征夷大将軍 坂上田村麻呂公を祀る田村神社へ

太郎坊阿賀神社を出て、次に車は東近江平野を南下します。八日市市、蒲生郡日野町を通って甲賀市土山町に入りました。そして国道1号線に入って、暫く走ると左手に田村神社の大きな看板が出ているので左折し、北上する駐車場があったので13時23分に入りました。

この日、二度目の訪問地は平安時代の公卿、武官で征夷大将軍 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)公を祀る田村神社です。

CIMG5326.jpgCIMG5327.jpgCIMG5329.jpgCIMG5429.jpgこの田村神社を知ったのは、滋賀県の観光案内で調べました。坂上田村麻呂が祀られているので興味を引いた訳です。

CIMG5330.jpgCIMG5332.jpg瓢箪型をしている「和池」は、帰りに撮った写真です。参拝順路にしたがって進むと「二の鳥居」までやって来ました。

田村神社は812年(弘仁3年)の創建で坂上田村麻呂公を主祭神とし、第52代嵯峨天皇と倭姫命(やまとひめのみこと)をも祀っている。坂上田村麻呂公は平安時代の武人で797年(延暦16年)には第50代桓武天皇より征夷大将軍に任ぜられ、二度に渡って蝦夷平定の遠征に出た。また鈴鹿山の悪鬼退治も伝えられ、田村麻呂公の薨去後、嵯峨天皇の勅命まによりこの地に田村神社が創建され、厄除大祈祷が斉行された。

CIMG5335.jpgCIMG5336.jpgCIMG5339.jpgCIMG5340.jpg二の鳥居」には「正一位 田村明神」の扁額が架かっているなか、そこをくぐると、鬱蒼とした木立が続き、次に「三の鳥居」が見えてきます。

CIMG5341.jpgCIMG5342.jpg三の鳥居」をくぐると、ようやく社殿が見えてきました。この田村神社の境内の広さをここに来て知りました。

CIMG5343.jpgあまり期待してませんでしたが、「社務所」で御朱印をいただきました。私は、ここで待っている間に友人は先にお参りに向こうことに。

CIMG5345.jpgCIMG5348.jpg社務所は呼鈴を押すと奥から出て来られ、朱印帳をまた奥に持って行かれるので、帰りに寄るわけには行きません。それで待ってました。そのほぼ向かいには「拝殿」がありました。

CIMG5349.jpgこちらは「祈祷殿」の玄関のようでした。書いていただいてある間に、拝殿と祈祷殿を見て、社務所に戻り暫くして奥から出てこられたので朱印帳を受取しました。その時、カラー版の由緒書きもいただきました。

CIMG5350.jpgCIMG5351.jpg遅れましたが、友人が先に行ったので急いで本殿に向かいます。それで「手水舎」によりましたが水はありません。そして「神明鳥居」をくぐると・・・

CIMG5353.jpgCIMG5354.jpgCIMG5356.jpgCIMG5358.jpg次に「神馬像」を見て、次に橋を渡ります。この橋は御手洗池に架かり「厄落とし太鼓橋」と呼ばれいます。

本殿の前を流れる御手洗池に年齢の数だけ節分豆を落として祈念すれば災厄から逃れられると伝えられている。年間多くの神事が行われるが、2月17日から19日にかけての厄除け大西と、7月25日から27日にかけの万燈祭が特に有名で、多くの参詣者が訪れる。

CIMG5360.jpgCIMG5361.jpg本殿に向かう途中に、何故か東側に流れている田村川の河川敷に行ける参道もありました。「一願成就願の清め道」と呼ばれているよで、私は、こちらには行かず先を急ぎます。

CIMG5366.jpgCIMG5369.jpg田村神社の境内は広いです。やっと「本殿」までやって来ました。本殿は銅板葺三間社流造で御鎮座1200年を記念して2011年(平成23年)に造替されてます。

CIMG5370.jpgCIMG5371.jpgCIMG5372.jpg次に、本殿の右側に移動し、「吉崎稲荷社」を見ました。扁額には「正一位吉崎大明神」とありました。

CIMG5375.jpgCIMG5376.jpgCIMG5377.jpg本殿」には、入口の由緒書きに書いてあったように、主祭神とし、 坂上田村麻呂公、嵯峨天皇、倭姫命が祀られています。

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次に本殿前にあった「矢竹(厄除矢)」について由緒が書いてありました。坂上田村麻呂公が鈴鹿峠の悪鬼を平定した際に、「今や悪鬼も平定された。これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除くこととする。この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と言って矢を放ちました。その矢は地面に落ち、そこから青々とした芽が生えてきました。これが現在、本殿前に生えている矢竹だそうです。

CIMG5385.jpgCIMG5387.jpg帰りは本殿の西側に移動します。今年はコロナ禍で紅葉狩りは行きませんでした。ただ先の太郎坊や、この田村神社の紅葉は綺麗でした。

CIMG5393.jpg境内の西側にあった末社です。右から「天満神社」で、祭神が菅原道真公。左が「祝谷神社」で、祭神が祝谷大神でした。

CIMG5392.jpgCIMG5394.jpgCIMG5395.jpgここに「授与所」が並んでいますが、この時期誰も居ません。由緒書きを見ると、2月17日から19日の「厄除大祭」では、境内に人が溢れるぐらい参拝者が来られるとか、この時に使われるのでしょう。

CIMG5396.jpgCIMG5403.jpgCIMG5404.jpgCIMG5405.jpgCIMG5406.jpg
帰りに国道1号線沿いにある「一の鳥居」まで来て見ました。広い境内、本殿から一の鳥居まで約10分もかかりました。

じつは、「二の鳥居」を出た所で、私は一の鳥居に向かいましたが、友人は「『東海道五十三次』にも描かれた安藤広重の海道橋を見てくるわ」と言って、ここで別れてました。私も「一の鳥居」を見た後、そちらに向かった所・・・

CIMG5411.jpgCIMG5423.jpgCIMG5425.jpgCIMG5426.jpg江戸時代の1868年(安政4年)に完成した板橋で、東海道が田村神社の境内を通っていたため造られたものです。昭和初期に台風により流されましたが、2005年(平成17年)7月に再建されたものです。

CIMG5431.jpgCIMG5432.jpg田村神社の境内を時々、学生さんが通るぐらいで殆ど誰も居ませんでした。海道橋を見てから駐車場に戻りました。

広い広い駐車場も1台も止まってません。13時56分に戻ってきてここを出て行きました。次は子供の頃に来たことがある油日です。

【田村神社】

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