本多作左衛門重次の手紙をモチーフに始った「一筆啓上 日本一短い手紙の館」へ
坂井市丸岡歴史民俗資料館がある霞ヶ城公園を出ると、真っ直ぐ北に上がります。信号を渡りその先にある「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は直ぐに着きました。
この館の入口にある「一間一戸医薬門」です。昭和初期の建築様式を持ち、庄屋の家柄をもつ旧家の門を町内の有志から寄贈を受け移築したもの。
入口には、今は懐かしい丸型のボスとがあったので、セットで撮ってみました。それでは入ってみます。
ここも共通券を見せるだけです。手指消毒をしてから入りました。そして案内にしたがって進みます。
坂井市では、この日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、1993年(平成5年)から「一筆啓上賞」を設け、町づくり事業に取組んでいます。これまでに応募された手紙は100万通を超え、それらの手紙は本や映画にもなっています。そして、2015年(平成27年)8月23日(ふみの日)に、一筆啓上日本一短い手紙の館がオープンし、過去の一筆啓上賞の受賞作品や手紙に関する企画展などの催しなど、多彩な手紙文化に触れることができます。一筆啓上賞は毎年テーマを変えて開催しており、受賞作品の中には、思わずクスッと笑ってしまうものや、ジーンと胸に染み入るものまでいろいろ。是非、あなたのお気に入りの作品を見つけてみてください。
私の記憶では、何となく映画化されたなぁ・・・ぐらいでした。1995年(平成7年)に澤井信一郎監督、十朱幸代主演で映画化されてました。
すべてゆっくり読んでいく時間は、この先のスケジュールを考えると無いので割愛して見ていきました。
奥には「企画展示室」があって、ここでは「十二支の年賀状 絵手紙展」をやってました。自分に関係ある干支を重点的に見ることに。
絵手紙は、MBS毎日放送の「プレバト」で知ってました。出演されてる花城祐子先生の作品は、無かったように思います。
ここから3階にある「展望室」へ私は階段で上がります。友人はエレベーターに乗りました。
展望室からベランダに出てみて、直ぐに「丸岡城」を見ました。綺麗に見えていますね。
ベランダを一周しました。土地勘が無いので方角は分かりませんが、日本海は見えなかったように思います。それより寒いので早々と室内に入りました。
「古城展望室」では、「丸岡城の四季(11分)」「福井花物語(15分)」が自動上映されますが、見ている時間がないでスルーです。
帰りはエレベーターに乗ろうとしたんですが、やっぱり勇気が無くて、降りてしまいました。そして階段で降りてくると、1階に「ふみの庭」の案内が出ていたので、外に出てみました。
「一筆啓上 日本一短い手紙の館」のHPには、この一筆啓上についてのエピソードが書いてあります。それによると・・・。
江戸幕府初代将軍・徳川家康の功臣で鬼作左の勇名を呼ばれた本多作左衛門重次が陣中から妻にあてた手紙文(一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ)は用件を簡潔明瞭に伝えた手紙の手本と言われています。簡潔明瞭な中にも妻や子を気遣う優しさが短い文の中に伺うことができます。手紙で家族の安否を気遣うことは昔も今も変わりがありません。この手紙文の中に出てくる「お仙」とは、後の越前丸岡藩の初代藩主・本多成重のことで、幼名を仙千代といいました。毎年多くの作品が寄せられる「日本一短い手紙 一筆啓上賞」は本多作左衛門重次の手紙をモチーフに始まりました。人間関係が希薄と言われている現代 に、日本の手紙文化の復権を目指そうと始まった「一筆啓上賞」ですが、わずか40文字の短い文に込められた想いが、多くの人々の心を動かし、共感を得たからこそ、今日まで続いてきたと思っています。そして、過去20年以上にわたる多くの人々の想いが結集して「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は誕生しました。
駐車場に戻ると時に、「東三の丸」を通りました。丸岡城裏門に通じていたようで、藩主の下屋敷や武家屋敷が並んでいたようです。
9時46分頃に、「丸岡城駐車場」に戻って来ました。先に丸岡城天守で出会った団体さんが出て行かれましたが、共通券になっているのに勿体ないね。
ここから友人が、次の目的地をナビに入れました。福井県坂井市の観光協会のHPで見付けた所です。
【一筆啓上 日本一短い手紙の館】
この館の入口にある「一間一戸医薬門」です。昭和初期の建築様式を持ち、庄屋の家柄をもつ旧家の門を町内の有志から寄贈を受け移築したもの。
入口には、今は懐かしい丸型のボスとがあったので、セットで撮ってみました。それでは入ってみます。
ここも共通券を見せるだけです。手指消毒をしてから入りました。そして案内にしたがって進みます。
坂井市では、この日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、1993年(平成5年)から「一筆啓上賞」を設け、町づくり事業に取組んでいます。これまでに応募された手紙は100万通を超え、それらの手紙は本や映画にもなっています。そして、2015年(平成27年)8月23日(ふみの日)に、一筆啓上日本一短い手紙の館がオープンし、過去の一筆啓上賞の受賞作品や手紙に関する企画展などの催しなど、多彩な手紙文化に触れることができます。一筆啓上賞は毎年テーマを変えて開催しており、受賞作品の中には、思わずクスッと笑ってしまうものや、ジーンと胸に染み入るものまでいろいろ。是非、あなたのお気に入りの作品を見つけてみてください。
私の記憶では、何となく映画化されたなぁ・・・ぐらいでした。1995年(平成7年)に澤井信一郎監督、十朱幸代主演で映画化されてました。
すべてゆっくり読んでいく時間は、この先のスケジュールを考えると無いので割愛して見ていきました。
奥には「企画展示室」があって、ここでは「十二支の年賀状 絵手紙展」をやってました。自分に関係ある干支を重点的に見ることに。
絵手紙は、MBS毎日放送の「プレバト」で知ってました。出演されてる花城祐子先生の作品は、無かったように思います。
ここから3階にある「展望室」へ私は階段で上がります。友人はエレベーターに乗りました。
展望室からベランダに出てみて、直ぐに「丸岡城」を見ました。綺麗に見えていますね。
ベランダを一周しました。土地勘が無いので方角は分かりませんが、日本海は見えなかったように思います。それより寒いので早々と室内に入りました。
「古城展望室」では、「丸岡城の四季(11分)」「福井花物語(15分)」が自動上映されますが、見ている時間がないでスルーです。
帰りはエレベーターに乗ろうとしたんですが、やっぱり勇気が無くて、降りてしまいました。そして階段で降りてくると、1階に「ふみの庭」の案内が出ていたので、外に出てみました。
「一筆啓上 日本一短い手紙の館」のHPには、この一筆啓上についてのエピソードが書いてあります。それによると・・・。
江戸幕府初代将軍・徳川家康の功臣で鬼作左の勇名を呼ばれた本多作左衛門重次が陣中から妻にあてた手紙文(一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ)は用件を簡潔明瞭に伝えた手紙の手本と言われています。簡潔明瞭な中にも妻や子を気遣う優しさが短い文の中に伺うことができます。手紙で家族の安否を気遣うことは昔も今も変わりがありません。この手紙文の中に出てくる「お仙」とは、後の越前丸岡藩の初代藩主・本多成重のことで、幼名を仙千代といいました。毎年多くの作品が寄せられる「日本一短い手紙 一筆啓上賞」は本多作左衛門重次の手紙をモチーフに始まりました。人間関係が希薄と言われている現代 に、日本の手紙文化の復権を目指そうと始まった「一筆啓上賞」ですが、わずか40文字の短い文に込められた想いが、多くの人々の心を動かし、共感を得たからこそ、今日まで続いてきたと思っています。そして、過去20年以上にわたる多くの人々の想いが結集して「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は誕生しました。
駐車場に戻ると時に、「東三の丸」を通りました。丸岡城裏門に通じていたようで、藩主の下屋敷や武家屋敷が並んでいたようです。
9時46分頃に、「丸岡城駐車場」に戻って来ました。先に丸岡城天守で出会った団体さんが出て行かれましたが、共通券になっているのに勿体ないね。
ここから友人が、次の目的地をナビに入れました。福井県坂井市の観光協会のHPで見付けた所です。
【一筆啓上 日本一短い手紙の館】
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