南山城古寺巡礼 蟹満寺へ

2014年(平成2年)4月22日(火)~6月15日(日)に京都国立博物館 明治古都館(本館)において、「南山城の古寺巡礼展」が開催され、私も行きました。南山城の古寺のなかで、木津川流域に点在する「禅定寺」「寿宝寺」「蟹満寺」「神童寺」「観音寺」「酬恩庵 一休寺」といった国の指定文化財となっている十一面観音立像や千手観音立像、釈迦如来坐像といった数多くの仏像が展示されました。その時から、実際に現地で見てみたいと思っていたところ友人から誘われたこともあって10月29日(木)に行ってきました。

このなかで、2015年(平成26年)5月22日に「禅定寺」だけは京都定期観光バスのツアーで現地にて十一面観音立像(国宝)は見せて貰いました。そしてこの日は、先ず「蟹満寺」を目指すため、自宅を6時過ぎに出発。友人は「国道24号線で良いか?」と聞いてきたので、土地勘が無いので「コースは任せる」と。ただ、朝の通勤ラッシュのため現地に着いたのが8時48分でした。

国道24号線は宇治市、城陽市を通るので渋滞してました。府道70号線(上泊城陽線)を走っていると木津川の支流にさしかかる手前に「蟹満寺」と大きな標識が出ているので車は左折し、川沿いを東に向いて走ります。そして前方に「蟹満寺」と、また大きな標識が出ているので右折し、南に車を走らせたらやっと着くことが出来ました。

CIMG4036.jpg蟹満寺の駐車場に前途したとおり8時48分に着きました。家を6時50分に出てるので約2時間もかかりました。

CIMG4017.jpgCIMG4035.jpg駐車場を出て向かいの蟹満寺境内の東側から入りました。ここは拝観受付が8時からと書いてあったので大丈夫だと思いますが、そのまま中に入って行きました。

CIMG4020.jpg境内を横切り、「山門」を出て写真を撮りました。2010年(平成22年)に本堂とともに修復工事されたようで、綺麗でした。

CIMG4018.jpg山門をくぐって、正面に「本堂」を見ています。先程の「山門」と同様に、こちらも綺麗に修復されたようです。

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境内は、こぢんまりとしています。毎年4月18日「蟹供養放生会」が営まれる時は、多くの参拝者で賑わうでしょうけど、この時間では誰も居ません。

「今昔物語集」にあるカニの恩返しの説話で知られる木津川市山城町の「蟹満寺(かにまんじ)」では、毎年18日に蟹供養放生会が営まれます。今年は新型コロナウイルス拡大防止のため、参拝者なしで行われたが、住職が境内にサワガニを放ち、命の恵みに感謝されました。例年は300~4400人の参拝が来られるそうですが、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために一切の参拝を控えてもらい、中野泰倫住職が静かに法要を営まれました。

CIMG4025.jpg拝観受付所」に人は居ません。ベルを押したら中からお寺の方が出て来られて拝観料500円を納めました。そして御朱印もです。

お寺の方より、本堂の西側から堂内に入るように案内されました。そして「音声ガイドのボタンを押して聞いて下さい」と。それで友人と二人して堂内に入ると、内陣中央に国宝「釈迦如来坐像」が安置されてました。

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ご本尊 国宝「釈迦如来」白鳳時代の名作 丈六金銅仏(高さ2.4㍍、重さ2.2㌧)造立は奈良時代以前と考えられています。

2014年(平成2年)4月22日(火)~6月15日(日)に京都国立博物館 明治古都館(本館)において、「南山城の古寺巡礼展」が開催された時、ショップにて蟹満寺のポストカードを買ってました。少し家の中を探しましたが、出て来ました

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堂内に、蟹満寺のガイド本が置いてありました。支納方式で500円を納め置きました。

蟹満寺の創建は七世紀後半の白鳳期に遡り、秦氏の一族秦和賀によって建立。境内周辺の発掘調査で、背後の天神川を超えてほぼ方二町の広大な寺域を有していたことが分かりました。南山城のの中核寺院でしたが、平安時代に大規模な火災に遭い荒廃しましたが、江戸時代初期、真言宗智山派の寺院として復興しました。

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台座に乗られている、ご本尊の国宝 釈迦如来坐像は、創建以来約1300年、動かれていません。遠路、これだけを見に来たようなものでした。圧巻でした。

テープを聴いていると、「蟹満寺縁起」が流れました。長い話しを割愛すると・・・農家の娘に助けられたカニが、ヘビからの求婚を受けた娘の窮地を知りヘビと一晩中戦い、退治したというもの。その時死んだカニとヘビを弔い、観音堂を建てたのが蟹満寺の起源とされている・・・と言う話でした。

また、内陣の右側には、「不動明王立像」「厄除 聖観世音菩薩坐像」「地蔵菩薩立像」を安置。左には「弘法大師坐像」「阿弥陀如来立像」「興教大師坐像」が安置されてました。

CIMG4028.jpgテープを聴き、圧巻のご本尊にお参りさせて貰って、ここを出ました。写真は本堂から見た「山門」です。

EPSON043a.jpgこちらは「蟹満寺扁額」で、バンフに載ってました。私も帰ってから写真を確認しましたが無かったんですが・・・

CIMG4021.jpg朱印帳は、「拝観受付所」に置いてあったので受け取って、境内を散策です。こちらは「蟹供養塔」です。

CIMG4022.jpgCIMG4023.jpgCIMG4024.jpgまた、本堂前には「七重石塔」や「十三重石塔」(鎌倉時代後期作)、そして横には「悟无(な)き蟹だに猶(なほ) 恩を受くれば恩を返報(かえ)す 豈(あに) 人にして恩を忘れる應(べ)からむや」と書かれていました。

CIMG4029.jpgCIMG4034.jpgCIMG4030.jpg駐車場に戻る東側には「地蔵堂」が、そして「南無大師遍照金剛」と書かれた真言宗のお経で、「修行大師石像」がありました。

CIMG4031.jpgCIMG4037.jpg最期に「千体地蔵」を撮って、ここを出て行きました。そこには「いとけなき童のために父母となり あわれみ給うぞ有り難き 南無や大悲の地蔵尊」と書かれてました。

駐車場に戻り、友人は次の目的地の道順を探します。案内では道が狭いと書いてあったのでナビに入れてる間に、私は駐車場にお隣の神社に向かいました。

【蟹満寺】

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