人里離れた山寺に かくれた文化財の宝庫 金剛寺「南朝後村上天皇行在所」魔尼院へ

金剛寺の「天皇御在所・宝物館・庭園」を出て、次に本坊で案内された「南朝後村上天皇行在所魔尼院に向かいました。

CIMG4303.jpgここに来た時、まだ閉門していた表門を見ています。ここをゆっくり上がって行き、ここから入ります。

CIMG4302.jpgここを入る前に、先程見て来た「奥殿(北朝行在所)」がありました。こんなに近く、南朝と北朝が隣接して住まわれてました。

CIMG4301.jpgCIMG4300.jpg入口の石碑には「南朝後村上天皇行在所 魔尼院」と書かれています。共通券を購入したら、ここを無料で入れます。

CIMG4298.jpgCIMG4278.jpg9時19分に、玄関から入ると、正面に受付があるので拝観券を見せて靴を脱いで上がりました。聞くと普段は土日祝日は開いているそうです。(10月・11月)

CIMG4282.jpg表門」を入って、「土間」から上がりました。写真撮影は「上の間」だけNGでした。ここの創立や沿革は不明だそうです。

南北朝時代の1354年(正平9年)~1359年(正平14年)まで南朝第97代後村上天皇の行在所にあてられました。表門と築地塀、書院は重要文化財に指定されています。

CIMG4283.jpgCIMG4284.jpgCIMG4288.jpgCIMG4289.jpgCIMG4285.jpg誰も居なかったので、「書院」廻りの庭園を撮りました。先程、見事な庭園を見て来たから見劣りします。そして、ここには「土蔵」もありました。

重要文化財に指定されてる書院は、茅葺きで妻側に土間と玄関を配しています。南面に3室が表となり公的な部分、北面は4室で、裏となり私的な部分と考えられます。

CIMG4286.jpgCIMG4290.jpgCIMG4294.jpgCIMG4291.jpgここが、後村上天皇の行宮「南朝政治の舞台」となりました。魔尼院は、100あった子院の一つです。

第97代後村上天皇は、父は足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した第96代後醍醐天皇。南北朝時代に入り、後村上天皇は京を追われ、人質だった北朝三上皇と供に、行宮を転々と移した。ここ金剛寺には約5年滞在されました。

CIMG4293.jpgCIMG4292.jpgさほど広くもないので、御在所をたっぷり拝見て、9時24分に「土間」から出て行きました。

CIMG4295.jpgCIMG4297.jpgCIMG4299.jpg私らが入っている間、誰も来られ無かったです。北朝と南朝が供に、こんな近くに住まわれていたとは・・・驚きました。

今日、遠路河内長野まで来たのは、国宝三尊を見ることでした。次はいよいよ、そちらに向かいますし、楽しみです。

【金剛院 魔尼院】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック