ペリーの来航を機に紀州藩が海防に取り組んだ番所の鼻「番所庭園」へ
名勝 養翠園の駐車場を出て、水軒川沿いを進み、水軒川の河口に出ます。そして水軒大橋を渡り、次の交差点を右折。そこには「番所庭園」の大きな看板が出ています。そこから海岸通りの登りの開始です。しばらく登りが続き、雑賀崎の交差点を右折しますが、そこにも「番所庭園」の大きな看板が出ています。まだまだ登りは続きますが、道路は狭くなります。新和歌浦梅原線を走ってますが、ある地点を過ぎると今度は下って行きますが、道路は狭いです。まもまく到着の手前に「和歌の浦 紀州温泉 雑賀の湯 双子島荘」があって、以前、友人がここに宿泊したので、次の目的地である「番所庭園(ばんどこていえん)」を知っていた訳です。
13時50分に着きました。着くと「庭園入口」に向かい、そこで入園料600円と駐車料金500円を払います。
番所庭園は、「番所の鼻」といって平坦で海に長く突き出た地形です。その尖端に向けて綺麗な庭園が整備されてました。
「み熊野 の浦の濱木綿(はまゆう)百重(ももへ)なす 心は思へど 直(ただ)に逢はぬかも」柿本人麻呂(万葉集巻4-496)
ここから南を見れば「雑賀崎灯台」の先端が見えています。ここから、まだまだ先端に歩いて行くと、灯台の全景が見えてくるでしょう。
雑賀崎は、瀬戸内海国立公園の入り口にあり、2017年(平成29年)4月に文化庁から認定された日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」を構成する景勝地です。
まだまだ先にある先端の途中に「灯台 展望台」と書かれた場所が。ここにかつて灯台が・・・ではなく、「雑賀崎灯台」を見るための展望台でしょう。
ここから南の海を見ると、逆光でも綺麗です。遠くに「沖ノ島」と「地ノ島」が見えています。
次に、北側に目を向けると「元番所 台場遺跡」と書かれた石碑がありました。ここは、かつて江戸時代より紀州藩の海上への見張り「番所」が置かれてました。
ここから海岸に降りて行けます。お一人、海釣りをされてました。誰でも降りて行けますが、私らは降りません。
友人が「ここから淡路島が見えるよ」と言ってくれて、こちらの方向は和歌山の港ですね。遠くに「友ヶ島」が見えています。
こちらが「淡路島」です。この時は、私は「明石海峡大橋」を探していました。見える訳ないですね、帰って地図を見ると、南淡路が見えてました。
選択に近づくと、ここで再び万葉集の石碑かあって、現代訳の「紀の国雑賀の海岸に 出かけて行って眺めると 漁師の燃やすともし火が 波のむこうに見えている」と書かれてました。
「紀伊(き)の国の狭日賀(さいが)の浦に出(い)で見れば海人(あま)の燈火(ともしび)波の間(ま)」藤原卿巻(7-1194)
番所庭園の有るここは、地図にも出ている様に「番所の鼻」と言い、平坦で海に長く突き出た地形で、紀州藩は海の防備見張りのため遠見番所を設けました。
ここから右が「大島(男島)」、左が「中之島(女島)」、そして、その奥が「双子島」です。天気が良いので綺麗です。
先程も見ましたが、案内版を見ると、遠く六甲山まで見えるみたいです。それより奥に「淡路島」手前に「四国」・・・徳島県鳴門市が見えてました。
雑賀浦の向こうに見えている和歌山港の工場は、「新日鐵和歌山製鉄所」でした。
「番所の鼻」では、紀州藩領の長い海岸線十数ヶ所に番所を造りました。ここはその中でも和歌山城に最も近い番所として、狼烟場と共に重要な所で、遠見番所は鷹の巣山頂へ移転したので、ここは「元番所 」とも呼ばれています。1853年(嘉永6年)米国ペリーの来航を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年1854年(安政元年)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が、当庭園大芝生の所に構築されました。紀州藩が出版した異船記には、この元番所お台場全体の鳥瞰絵図や大砲・鉄砲・人員の配置などが詳細に記載されています。
ここの芝生では、バーベキューが出来ます。海釣りも楽しめますが、一組二名の方がバーベキューされてました。
帰りは、主に北側の苑路を歩きました。そこには浜辺もありましたが、友人曰く「和歌の浦 紀州温泉 雑賀の湯 双子島荘」のプライベートビーチだそうです。
友人は、ここで宿泊し泳いだそうです。浮き輪を付けて「番所の鼻」を一周したそうで、良くやるなぁ・・・と。
14時9分に、駐車場まで戻って来ました。ざっと「番所の鼻」を一周し綺麗な庭園を見させて貰いました。海風が心地よかったですね。
駐車場から、以前行ったことがある「黒潮市場」に向かいましたが、着いて駐車料金を見ると1500円もするので、入口でUターン、ここから海南東ICから高速道路に入るつもりが、行き過ぎて結局、和歌山南ICから阪和自動車道に乗りました。そして初めて関西国際空港を車窓から見られましたね、感激です。車は、その先の「岸和田SA」に入り、遅い昼食を摂るため止まりました。
日が暮れるのが早くなったので、夕日に照らされていますが、15時33分に着きました。
入ると、レストランは閉店してました。早すぎるやろ・・・と。少しムッとしましたが、ここの「スナックコーナー・フードコート」にて、「カツカレー」を食べました。
帰りに「ショッピングコーナー」で、土産物を買いました。和歌山の土産と違って、大阪でしたが、家族は喜んでくれました。
16時頃に、岸和田SAを出て行きました。阪和自動車道も第二京阪道路も、京都縦貫道も渋滞なしで抜けられて、家に着いたのが17時30分、既に真っ暗となってました。一日中運転してくれた友人に感謝ですね。
【番所庭園】
【岸和田SA】
13時50分に着きました。着くと「庭園入口」に向かい、そこで入園料600円と駐車料金500円を払います。
番所庭園は、「番所の鼻」といって平坦で海に長く突き出た地形です。その尖端に向けて綺麗な庭園が整備されてました。
「み熊野 の浦の濱木綿(はまゆう)百重(ももへ)なす 心は思へど 直(ただ)に逢はぬかも」柿本人麻呂(万葉集巻4-496)
ここから南を見れば「雑賀崎灯台」の先端が見えています。ここから、まだまだ先端に歩いて行くと、灯台の全景が見えてくるでしょう。
雑賀崎は、瀬戸内海国立公園の入り口にあり、2017年(平成29年)4月に文化庁から認定された日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」を構成する景勝地です。
まだまだ先にある先端の途中に「灯台 展望台」と書かれた場所が。ここにかつて灯台が・・・ではなく、「雑賀崎灯台」を見るための展望台でしょう。
ここから南の海を見ると、逆光でも綺麗です。遠くに「沖ノ島」と「地ノ島」が見えています。
次に、北側に目を向けると「元番所 台場遺跡」と書かれた石碑がありました。ここは、かつて江戸時代より紀州藩の海上への見張り「番所」が置かれてました。
ここから海岸に降りて行けます。お一人、海釣りをされてました。誰でも降りて行けますが、私らは降りません。
友人が「ここから淡路島が見えるよ」と言ってくれて、こちらの方向は和歌山の港ですね。遠くに「友ヶ島」が見えています。
こちらが「淡路島」です。この時は、私は「明石海峡大橋」を探していました。見える訳ないですね、帰って地図を見ると、南淡路が見えてました。
選択に近づくと、ここで再び万葉集の石碑かあって、現代訳の「紀の国雑賀の海岸に 出かけて行って眺めると 漁師の燃やすともし火が 波のむこうに見えている」と書かれてました。
「紀伊(き)の国の狭日賀(さいが)の浦に出(い)で見れば海人(あま)の燈火(ともしび)波の間(ま)」藤原卿巻(7-1194)
番所庭園の有るここは、地図にも出ている様に「番所の鼻」と言い、平坦で海に長く突き出た地形で、紀州藩は海の防備見張りのため遠見番所を設けました。
ここから右が「大島(男島)」、左が「中之島(女島)」、そして、その奥が「双子島」です。天気が良いので綺麗です。
先程も見ましたが、案内版を見ると、遠く六甲山まで見えるみたいです。それより奥に「淡路島」手前に「四国」・・・徳島県鳴門市が見えてました。
雑賀浦の向こうに見えている和歌山港の工場は、「新日鐵和歌山製鉄所」でした。
「番所の鼻」では、紀州藩領の長い海岸線十数ヶ所に番所を造りました。ここはその中でも和歌山城に最も近い番所として、狼烟場と共に重要な所で、遠見番所は鷹の巣山頂へ移転したので、ここは「元番所 」とも呼ばれています。1853年(嘉永6年)米国ペリーの来航を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年1854年(安政元年)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が、当庭園大芝生の所に構築されました。紀州藩が出版した異船記には、この元番所お台場全体の鳥瞰絵図や大砲・鉄砲・人員の配置などが詳細に記載されています。
ここの芝生では、バーベキューが出来ます。海釣りも楽しめますが、一組二名の方がバーベキューされてました。
帰りは、主に北側の苑路を歩きました。そこには浜辺もありましたが、友人曰く「和歌の浦 紀州温泉 雑賀の湯 双子島荘」のプライベートビーチだそうです。
友人は、ここで宿泊し泳いだそうです。浮き輪を付けて「番所の鼻」を一周したそうで、良くやるなぁ・・・と。
14時9分に、駐車場まで戻って来ました。ざっと「番所の鼻」を一周し綺麗な庭園を見させて貰いました。海風が心地よかったですね。
駐車場から、以前行ったことがある「黒潮市場」に向かいましたが、着いて駐車料金を見ると1500円もするので、入口でUターン、ここから海南東ICから高速道路に入るつもりが、行き過ぎて結局、和歌山南ICから阪和自動車道に乗りました。そして初めて関西国際空港を車窓から見られましたね、感激です。車は、その先の「岸和田SA」に入り、遅い昼食を摂るため止まりました。
日が暮れるのが早くなったので、夕日に照らされていますが、15時33分に着きました。
入ると、レストランは閉店してました。早すぎるやろ・・・と。少しムッとしましたが、ここの「スナックコーナー・フードコート」にて、「カツカレー」を食べました。
帰りに「ショッピングコーナー」で、土産物を買いました。和歌山の土産と違って、大阪でしたが、家族は喜んでくれました。
16時頃に、岸和田SAを出て行きました。阪和自動車道も第二京阪道路も、京都縦貫道も渋滞なしで抜けられて、家に着いたのが17時30分、既に真っ暗となってました。一日中運転してくれた友人に感謝ですね。
【番所庭園】
【岸和田SA】
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