、但馬の大衆文化の中心として大変栄えました。時代と共に映画上映が中心となり、やがてテレビの普及や娯楽の多様化などにより1964年'昭和39年)に閉館しました。その後、時は流れ、往時の永楽館を懐かしむ声があがるようになり、約20年の復元に向けた活動により、2008年(平成20年)に大改修なされ、44年の時を経て永楽館は蘇りました。現在は一般公開(有料)されています。豊岡市指定文化財。
ここで何箇所か使える割引券を貰ったので、次の目的地で使用します

【出石永楽館】
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