50年に一度のご開帳 西国三十三ヵ所二番札所 紀三井寺へ

和歌の浦の景勝地にある玉津島神社と鹽竃神社のあとは、西国三十三ヵ所二番札所 紀三井寺を目指します。和歌浦の交差点から中央通りに入ると、ほぼ真っ直ぐに進みと、前方に紀三井寺が見えて来ます。前方に見えているのでほぼ友人も迷うことなく「楼門」前に着き、そこから左折し、紀三井寺の駐車場に向かいます。道幅が狭く、住宅街の真ん中に駐車場がありました。

CIMG5170.jpg駐車場は、300円でした。ここで拝観券も購入することになり拝観料200円は、ここで納めることに。ただ特別開帳は別途本堂前で納めることになります。

この門は、「裏門」と言って、ここから別途400円を払うと、急峻な石段を登らずに車で上がれます。私らはせっかく来たので、石段を登ります。

CIMG5052.jpgCIMG5053.jpgご覧のように道は狭いです。駐車場からゆっくり歩いて約1分ぐらいで「楼門」が見える所までやって来ました。参道の両側には土産物店が並んでいます。

紀三井寺は、今からおよそ1230年前の奈良朝時代、第49代光仁天皇の770年(宝亀元年)に唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。和歌山城からほど近いところにあるため、歴代藩主が訪れ、紀州徳川家の繁栄を祈願した寺で、正式には紀三井山金剛宝寺護国院といいます。全国的には紀三井寺の名前で知られており、西国三十三所第二番札所。救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)総本山。本尊は十一面観世音菩薩です。

CIMG5168.jpgここに来たのは、2006年(平成18年)8月25日、2007年(平成19年)4月20日以来ですが、それ以前にも多分、何度か来てます・・・多分

CIMG5054.jpgCIMG5055.jpg「楼門」前に「拝観受付所」がありますが、駐車場で購入済みのためスルーです。そして楼門から急峻な石段が目の前に現れます。

この坂は「結縁坂(けちえんざか)」と呼ばれ、231段の石段を登ります。ここには女坂はありませんので、ここを登るしかありません。本当に、参拝者泣かせですね。お年寄りも、杖を借りて頑張って登られていました。

CIMG5160.jpg楼門を入って左手にある塔頭の「普門院」で、扁額には「七鈴観音」と書いてあります。

CIMG5057.jpg右手には塔頭「穀屋寺」があって、ここの石段はあがりません。1705年(宝永2年)に現在地に移転されられたそうです。

CIMG5058.jpgCIMG5145.jpg少し石段を上がって左手に「瀧本院」があって、ここでは朱印をいただけるみたいですが、スルーです。

CIMG5060.jpgCIMG5148.jpgCIMG5151.jpgその向かい側には「紀三井寺の三井水(さんせいすい)」があって、和歌山指定文化財(名勝)です。紀三井寺の寺名のもととなったとされる「清浄水」「楊柳水」「吉祥水」の3つの湧き水です。

CIMG5061.jpgCIMG5157.jpgそして、少し石段を上がると「稲荷大神」が祀られている社殿と朱塗りの鳥居がありました。ここからは最後まで一気に登ります。

CIMG5065.jpg13時33分に石段を登り初めて、13時37分に登り切りました。今日は長保寺、和歌浦天満宮と登ってきたので、最後は足にきましたね。

CIMG5071.jpgCIMG5073.jpgCIMG5076.jpgCIMG5078.jpgCIMG5081.jpg和歌山県指定文化財の「本堂」です。1759年(宝暦9年)の建立。入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。

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久し振りに来たので、西国三十三ヵ所の御朱印をいただきました。御朱印には、一度集めている「散華」もついてきました。過去三回回っているので、もうすべて回るつもりはないですけど・・・。このあと、本堂内にある拝観受付所に行きました。御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。

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9月20日~12月20日まで「紀三井寺開創1250年 秘仏本尊・十一面観世音菩薩像 秘龕仏・千手観世音菩薩」50年に一度 特別ご開帳

秘仏公開の拝観料は1000円でした。場所は「本堂」の裏手続きに「大光明殿」に入ります。1983年(昭和58年)に耐震耐火の収蔵庫(原則非公開)のようでした。内部の撮影は厳禁です。

殿内中央の厨子内には「十一面観世音菩薩立像」(重要文化財)、「梵天立像」(重要文化財)、「帝釈天立像」(重要文化財)、「毘沙門天立像」(重要文化財)そして「秘仏本尊・十一面観世音菩薩像立像」(重要文化財)、「秘龕仏・千手観世音菩薩立像」(重要文化財)は、中央に安置されてました。次回の公開では、絶対見られないのでここまでやって来て良かったです。

CIMG5079.jpgCIMG5080.jpg「大光明殿」を出てきたところです。堂内は一方通行でも出れません。今日は空いていたので、そうでもなかったかも知れませんが・・・。

CIMG5083.jpgCIMG5084.jpg本堂を出て、左手にあった石段を上がります。すると左に「開山堂」がありました。1807年(文化4年)の建立です。

CIMG5091.jpgその次に重要文化財「護国院多宝塔」がありました。この仏塔は、室町時代中期の様式を示しています。1441年(嘉吉元年)にそれまであった仏塔が風害で倒壊し、1449年(宝徳元年)に再建されたと伝わります。

CIMG5092.jpgさらに石段を上がると紀三井寺の鎮守の社があって、右から「金剛蔵王権現」「熊野三所権現」「白山妙理権現」と並んでいます。

CIMG5099.jpgその左に朱塗りの鳥居と小さな社殿があって扁額には「正一位 春子稲荷大明神」と書かれてました。

CIMG5103.jpgCIMG5104.jpgCIMG5105.jpg開山堂、護国院多宝塔、三社権現と見ていき石段を降りてくると、このような看板がありました。「三社権現前石段親切鳥居」と書かれています。三十三基の鳥居が並ぶみたいですね。

CIMG5075.jpgCIMG5107.jpgCIMG5108.jpg行きは「本堂」へ急いだこともあって、帰りはゆっくり見ていきます。「手水舎」の裏にはエレベーターが出来ていて、前途したとおり別途400円を払うと上まで来るまで上がれて、そしてエレベーターでここまで来られるみたいですね。

CIMG5112.jpg後で、もっと見晴らしの良いところへ行きますが、ここも和歌山市街地を綺麗見渡せます。

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境内で、ひときわ目立つ和歌山市指定文化財(天然記念物)「紀三井寺の楠樹」で、幹周りが8㍍もあります。

CIMG5114.jpgこちらは重要文化財「鐘楼」です。安土桃山時代の1588年(天正16年)に安部六太郎により再建されたものです。

CIMG5116.jpg鐘楼の横にあったのが「大師堂」です。弘法大師が祀られているのでしょう、真言宗だと勘違いしてしまいます

CIMG5119.jpg六角堂」です。江戸時代の1750年(寛延年間)頃に初代・二代目雑賀弥左ェ門により建立。西国三十三カ所御本尊が祀られています。

CIMG5118.jpgCIMG5121.jpg最後に「仏殿」に行きました。堂内には日本最大規模の観音様が祀られていますが、先に眺望です。

CIMG5126.jpgCIMG5127.jpgCIMG5123.jpgCIMG5125.jpgこのとき、14時頃でした。この日の天気は快晴で、和歌山市街地の眺望も綺麗でしたね。

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2008年(平成20年)に落慶法要された「大千手十一面観世音菩薩」です。木像の立像としては日本最大の総漆金箔張の観音様です。

CIMG5128.jpgここも別途100円か300円だったか忘れましたが、3階に上がれるみたいです。私は友人と相談して止めました。下から見て充分です。

CIMG5120.jpgここは前途したとおり"女坂"が無いので、帰りも急峻な石段を下って行きます。感染は怖いけど手すりを持って降りて行きます。

CIMG5138.jpg帰りは、塔頭もゆっくり見ていきます。最初は「宝蔵院」で、朱印がありそうなことが書いてありしまたがスルーです。

CIMG5142.jpg次に石段を下った左手に入り「松樹院」に行きました。ここには人が居て朱印もありましたが、スルーです。

CIMG5147.jpgCIMG5165.jpgそして「楼門」を出た右手にあったのが「閻魔大王像」で、2019年(令和元年)12月に建立されました。これは初めて見ましたね。

帰りに「楼門」を撮れたらなぁ・・・と思ったんですが、旗を持ったガイドさんを先頭に団体さんが来られたので断念しました。ここは団体さんも来てたし、多かったですね。やっぱり50年に一度の御開帳を見に来られるのでしょう。14時20分頃に、ここを出て遅い昼食に向かいます。

【紀三井寺】

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