徳川御三家の一つ紀州藩の菩提寺 長保寺 「紀州徳川家御廟」へ
徳川御三家の一つ紀州藩の菩提寺 長保寺の国宝「大門」「本堂」「多宝塔」を見て、これから紀州徳川家の御廟に入ります。なお、前途した「大門」「本堂」「多宝塔」が国宝に指定されているのは、長保寺と法隆寺だけだそうです。
この門を入ると、「紀州徳川家御廟」です。この山の斜面に約1万坪の広大な敷地に歴代藩主の墓所が造営されているので、これから巡ります。
御廟入口の門をくぐると、前方に案内が出ていました。そして山道を進んで行くと、最初の御廟に着きました。ただ、参道は整備されてませんし、正直悪路です。
「紀州藩2代目藩主・徳川光貞公」初代藩主頼宣公の長子で、徳川幕府8代将軍吉宗公の父、1705年(宝永2年)8月8日 薨去。享年80歳。
「紀州藩8代藩主・徳川重倫公」第7代藩主・徳川宗将公の次男、1829年(文政12年)6月2日 薨去。享年84歳。
紀州藩2代目藩主・徳川光貞公と紀州藩8代藩主・徳川重倫公が並んでました。これから石段を上がったり下がったりの繰り返しです。
「紀州藩12代藩主・徳川茂承(もちつぐ)公」版籍奉還によって和歌山藩知事となる。1906年(明治39年)8月20日 薨去。享年63歳。
石段の上から参道を見てますが、ご覧の通り落葉や枝で参道が見えません。足元が落葉で滑りので注意しながら次へと向かいました。
次が、「紀州藩初代藩主・徳川頼宣公」徳川家康の10男、1619年(元和5年)駿河より紀州入国。1671(寛文11年)1月10日 薨去。享年70歳。
さすがに初代だけに、一番大きかったです。足元に落葉、そして折れた枝が散乱していて随分、寂しいです。
初代のさらに奥にあるのが「紀州藩6代藩主・徳川宗直公」1757年(宝暦7年)7月2日 薨去。享年76歳。
6代藩主から、元来た参道を戻ります。初代の石段から、さらに下っていける参道は、通行止めになっているので、行けません。調べると以下の通りです。
「紀州藩7代藩主・徳川宗将(とくがわむねのぶ)公 正室 伏見宮徳子」、「紀州藩7代藩主・徳川宗将(とくがわむねのぶ)公 継室 一条兼香の娘」、「紀州藩12代藩主・徳川斉彊(とくがわなりかつ) 正室 豊子 観如院」でした。
次に初代の左横の石段を上がります。結構きついです。「紀州藩7代藩主・徳川 宗将(とくがわ むねのぶ)公」1765年(明和2年) 薨去。享年46歳。
7代目藩主から、さらに悪路を上がって行きます。上がったり下がったりで少々疲れてきました。
「紀州藩11代藩主・徳川斉順(とくがわ なりゆき)公 正室 豊姫 鶴樹院」1845年(弘化2年)8月10日死去。享年45歳。
「紀州藩10代藩主・徳川治宝公 正室 種姫 貞恭院」1794年(寛政6年)1月8日死去。享年29歳。
再び石段を降りて、7代目藩主の前を通ります。ご覧の通り参道は整備されてないので歩きづらいです。そして少し登ったところに・・・。
「紀州藩15代藩主・德川賴倫(とくがわよりみち)卿」1925年(大正14年)5月19日死去。享年63歳。
15代藩主から、この石段を下ります。何度も何度も上がったり下ったりで、もう限界・・・。
ここ、長保寺で最も高い所にあるのが、10代藩主・徳川治宝公の墓所です。ただ、登りが続く石段は・・・きつい・・・です。
登り続けると、石段も途中が壊れていたりして、怖いです。紀州藩の菩提寺と聞ききましたが、あまり手入れはされてないようです。
「紀州藩10代藩主・徳川治宝公」藩主随一の文化人&名君、御三家当主で生前に従一位に叙せられたのは治宝のみ。1853年(嘉永6年)1月20日 薨去。享年82歳。
このあと、崩れやすい石段に気をつけて一段づつ下ります。落葉や枝が散乱しているので、足を滑らさないようにゆっくり下り、15代藩主・德川賴倫卿の前を通り過ぎます。
石段を上がると、先ずは右側から。「紀州藩11代藩主・徳川斉順(とくがわなりゆき)公」徳川幕府14代将軍・徳川家茂の父。1846年(弘化3年)5月8日 薨去。享年46歳。
その左側に「紀州藩12代藩主・徳川斉彊(とくがわなりかつ)公」徳川幕府11代将軍・徳川家斉の21男。1849年(嘉永2年)3月27日 薨去。享年30歳。
これで御廟を出ることにしました。「紀州藩主3代藩主・徳川綱教(つなのり)公」、「紀州藩主4代藩主・徳川頼職(よりもと)公」、「紀州藩9代藩主・徳川治貞公」は、やむなく断念。地図を見ると、入口の門を左手に登って行けば良かったみたいですが、もう気力が無かったです。
全て回るつもりでしたが、あまりにも参道が荒れていて、少し心残りでしたが、これで充分です。友人は、無人販売のミカンを買って帰りました。
こちらの無料駐車場に、11時12分に戻ってきました。案内では、約1時間とあったのでほぼ案内通りでしたね。次は和歌山市に入る予定ですが、和歌山市から遠く離れた(約30㌔)海南市に菩提寺を定めた、初代藩主徳川頼宣の真意は、何故なのか気になりますね。今なら、車で50分ぐらいでしょうけど、歩いてなら5時間はかかるかなぁ・・・。
【長保寺】
この門を入ると、「紀州徳川家御廟」です。この山の斜面に約1万坪の広大な敷地に歴代藩主の墓所が造営されているので、これから巡ります。
御廟入口の門をくぐると、前方に案内が出ていました。そして山道を進んで行くと、最初の御廟に着きました。ただ、参道は整備されてませんし、正直悪路です。
「紀州藩2代目藩主・徳川光貞公」初代藩主頼宣公の長子で、徳川幕府8代将軍吉宗公の父、1705年(宝永2年)8月8日 薨去。享年80歳。
「紀州藩8代藩主・徳川重倫公」第7代藩主・徳川宗将公の次男、1829年(文政12年)6月2日 薨去。享年84歳。
紀州藩2代目藩主・徳川光貞公と紀州藩8代藩主・徳川重倫公が並んでました。これから石段を上がったり下がったりの繰り返しです。
「紀州藩12代藩主・徳川茂承(もちつぐ)公」版籍奉還によって和歌山藩知事となる。1906年(明治39年)8月20日 薨去。享年63歳。
石段の上から参道を見てますが、ご覧の通り落葉や枝で参道が見えません。足元が落葉で滑りので注意しながら次へと向かいました。
次が、「紀州藩初代藩主・徳川頼宣公」徳川家康の10男、1619年(元和5年)駿河より紀州入国。1671(寛文11年)1月10日 薨去。享年70歳。
さすがに初代だけに、一番大きかったです。足元に落葉、そして折れた枝が散乱していて随分、寂しいです。
初代のさらに奥にあるのが「紀州藩6代藩主・徳川宗直公」1757年(宝暦7年)7月2日 薨去。享年76歳。
6代藩主から、元来た参道を戻ります。初代の石段から、さらに下っていける参道は、通行止めになっているので、行けません。調べると以下の通りです。
「紀州藩7代藩主・徳川宗将(とくがわむねのぶ)公 正室 伏見宮徳子」、「紀州藩7代藩主・徳川宗将(とくがわむねのぶ)公 継室 一条兼香の娘」、「紀州藩12代藩主・徳川斉彊(とくがわなりかつ) 正室 豊子 観如院」でした。
次に初代の左横の石段を上がります。結構きついです。「紀州藩7代藩主・徳川 宗将(とくがわ むねのぶ)公」1765年(明和2年) 薨去。享年46歳。
7代目藩主から、さらに悪路を上がって行きます。上がったり下がったりで少々疲れてきました。
「紀州藩11代藩主・徳川斉順(とくがわ なりゆき)公 正室 豊姫 鶴樹院」1845年(弘化2年)8月10日死去。享年45歳。
「紀州藩10代藩主・徳川治宝公 正室 種姫 貞恭院」1794年(寛政6年)1月8日死去。享年29歳。
再び石段を降りて、7代目藩主の前を通ります。ご覧の通り参道は整備されてないので歩きづらいです。そして少し登ったところに・・・。
「紀州藩15代藩主・德川賴倫(とくがわよりみち)卿」1925年(大正14年)5月19日死去。享年63歳。
15代藩主から、この石段を下ります。何度も何度も上がったり下ったりで、もう限界・・・。
ここ、長保寺で最も高い所にあるのが、10代藩主・徳川治宝公の墓所です。ただ、登りが続く石段は・・・きつい・・・です。
登り続けると、石段も途中が壊れていたりして、怖いです。紀州藩の菩提寺と聞ききましたが、あまり手入れはされてないようです。
「紀州藩10代藩主・徳川治宝公」藩主随一の文化人&名君、御三家当主で生前に従一位に叙せられたのは治宝のみ。1853年(嘉永6年)1月20日 薨去。享年82歳。
このあと、崩れやすい石段に気をつけて一段づつ下ります。落葉や枝が散乱しているので、足を滑らさないようにゆっくり下り、15代藩主・德川賴倫卿の前を通り過ぎます。
石段を上がると、先ずは右側から。「紀州藩11代藩主・徳川斉順(とくがわなりゆき)公」徳川幕府14代将軍・徳川家茂の父。1846年(弘化3年)5月8日 薨去。享年46歳。
その左側に「紀州藩12代藩主・徳川斉彊(とくがわなりかつ)公」徳川幕府11代将軍・徳川家斉の21男。1849年(嘉永2年)3月27日 薨去。享年30歳。
これで御廟を出ることにしました。「紀州藩主3代藩主・徳川綱教(つなのり)公」、「紀州藩主4代藩主・徳川頼職(よりもと)公」、「紀州藩9代藩主・徳川治貞公」は、やむなく断念。地図を見ると、入口の門を左手に登って行けば良かったみたいですが、もう気力が無かったです。
全て回るつもりでしたが、あまりにも参道が荒れていて、少し心残りでしたが、これで充分です。友人は、無人販売のミカンを買って帰りました。
こちらの無料駐車場に、11時12分に戻ってきました。案内では、約1時間とあったのでほぼ案内通りでしたね。次は和歌山市に入る予定ですが、和歌山市から遠く離れた(約30㌔)海南市に菩提寺を定めた、初代藩主徳川頼宣の真意は、何故なのか気になりますね。今なら、車で50分ぐらいでしょうけど、歩いてなら5時間はかかるかなぁ・・・。
【長保寺】
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