「安珍と清姫の物語」で知られる道成寺へ
11月24日(火)は、11月5日(木)に引き続き、和歌山県を訪れました。当初の予定では、11月20日(金)に行く筈が、前日に友人がトラブルに巻き込まれたため、この日になりましたが、天候は雲一つない絶好の晴天に恵まれました。
この日の最初の目的地は、和歌山県日高郡日高川町にある有名なお寺です。事前に調べると3時間程度かかるようで、友人との待ち合わせは6時20分頃にしてましたが、5時50分頃に来てくれました。まだ支度ができてなかったので、10分ぐらい待ってもらい、6時頃に家を出発、コースは、11月5日と同様に国道9号線から沓掛の信号を左折し、大原野ICから高速道路に入ります。京都縦貫道から京滋バイパス、第二京坂自動車道と経由して近畿自動車道に入り、そのまましばらく南下し、松原JCTから阪和自動車道に入りました。ここから和歌山まで道なりにつづきますが、途中の岸和田SA(下り)で友人が休憩をするため寄りました。
この時、7時42分。車から降りると温度計は6℃と表示されていて、大変寒かったです。ここまで1時間40分渋滞もなく無事来られました。
ここで休憩をして再び阪和自動車道に入り、大阪府から和歌山県に入り、和歌山市を通過、海南市を通過、有田市を通過します。車窓からは、オレンジ色に熟したミカン畑が続き、さすがにミカンどころの和歌山に来たんだなぁ・・・と実感できますね。そして和歌山県日高郡日高川町にある川辺ICで阪和自動車道を降り、ナビの誘導で道成寺の駐車場に8時46分に無事到着できました。
車を止めて、案内図を見て道成寺に向かいます。ここを出ると人が出て来られ、駐車料金500円を払いました。
参道の両側には、土産物店が建ち並び、ここが観光寺院であることが分かります。そして「山門」前の62段の石段下に着きました。
この石段の左右の土手は、逆ハの字型になっており、遠近法の逆利用で、上からは長めに、下からは短めに見えるようになっています。お参りの人が、少しでも歩きやすいようになっているようです。①道成寺七不思議の一つでした。
62段の石段を上がると1691年(元禄4年)建立の「仁王門」(重要文化財)があります。両側には阿吽の仁王像が睨みをきかせてました。
本堂と、その中央にまつられている千手観音と、仁王門、石段、参道が一直線に配置されています。仏様が人々を見守って下さるとの願いが込められています。この配置は、1300円以上変わることがありません。②道成寺七不思議の一つでした。
楼門を入って右手に「三重塔」があります。1763年(元禄13年)の再建で、和歌山県指定文化財。この塔の垂木は、1階と2階が平行垂木、3階だけ扇垂木になっています。何故か・・・。
大黒柱に使う良材が見つからず、隣町の妙見神社の御神木のヒノキを切っていただき、心柱に使いました。文字通り神仏和合の導きを示す塔となっています。③道成寺七不思議の一つでした。
次に「本堂」(重要文化財)に行きました。701年(大宝元年)に創建され、講堂として使われていましたが、南北朝時代の1357年(承平12年)に再建されました。内陣の中央に、本尊はの「千手観音立像」(重要文化財)が祀られています。
今日の目的は、毎年恒例の秋の本堂無料公開(10/1~11/30)があったからです。ただ事前に調べて中止になったことは知ってました。内陣に入れませんが、こうして外からでも良く見えます。奈良時代後期の造られたと伝わり、像高が2.4㍍もあります。
道成寺は和歌山県最古の寺、701年(大宝元年)天音山第42代文武天皇の勅願により建立。義淵僧正(ぎえんそうじょう)が開山、紀道成が建立奉行となる。平安時代には熊野参詣の順路にあたり大いに栄え、全盛期には僧坊が28も数えたと言う。中世以降は次第に衰え、1588年(天正16年)の文書によれば、本堂と鎮守社を残すのみとなりました。1655年(明暦元年)紀州藩初代藩主徳川頼宣の援助で本堂の屋根葺き替え等の修理が行われ、仁王門、三重塔などの諸堂塔は近世を通じて徐々に整備されていきました。創建時は法相宗だったが後に真言宗となり、1652年(承応元年)に天台宗に改宗し現在に至ってます。
家から3時間もかかるので、そう度々来られ所じゃありません。それで内陣拝観中止は痛かったですが、このコロナ禍仕方ないですね。本堂前には「安珍塚」がありました。
安珍とともに焼けた鐘を埋めたと伝わる所。石碑と榁の大木がありますが、こちらは3代目で、初代の室の木は約600年、2代目は約400年生きたあと枯れたそうです。
ここで、道成寺に伝わる「安珍・清姫の物語」です。道成寺では、今も僧侶の方が「道成寺縁起」の絵巻から絵とき説法を通常通りされてるそうです。今日は、後工程が詰まっているので、申込みはしませんでした。
道成寺の創建から230年経った、928年(延長6年)の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の悲恋は「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られています。
「道成寺縁起」(重要文化財)から、裏切られたと知り、僧を追う女。ようやく追いつき「お待ち下さい」と声を掛けるも「人違いです」と僧は逃げる。女は髪を振り乱し、腿もあらわに追いかけると言うシーン。
クライマックスの「僧を焼き殺す大蛇」は、激高し、大蛇に姿を変えた女は道成寺の鐘に巻き付け中に隠れていた僧を焼き殺すと言うシーン。
こちらが「2代目鐘楼跡」です。1359年(正平14年)に鋳造されたものの、清姫の恨みか音色が悪く、また近隣に疫病が流行ったこともあって、埋められました。のちに、豊臣秀吉の兵によって掘り出され京都岩倉の「妙満寺」に献納されました。私は、妙満寺宝物館で見たことがあります。あの時、何故道成寺の鐘が寺宝で展示されていたのか謎でしたが、やっと解けました。
その奥の小さなお堂は「十王堂」でした。 建立は、江戸時代の1707年(宝永4年)ですが、本尊とかは不明です。
次に「中村富十郎碑」です。詳細は分かりませんが、1753年(宝暦3年)に初代中村富十郎が踊った「京鹿子娘道成寺」が絶賛を拝し、このあと「奴道成寺」「二人道成寺」が生み出されました。
このとき、8時57分。まだ拝観開始まで時間があったので、先に本堂の裏を散策しに向かいます。
この桜は「入相桜」と呼ばれ、初代は樹齢数百年で和歌山県の天然記念物に指定されてましたが台風で折れてしまいしまた。その初代の根元から自生したのが、現在の二代目です。ただ、この辺りに「初代鐘楼」があったそうです。
清姫が安珍を追いかけて来て、安珍が隠れている鐘楼ごと焼き殺したと言われている所です。最近の発掘調査では、鐘楼が、ここにあった事がが分かり、この桜の周りで焼けた土も出土しました。④道成寺七不思議の一つでした。
その奥にあるお堂は「護摩堂」で、 江戸時代の1847年(弘化4年)の建立。内部には入れませんが、本尊として不動明王が祀られていました。
また、その横には鎮守社でしょうか、右から「天満宮」「弁財天」「住吉大神宮」でした。
本堂の裏にあったのが「常念仏堂」で内部に入れました。2005年(平成17年)4月16日に落慶法要されたようで、新しいお堂です。堂内には本尊の「五劫思惟阿弥陀如来」が祀られていました。
こちらは1702年(元禄15年)に紀州藩の寄進で建てられた「書院」です。今年は春の4月29日~5月5日に特別公開の予定がコロナ禍のため中止されたようです。
こちらは本堂裏にあった「道成寺型灯籠」です。ここで、道成寺七不思議の⑤~⑦が書かれてました。
本堂厨子の扉の中に、33年に一度だけご開帳される秘仏が祀られています。次のご開帳は、2038年(令和20年)。大切な方と拝むと次のご開帳にお参りできると言われています。⑤道成寺七不思議の一つでした。
娘道成寺の人気は、安珍と清姫の物語に基づく芸能を「道成寺物」と呼び、中でも「娘道成寺」は舞踊の最高傑作とされ、毎年、この場所で奉納公園が行われます。娘道成寺は、千手観音が悩み多き我々にさしのべて下さる御手の一つなんのでしょう。⑥道成寺七不思議の一つでした。
無き鐘ひびく道成寺、初代の鐘は安珍と清姫の事件で焼かれ、2代目の鐘は、戦国時代に持ちさられ、今は京都岩倉の妙満寺の寺宝館に展示されています。道成寺には鐘はありませんが、二つの鐘は、耳ではなく、心に響くものとなりました。⑦道成寺七不思議の一つでした。
ここで9時4分になったので、次に「大宝殿(宝物館)」に向かいます。ここでは国宝や重要文化財の仏像が多く、ここが当初の目的でした。
「大宝殿(宝物館)」の、何処から入るのかなぁ・・・と思って近づくと左手に入口がありました。
入ると靴を脱いで上がります。正面に受付があって僧侶の方が受付されてました。拝観料600円と、御朱印代金2種類600円を納めます。この時期だけの「秋限定御朱印(10/1~11/30まで)」がありました。館内は撮影禁止のため写真はありません。館内には、国宝3点、重要文化財11点、県指定文化財4点が納められ、参拝できました。
国宝「千手観音菩薩(本尊)」平安時代初期作。像高291㌢、普通千手観音の手は40本の小さな手で1000本を象徴してます。こちらのご本尊は、42本の手を持ち少しでも多くの人々を救おうとされてるようです。
あと、国宝「日光菩薩立像」、国宝「月光菩薩立像」にもお参りさせて貰い、残りの重要文化財の「十一面観音菩薩像仏像」「毘沙門天王像」「広目天王像」「兜跋毘沙門天王像」「増長天王像」などもじっくり鑑賞し出て行きました。
9時25分に、次の予定もあるので楼門から出て行きました。 ここに入って、出て行くまで誰も来られませんでした。
帰りに、駐車場の向かいにあるレス雲水で熱々の「釣鐘饅頭」をいただきました。一個100円、家族の土産も買いました。
駐車場を9時40分頃に出て行きました。駐車場に入る前に、一組2名の方が道成寺に向かわれました。京都から遠路、ここまで来ましたが、本当に来て見て良かったです。次は海南市に戻ります。
【道成寺】
この日の最初の目的地は、和歌山県日高郡日高川町にある有名なお寺です。事前に調べると3時間程度かかるようで、友人との待ち合わせは6時20分頃にしてましたが、5時50分頃に来てくれました。まだ支度ができてなかったので、10分ぐらい待ってもらい、6時頃に家を出発、コースは、11月5日と同様に国道9号線から沓掛の信号を左折し、大原野ICから高速道路に入ります。京都縦貫道から京滋バイパス、第二京坂自動車道と経由して近畿自動車道に入り、そのまましばらく南下し、松原JCTから阪和自動車道に入りました。ここから和歌山まで道なりにつづきますが、途中の岸和田SA(下り)で友人が休憩をするため寄りました。
この時、7時42分。車から降りると温度計は6℃と表示されていて、大変寒かったです。ここまで1時間40分渋滞もなく無事来られました。
ここで休憩をして再び阪和自動車道に入り、大阪府から和歌山県に入り、和歌山市を通過、海南市を通過、有田市を通過します。車窓からは、オレンジ色に熟したミカン畑が続き、さすがにミカンどころの和歌山に来たんだなぁ・・・と実感できますね。そして和歌山県日高郡日高川町にある川辺ICで阪和自動車道を降り、ナビの誘導で道成寺の駐車場に8時46分に無事到着できました。
車を止めて、案内図を見て道成寺に向かいます。ここを出ると人が出て来られ、駐車料金500円を払いました。
参道の両側には、土産物店が建ち並び、ここが観光寺院であることが分かります。そして「山門」前の62段の石段下に着きました。
この石段の左右の土手は、逆ハの字型になっており、遠近法の逆利用で、上からは長めに、下からは短めに見えるようになっています。お参りの人が、少しでも歩きやすいようになっているようです。①道成寺七不思議の一つでした。
62段の石段を上がると1691年(元禄4年)建立の「仁王門」(重要文化財)があります。両側には阿吽の仁王像が睨みをきかせてました。
本堂と、その中央にまつられている千手観音と、仁王門、石段、参道が一直線に配置されています。仏様が人々を見守って下さるとの願いが込められています。この配置は、1300円以上変わることがありません。②道成寺七不思議の一つでした。
楼門を入って右手に「三重塔」があります。1763年(元禄13年)の再建で、和歌山県指定文化財。この塔の垂木は、1階と2階が平行垂木、3階だけ扇垂木になっています。何故か・・・。
大黒柱に使う良材が見つからず、隣町の妙見神社の御神木のヒノキを切っていただき、心柱に使いました。文字通り神仏和合の導きを示す塔となっています。③道成寺七不思議の一つでした。
次に「本堂」(重要文化財)に行きました。701年(大宝元年)に創建され、講堂として使われていましたが、南北朝時代の1357年(承平12年)に再建されました。内陣の中央に、本尊はの「千手観音立像」(重要文化財)が祀られています。
今日の目的は、毎年恒例の秋の本堂無料公開(10/1~11/30)があったからです。ただ事前に調べて中止になったことは知ってました。内陣に入れませんが、こうして外からでも良く見えます。奈良時代後期の造られたと伝わり、像高が2.4㍍もあります。
道成寺は和歌山県最古の寺、701年(大宝元年)天音山第42代文武天皇の勅願により建立。義淵僧正(ぎえんそうじょう)が開山、紀道成が建立奉行となる。平安時代には熊野参詣の順路にあたり大いに栄え、全盛期には僧坊が28も数えたと言う。中世以降は次第に衰え、1588年(天正16年)の文書によれば、本堂と鎮守社を残すのみとなりました。1655年(明暦元年)紀州藩初代藩主徳川頼宣の援助で本堂の屋根葺き替え等の修理が行われ、仁王門、三重塔などの諸堂塔は近世を通じて徐々に整備されていきました。創建時は法相宗だったが後に真言宗となり、1652年(承応元年)に天台宗に改宗し現在に至ってます。
家から3時間もかかるので、そう度々来られ所じゃありません。それで内陣拝観中止は痛かったですが、このコロナ禍仕方ないですね。本堂前には「安珍塚」がありました。
安珍とともに焼けた鐘を埋めたと伝わる所。石碑と榁の大木がありますが、こちらは3代目で、初代の室の木は約600年、2代目は約400年生きたあと枯れたそうです。
ここで、道成寺に伝わる「安珍・清姫の物語」です。道成寺では、今も僧侶の方が「道成寺縁起」の絵巻から絵とき説法を通常通りされてるそうです。今日は、後工程が詰まっているので、申込みはしませんでした。
道成寺の創建から230年経った、928年(延長6年)の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の悲恋は「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られています。
「道成寺縁起」(重要文化財)から、裏切られたと知り、僧を追う女。ようやく追いつき「お待ち下さい」と声を掛けるも「人違いです」と僧は逃げる。女は髪を振り乱し、腿もあらわに追いかけると言うシーン。
クライマックスの「僧を焼き殺す大蛇」は、激高し、大蛇に姿を変えた女は道成寺の鐘に巻き付け中に隠れていた僧を焼き殺すと言うシーン。
こちらが「2代目鐘楼跡」です。1359年(正平14年)に鋳造されたものの、清姫の恨みか音色が悪く、また近隣に疫病が流行ったこともあって、埋められました。のちに、豊臣秀吉の兵によって掘り出され京都岩倉の「妙満寺」に献納されました。私は、妙満寺宝物館で見たことがあります。あの時、何故道成寺の鐘が寺宝で展示されていたのか謎でしたが、やっと解けました。
その奥の小さなお堂は「十王堂」でした。 建立は、江戸時代の1707年(宝永4年)ですが、本尊とかは不明です。
次に「中村富十郎碑」です。詳細は分かりませんが、1753年(宝暦3年)に初代中村富十郎が踊った「京鹿子娘道成寺」が絶賛を拝し、このあと「奴道成寺」「二人道成寺」が生み出されました。
このとき、8時57分。まだ拝観開始まで時間があったので、先に本堂の裏を散策しに向かいます。
この桜は「入相桜」と呼ばれ、初代は樹齢数百年で和歌山県の天然記念物に指定されてましたが台風で折れてしまいしまた。その初代の根元から自生したのが、現在の二代目です。ただ、この辺りに「初代鐘楼」があったそうです。
清姫が安珍を追いかけて来て、安珍が隠れている鐘楼ごと焼き殺したと言われている所です。最近の発掘調査では、鐘楼が、ここにあった事がが分かり、この桜の周りで焼けた土も出土しました。④道成寺七不思議の一つでした。
その奥にあるお堂は「護摩堂」で、 江戸時代の1847年(弘化4年)の建立。内部には入れませんが、本尊として不動明王が祀られていました。
また、その横には鎮守社でしょうか、右から「天満宮」「弁財天」「住吉大神宮」でした。
本堂の裏にあったのが「常念仏堂」で内部に入れました。2005年(平成17年)4月16日に落慶法要されたようで、新しいお堂です。堂内には本尊の「五劫思惟阿弥陀如来」が祀られていました。
こちらは1702年(元禄15年)に紀州藩の寄進で建てられた「書院」です。今年は春の4月29日~5月5日に特別公開の予定がコロナ禍のため中止されたようです。
こちらは本堂裏にあった「道成寺型灯籠」です。ここで、道成寺七不思議の⑤~⑦が書かれてました。
本堂厨子の扉の中に、33年に一度だけご開帳される秘仏が祀られています。次のご開帳は、2038年(令和20年)。大切な方と拝むと次のご開帳にお参りできると言われています。⑤道成寺七不思議の一つでした。
娘道成寺の人気は、安珍と清姫の物語に基づく芸能を「道成寺物」と呼び、中でも「娘道成寺」は舞踊の最高傑作とされ、毎年、この場所で奉納公園が行われます。娘道成寺は、千手観音が悩み多き我々にさしのべて下さる御手の一つなんのでしょう。⑥道成寺七不思議の一つでした。
無き鐘ひびく道成寺、初代の鐘は安珍と清姫の事件で焼かれ、2代目の鐘は、戦国時代に持ちさられ、今は京都岩倉の妙満寺の寺宝館に展示されています。道成寺には鐘はありませんが、二つの鐘は、耳ではなく、心に響くものとなりました。⑦道成寺七不思議の一つでした。
ここで9時4分になったので、次に「大宝殿(宝物館)」に向かいます。ここでは国宝や重要文化財の仏像が多く、ここが当初の目的でした。
「大宝殿(宝物館)」の、何処から入るのかなぁ・・・と思って近づくと左手に入口がありました。
入ると靴を脱いで上がります。正面に受付があって僧侶の方が受付されてました。拝観料600円と、御朱印代金2種類600円を納めます。この時期だけの「秋限定御朱印(10/1~11/30まで)」がありました。館内は撮影禁止のため写真はありません。館内には、国宝3点、重要文化財11点、県指定文化財4点が納められ、参拝できました。
国宝「千手観音菩薩(本尊)」平安時代初期作。像高291㌢、普通千手観音の手は40本の小さな手で1000本を象徴してます。こちらのご本尊は、42本の手を持ち少しでも多くの人々を救おうとされてるようです。
あと、国宝「日光菩薩立像」、国宝「月光菩薩立像」にもお参りさせて貰い、残りの重要文化財の「十一面観音菩薩像仏像」「毘沙門天王像」「広目天王像」「兜跋毘沙門天王像」「増長天王像」などもじっくり鑑賞し出て行きました。
9時25分に、次の予定もあるので楼門から出て行きました。 ここに入って、出て行くまで誰も来られませんでした。
帰りに、駐車場の向かいにあるレス雲水で熱々の「釣鐘饅頭」をいただきました。一個100円、家族の土産も買いました。
駐車場を9時40分頃に出て行きました。駐車場に入る前に、一組2名の方が道成寺に向かわれました。京都から遠路、ここまで来ましたが、本当に来て見て良かったです。次は海南市に戻ります。
【道成寺】
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