人里離れた山寺に かくれた文化財の宝庫 金剛寺「国宝 三尊」へ
天野山 金剛寺 後村上天皇の南朝御在所であった「魔尼院」を出て、今日、ここに来たメインの「国宝三尊」を見に行きます。
「国宝三尊」(11月1日~5日)「日月四季山水図屏風」(11月1日~3日)の特別公開をお知らせするポスターです。
行きは閉まっていた「楼門」(重文)は、開いています。拝観受付は、ここを入って左手に見えています。
入る前に、ここの仁王像を見て行きます。(上)「持国天立像」鎌倉時代の作で重要文化財に指定。(下)「増長天立像」鎌倉時代の作で、こちらも重要文化財に指定されています。
楼門から境内を見ています。左手のテントに「拝観受付所」があったので、共通券を差し出し、半券を切られました。
この前に「納経所」があったので、参拝の前に先に朱印帳を出しました。ここは番号札を貰い、帰りに受け取る方式です。なお、御朱印は3種でした。
最初に注目するのは「食堂(天野殿)」(重文)です。 97代後村上天皇(南朝)が、1354年(天平9年)~1359年(天平14年)まで、行宮(あんぐう)(仮の御所)として使用された建物です。建物の前方には城郭や寺院に見られる檜皮葺の唐破風があって、日本特有の建築技法が使われています。
次の「金堂」に行くに石段を上がります。その前で左(手水舎)から右(金堂)へ撮って見ました。ここも柄杓は無かったです。
「国宝 三尊」が祀られている重要文化財に指定されてる「金堂」です。1178年(治承2年)の創建で、創建以来火災に遭っていません。
金堂に上がるとき「チケットを見せて下さい」と言われました。先程、受付でチケットの半券を切ってもらったので、もう入らないと思い、鞄にしまいました。鞄を探しても出て来ないし困ったなぁ・・・と思ったら友人がチケットを出したので、同行と見なされて私も入れました。帰ってから鞄を見ると、奥底にありました・・・。堂内に入ると、普段は格子があるのに、全て取り除かれており、目の前に素晴らしい国宝三尊像が、そこにありました。
金堂に安置されているご本尊の「大日如来坐像」脇侍「降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)」(左)、「不動明王坐像」(右)は全て国宝です。
金色に輝く、ご本尊の大日如来坐像は、1178年(治承2年)の金堂創建以来、ずっと座り続けられています。金箔も創建当時のままだと、10月9日(金)にMBS毎日放送で放送された時、出演つれた座主の方が説明されていました。兵火に遭わなかったのは稀で、奇跡でしょうね。金剛寺が多くの荘園を所有していて財力があったこと、その財力でお酒を造っていたことが要因じゃないかなぁ・・・と言われてました。それにしても遠路来て見て本当に良かったです。私も友人も暫く動けなかったです。
「金堂」を出たら向かいの「多宝塔」(重文)を見ました。平安時代の創建で、1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって修理の際に大改造されたことが昭和の修理で分かりました。
次に、また石段を上がります。左から「薬師堂」「五仏堂」「御影堂」と並んでいます。
「薬師堂」(大阪府指定文化財)は、平安時代の建物。"お薬師さま"の呼び名で親しまれています。薬師如来立像が本尊(重文)です。新型コロナウイルスの終息を願いました。
「薬師堂」の奥には、「天野山新四国八十八ヶ所霊場」がありましたが、倒木のため通行止めになってました。同じ真言宗の仁和寺にも「御室八十八ヶ所霊場」がありますね。
「天野山新四国八十八ヶ所霊場」の入口のさらに奥に「宝蔵(ほうぞう)(重文)」があって、さすがに、この前には行きませんでした。
「五仏堂」(大阪府指定文化財)は、本尊(重文)は五智如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が祀られています。
「御影堂」(重文)は、平安時代に創建。真如親王筆の弘法大師御影を奉安し、1172年(承安2年)に御影供を始修されました。
「観月亭」(重文)は、南北朝の天皇上皇が観月されたところで、吉野朝時代に付け足されたもの。ただ、上がることはできせん。
このエリアで最も奥にあるのが「閼伽井屋(重文)」です。方一間、唐破風造、檜皮葺となっています。閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」と呼びます。
ここから「楼門」や「金堂」を見ています。境内の真ん中に「後村上天皇お手植え桜」が見えています。
ここから、させに石段を上がると「法具蔵(ほうぐぐら)(大阪府指定有形文化財)」がありました。案内版には重要文化財に指定とありました。格上げされたのかなぁ。
その横には「護摩堂(大阪府指定有形文化財)」で、護摩をたき修法を行うための仏堂です。こちらの案内版も重要文化財に指定とありました。格上げされたのかなぁ。
さらに石段を上がって「開山堂(重文)」を見ました。多分、大阪府指定有形文化財を消して、重要文化財と書かれているのでしょう、ここから重文と表示します。附石造三重塔が二基堂内に見られました。
金剛寺で最も高い所にあるのが「光厳天皇分骨所」で、宮内庁の管轄です。北朝初代天皇ですね。後醍醐天皇の失脚を受けて皇位に即いたが、鎌倉幕府の滅亡により復権した後醍醐が自身の廃位と光厳の即位を否定したため、歴代天皇126代の内には含まれず北朝初代とされる。
ここから境内を見てみると・・・眺望はダメでした。お堂の屋根ぐらいです・・・下から、ここが見えないので納得ですね。
けっこう急な石段を降りてきて、その降りて来た所に「鐘楼(重文)」がありました。南北朝時代の頃の建物で、金剛寺では珍しい、唐様の様式を取り入れている。
「鐘楼」を降りた、この先にある門は、「北門」で、先程見て来た「魔尼院(南朝御在所)」と「奥殿(北朝御在所)」は、この近くです。
最後に見たのが「経蔵(重文)」で、土蔵造、切妻造、桟瓦葺で、大阪府指定文化財から重要文化財に格上げされたようです。
帰りに朱印帳を受取ました。参拝者は数えるほどしか来られてません。平日でも、特別公開を考えると少ないです。交通の便が悪いからでしょうか。
9時58分に楼門を出て、駐車場に戻ると途中に「鎮守橋」と「水掛三蔵尊」を撮りました。この先も興味あったけど・・・止めました。
参向まで、金剛寺の重要文化財を調べました。「五仏堂」「薬師堂」「閼伽井屋」「護摩堂」「法具蔵」「求聞持堂」「開山堂」「宝蔵」「経蔵」「弁財天社本殿」「八大龍王善女龍王社本殿」「天照皇代大神社本殿」「築地塀(二所)」「鎮守水分明神社本殿」「鎮守丹生高野明神社本殿」「鎮守社拝殿」「鎮守社鐘楼」「旧理趣院表門」「旧真福院表門」「南門」「総門」「摩尼院 表門」「摩尼院 築地塀(二所)」でした。
友人が次の目的地を調べ、10時頃に出発しました。次は和歌山県に入ります。私にとっては久し振りの和歌山です。
【河内長野 金剛寺】
「国宝三尊」(11月1日~5日)「日月四季山水図屏風」(11月1日~3日)の特別公開をお知らせするポスターです。
行きは閉まっていた「楼門」(重文)は、開いています。拝観受付は、ここを入って左手に見えています。
入る前に、ここの仁王像を見て行きます。(上)「持国天立像」鎌倉時代の作で重要文化財に指定。(下)「増長天立像」鎌倉時代の作で、こちらも重要文化財に指定されています。
楼門から境内を見ています。左手のテントに「拝観受付所」があったので、共通券を差し出し、半券を切られました。
この前に「納経所」があったので、参拝の前に先に朱印帳を出しました。ここは番号札を貰い、帰りに受け取る方式です。なお、御朱印は3種でした。
最初に注目するのは「食堂(天野殿)」(重文)です。 97代後村上天皇(南朝)が、1354年(天平9年)~1359年(天平14年)まで、行宮(あんぐう)(仮の御所)として使用された建物です。建物の前方には城郭や寺院に見られる檜皮葺の唐破風があって、日本特有の建築技法が使われています。
次の「金堂」に行くに石段を上がります。その前で左(手水舎)から右(金堂)へ撮って見ました。ここも柄杓は無かったです。
「国宝 三尊」が祀られている重要文化財に指定されてる「金堂」です。1178年(治承2年)の創建で、創建以来火災に遭っていません。
金堂に上がるとき「チケットを見せて下さい」と言われました。先程、受付でチケットの半券を切ってもらったので、もう入らないと思い、鞄にしまいました。鞄を探しても出て来ないし困ったなぁ・・・と思ったら友人がチケットを出したので、同行と見なされて私も入れました。帰ってから鞄を見ると、奥底にありました・・・。堂内に入ると、普段は格子があるのに、全て取り除かれており、目の前に素晴らしい国宝三尊像が、そこにありました。
金堂に安置されているご本尊の「大日如来坐像」脇侍「降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)」(左)、「不動明王坐像」(右)は全て国宝です。
金色に輝く、ご本尊の大日如来坐像は、1178年(治承2年)の金堂創建以来、ずっと座り続けられています。金箔も創建当時のままだと、10月9日(金)にMBS毎日放送で放送された時、出演つれた座主の方が説明されていました。兵火に遭わなかったのは稀で、奇跡でしょうね。金剛寺が多くの荘園を所有していて財力があったこと、その財力でお酒を造っていたことが要因じゃないかなぁ・・・と言われてました。それにしても遠路来て見て本当に良かったです。私も友人も暫く動けなかったです。
「金堂」を出たら向かいの「多宝塔」(重文)を見ました。平安時代の創建で、1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって修理の際に大改造されたことが昭和の修理で分かりました。
次に、また石段を上がります。左から「薬師堂」「五仏堂」「御影堂」と並んでいます。
「薬師堂」(大阪府指定文化財)は、平安時代の建物。"お薬師さま"の呼び名で親しまれています。薬師如来立像が本尊(重文)です。新型コロナウイルスの終息を願いました。
「薬師堂」の奥には、「天野山新四国八十八ヶ所霊場」がありましたが、倒木のため通行止めになってました。同じ真言宗の仁和寺にも「御室八十八ヶ所霊場」がありますね。
「天野山新四国八十八ヶ所霊場」の入口のさらに奥に「宝蔵(ほうぞう)(重文)」があって、さすがに、この前には行きませんでした。
「五仏堂」(大阪府指定文化財)は、本尊(重文)は五智如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が祀られています。
「御影堂」(重文)は、平安時代に創建。真如親王筆の弘法大師御影を奉安し、1172年(承安2年)に御影供を始修されました。
「観月亭」(重文)は、南北朝の天皇上皇が観月されたところで、吉野朝時代に付け足されたもの。ただ、上がることはできせん。
このエリアで最も奥にあるのが「閼伽井屋(重文)」です。方一間、唐破風造、檜皮葺となっています。閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」と呼びます。
ここから「楼門」や「金堂」を見ています。境内の真ん中に「後村上天皇お手植え桜」が見えています。
ここから、させに石段を上がると「法具蔵(ほうぐぐら)(大阪府指定有形文化財)」がありました。案内版には重要文化財に指定とありました。格上げされたのかなぁ。
その横には「護摩堂(大阪府指定有形文化財)」で、護摩をたき修法を行うための仏堂です。こちらの案内版も重要文化財に指定とありました。格上げされたのかなぁ。
さらに石段を上がって「開山堂(重文)」を見ました。多分、大阪府指定有形文化財を消して、重要文化財と書かれているのでしょう、ここから重文と表示します。附石造三重塔が二基堂内に見られました。
金剛寺で最も高い所にあるのが「光厳天皇分骨所」で、宮内庁の管轄です。北朝初代天皇ですね。後醍醐天皇の失脚を受けて皇位に即いたが、鎌倉幕府の滅亡により復権した後醍醐が自身の廃位と光厳の即位を否定したため、歴代天皇126代の内には含まれず北朝初代とされる。
ここから境内を見てみると・・・眺望はダメでした。お堂の屋根ぐらいです・・・下から、ここが見えないので納得ですね。
けっこう急な石段を降りてきて、その降りて来た所に「鐘楼(重文)」がありました。南北朝時代の頃の建物で、金剛寺では珍しい、唐様の様式を取り入れている。
「鐘楼」を降りた、この先にある門は、「北門」で、先程見て来た「魔尼院(南朝御在所)」と「奥殿(北朝御在所)」は、この近くです。
最後に見たのが「経蔵(重文)」で、土蔵造、切妻造、桟瓦葺で、大阪府指定文化財から重要文化財に格上げされたようです。
帰りに朱印帳を受取ました。参拝者は数えるほどしか来られてません。平日でも、特別公開を考えると少ないです。交通の便が悪いからでしょうか。
9時58分に楼門を出て、駐車場に戻ると途中に「鎮守橋」と「水掛三蔵尊」を撮りました。この先も興味あったけど・・・止めました。
参向まで、金剛寺の重要文化財を調べました。「五仏堂」「薬師堂」「閼伽井屋」「護摩堂」「法具蔵」「求聞持堂」「開山堂」「宝蔵」「経蔵」「弁財天社本殿」「八大龍王善女龍王社本殿」「天照皇代大神社本殿」「築地塀(二所)」「鎮守水分明神社本殿」「鎮守丹生高野明神社本殿」「鎮守社拝殿」「鎮守社鐘楼」「旧理趣院表門」「旧真福院表門」「南門」「総門」「摩尼院 表門」「摩尼院 築地塀(二所)」でした。
友人が次の目的地を調べ、10時頃に出発しました。次は和歌山県に入ります。私にとっては久し振りの和歌山です。
【河内長野 金剛寺】
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