但馬地方を行く 沢庵和尚の故郷の寺宗鏡寺(沢庵寺)へ
出石観光お気軽(2時間)コースの最期の訪問地は、沢庵和尚の故郷の寺や、代々、出石城主の菩提寺であった宗鏡寺(沢庵寺)でした。
ここまで約5分ぐら歩いて来ましたが、緩やかに登ってます。すると宗鏡寺の駐車場がありました。無料のようですね。ここだけなら、ここに止めるのも良いでしょう。

ようやく突き当たりに「山門」が見えて来たので安心しました。同時にお二人の観光客も出て来られましたね
。
「山門」前に13時4分に着きました。山門の左手に「拝観受付所」があって、後程分かりましたが住職さんが受付をされてました。拝観料300円と御朱印も併せてお願いしました。
ここで先輩は、ご住職に話しかけられて、この先ずっと話し込んでしまったので、私一人で拝観です
。先輩は、誰とでも仲良しになる良い性格です
。

入口で住職さんより拝観の案内がありましたが、忘れました。先ずは「本堂」に玄関から上がります。


玄関から入って最初に見るのは「本堂南庭」です。秋も深まり、少し紅葉が始まってました。兵庫県北部の但馬地方は雪が積もります。この庭も冬になれば雪に覆われるでしょう。奥に見えているのは「開山堂」のようです。
宗鏡寺第十二世住持永田豊洲和尚に帰依した福岡県久留米市出身の画家・内野秀美氏の作庭と伝わり、庭の中央に三尊石を配置、全体として禅寺らしい質素な庭園です。


堂内にも入って見ました。ご本尊は、とくに書いてありませんが臨済宗の寺ですので、釈迦如来坐像でしょう。
円覚山宗鏡寺は、1392年(元中9年)山名氏の菩提寺として此隈山の麓に創建されました。開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」から名付けられました。しかし山名氏滅亡後永らく荒廃していた寺は、1616年(元和2年)出石城主小出吉英のすすめを受けた沢庵により再興されたました。以来、京都紫野大徳寺派の但馬における中本山として、現在に至ります。通称沢庵寺とも呼ばれ、沢庵和尚手作りの名園は県指定文化財となっています。
ここに来た目的は、沢庵和尚手作りの名園を見ることでした。その庭園を見るには堂内を横切る必要がありました。


「鶴亀の庭」は、沢庵和尚作で池の形を鶴に見立て亀島を配し、寺門盛栄を祈念しています。中腹の茶室は城崎来日山に対して為、対来閣と名付けられました。
工事中が残念でしたね。先輩がまだ来られ無いので、戻ります。庭を見ていて、庭に降りられそうで、それを聞きに受付まで戻ることにしました。

先輩は、趣味で座禅を何十年とされてます。それで和尚さんとも話しがあったんでしょう、ここで出会ったので、私は受付に戻りました。
受付で拝観コースを聞きましたが、住職さんに再度確認しました。「現在工事中のため一周できるところ、再びここに戻ってくることになります」と言うことでした。
玄関前を右に行き、堂内の東奥まで行けると聞きました。先輩には悪かったけど一人で奥に進みます。
最初に見るのは「鐘楼」です。「願いの鐘」と名付けられた鐘を・・・鐘を撞きません
。


先程、本堂から見ていた「本堂南庭」を、今度は下から見ています。寺の案内では、一番大きな石は、お釈迦様が涅槃された様子を表していると書いてありました。
それでは、本堂の南の参道を奥へ奥へと歩いて行きます。正直、先が見えないので少々不安でしたが・・・。

奥に進んで見えて来たのが、沢庵和尚が8年間住まれていた「投淵軒」です。ここで、多くの和歌をつくり、書物をあらわされました。たくあん漬もここで工夫されたと伝わります。

こちらも沢庵和尚が作庭された「心地の池」でした。何気なく写真を撮ったんですが、ここも沢庵和尚ゆかりの池だったんですね。帰ってから知りました。


この寺の持っても高い所まで上がると、そこには「沢庵和尚供養塔」がありました。沢庵和尚は73歳で、東京品川の東海寺でお亡くなりになりました。

写真では音が伝わらないので分からないでしょうけど、近くに小学校があるので大変賑やかでした
。


下に降りてきて、「仙石政辰(せんごくまさとき)但馬国出石藩3代藩主の墓」を見ました。


次が「仙台久道(せんごくひさみち)但馬国出石藩5代藩主の墓」で、近くに妻と娘の墓もありました・・・が、案内が無いので詳細は不明です。


先輩は住職さんと、また話始めたため上がって来られませんでした。受付で朱印帳を受取、ここを13時22分に出て行きました。
山門を出て、直ぐの所に平成25年NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した主人公・八重の最初の夫「出石藩出身の川崎尚之助供養の碑」がありました。
すっかり忘れてたので帰ってから調べました。今年の大河の主役・明智光秀を演じている長谷川博己さんが川崎尚之助の役だったんですね。
ここからゆっくり歩いて、鉄砲町有料駐車場まで戻りました。今日は城崎あたりまで予定に入れてましたが、先輩と相談して、ここから福知山に帰ることにしました。
13時30分ぐらいに出石を出ました。福知山駅に14時20分頃に戻れたらと思いましたが、途中で無理と判断し先輩の職場に行き、珈琲とお菓子をご馳走になって、ゆっくりさせてもらい、福知山駅には15時15分頃に送って貰いました。
福知山駅の「みどりの窓口」で、特急券と指定券、乗車券を買いました。進行方向の左側を指定すると、残り1席だけ空いてましたね、ラッキーです。今日は天気が良かったので右側に座ると、まともに西日にさらされるので左側が空いてて良かったです。
席に座ってホームを撮りました。天気が良いのが分かって貰えるかと思います。疲れましたが楽しい一日でした
。
二条駅には17時00分に着きました。お土産も買っていたので、荷物が重たかったこともあって妻に向かいに来て貰い帰宅しました。来年は、多分、今日の続きを行こうと約束して別れた次第です。遠路、連れて行ってくれた先輩に感謝してます
。
【宗鏡寺(沢庵寺)】
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ここで先輩は、ご住職に話しかけられて、この先ずっと話し込んでしまったので、私一人で拝観です







宗鏡寺第十二世住持永田豊洲和尚に帰依した福岡県久留米市出身の画家・内野秀美氏の作庭と伝わり、庭の中央に三尊石を配置、全体として禅寺らしい質素な庭園です。



円覚山宗鏡寺は、1392年(元中9年)山名氏の菩提寺として此隈山の麓に創建されました。開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」から名付けられました。しかし山名氏滅亡後永らく荒廃していた寺は、1616年(元和2年)出石城主小出吉英のすすめを受けた沢庵により再興されたました。以来、京都紫野大徳寺派の但馬における中本山として、現在に至ります。通称沢庵寺とも呼ばれ、沢庵和尚手作りの名園は県指定文化財となっています。




工事中が残念でしたね。先輩がまだ来られ無いので、戻ります。庭を見ていて、庭に降りられそうで、それを聞きに受付まで戻ることにしました。


受付で拝観コースを聞きましたが、住職さんに再度確認しました。「現在工事中のため一周できるところ、再びここに戻ってくることになります」と言うことでした。



























すっかり忘れてたので帰ってから調べました。今年の大河の主役・明智光秀を演じている長谷川博己さんが川崎尚之助の役だったんですね。

13時30分ぐらいに出石を出ました。福知山駅に14時20分頃に戻れたらと思いましたが、途中で無理と判断し先輩の職場に行き、珈琲とお菓子をご馳走になって、ゆっくりさせてもらい、福知山駅には15時15分頃に送って貰いました。
福知山駅の「みどりの窓口」で、特急券と指定券、乗車券を買いました。進行方向の左側を指定すると、残り1席だけ空いてましたね、ラッキーです。今日は天気が良かったので右側に座ると、まともに西日にさらされるので左側が空いてて良かったです。


二条駅には17時00分に着きました。お土産も買っていたので、荷物が重たかったこともあって妻に向かいに来て貰い帰宅しました。来年は、多分、今日の続きを行こうと約束して別れた次第です。遠路、連れて行ってくれた先輩に感謝してます

【宗鏡寺(沢庵寺)】
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