綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われている「綺原坐健伊那大比賣神社」(俗称:綺原神社)へ
蟹満寺を出て、ほぼ正面にある「綺原坐健伊那大比賣神社(きはらにいますたていなだひめじんじゃ) 」、俗称「綺原神社(かんばらじんじゃ)」に私だけ寄りました。
急いで、鳥居に向かうと、鳥居の扁額には「綺原神社」、左には「綺原坐健伊那大比賣神社」と書かれた社号標がありました
鳥居をくぐって石段を登りますが、右手に「手水舎」がありましたが、水はありません。
石段を上がりきると、南向きに「拝殿」が奥に「本殿」がありました。祭神は、健伊那大比売(たていなだひめ)と書かれてました。
ここに鎮座されている綺原(かんばら)神社は、大日本史・日本書紀・延喜式には綺原坐伊那太比売神社として記述されており、健伊那大比売(たていなだひめ)とされ、“たて”は健康、“いなだ”は稲田で、達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。ここの地名“綺田”(かばた)は、その昔、紙織(かむはた)または神織(かむはた)とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社と言われており、綺(かば)氏一族(秦氏一族)の創祀だと言われております。
次に本殿の右側の末社を見ていきます。右から「春日神社」「倉稲魂神社」「天神社」「九元神社」「市杵島姫神社」「春日神社」でした。
こちらは何も書いてありませんが、菅原道真公を祀る「天神社」でしょうか詳細は不明です。
次に本殿左側です。右から「天照皇大神宮」「蛭子社」でした。由緒に書かれていた「八王子社」が見当たりませんが・・・。
境内の片隅に「遙拝所」があって、何も書いてませんが、方向からみて伊勢神宮だと思われます。
蟹満寺で車の中でナビを操作している友人に申し訳ないので、早々に写真だけ撮って出て行きました。ひょっとしたら友人も来るかなぁ・・・と思っていたんですが・・・。
車に戻ると地図を見ていた友人が、「だいたい分かったから」と言って、9時14分に車を出しました。
【綺原坐健伊那大比賣神社】京都府木津川市
急いで、鳥居に向かうと、鳥居の扁額には「綺原神社」、左には「綺原坐健伊那大比賣神社」と書かれた社号標がありました
鳥居をくぐって石段を登りますが、右手に「手水舎」がありましたが、水はありません。
石段を上がりきると、南向きに「拝殿」が奥に「本殿」がありました。祭神は、健伊那大比売(たていなだひめ)と書かれてました。
ここに鎮座されている綺原(かんばら)神社は、大日本史・日本書紀・延喜式には綺原坐伊那太比売神社として記述されており、健伊那大比売(たていなだひめ)とされ、“たて”は健康、“いなだ”は稲田で、達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。ここの地名“綺田”(かばた)は、その昔、紙織(かむはた)または神織(かむはた)とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社と言われており、綺(かば)氏一族(秦氏一族)の創祀だと言われております。
次に本殿の右側の末社を見ていきます。右から「春日神社」「倉稲魂神社」「天神社」「九元神社」「市杵島姫神社」「春日神社」でした。
こちらは何も書いてありませんが、菅原道真公を祀る「天神社」でしょうか詳細は不明です。
次に本殿左側です。右から「天照皇大神宮」「蛭子社」でした。由緒に書かれていた「八王子社」が見当たりませんが・・・。
境内の片隅に「遙拝所」があって、何も書いてませんが、方向からみて伊勢神宮だと思われます。
蟹満寺で車の中でナビを操作している友人に申し訳ないので、早々に写真だけ撮って出て行きました。ひょっとしたら友人も来るかなぁ・・・と思っていたんですが・・・。
車に戻ると地図を見ていた友人が、「だいたい分かったから」と言って、9時14分に車を出しました。
【綺原坐健伊那大比賣神社】京都府木津川市
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