北陸三大祭の一つ「三国祭」で有名な三國神社へ

称念寺の駐車場を出て、ナビの誘導でほぼ西に進み、池見の交差点を右折してからほぼ北に進みます。そして竹田川を渡るとほどなくして前方に鳥居が見えて来て、約20分ぐらいで到着したのが三國神社でした。

CIMG6017.jpg10時38分に着きましたが、駐車場が初めて来たので分かりません。車を止めて探してみると・・・?。

CIMG6016.jpgCIMG6018.jpg鳥居前に案内版があって、右に約100㍍、歩いて2分ぐらいの所に「駐車場」がありました。20台以上は乗用車は止められますし、観光バスも大丈夫なぐらい広かったです。

CIMG5951.jpg再び戻り石段を上がり「鳥居」をくぐります。この鳥居、よく見ると銅板の鳥居でした。雪深いからでしょうかね。

1767年(安政2年)の建立。1855年(安政2年)の再建。1912年(明治45年)に松ケ下町の松川仁平氏の寄進により銅板を巻く。銅板の細工人・山本岩吉氏。

CIMG5958.jpgCIMG6014.jpgCIMG6013.jpg鳥居をくぐると左手に「手水舎」があって、最近では珍しい柄杓があります・・・が、使いません。奥にはホラ貝の「手水」もあっても水は流れていました。

CIMG5952.jpg「鳥居」の奥の石段は、1848年(嘉永元年)に築かれたもので、これに用いた石材は、汐見橋の古板石を使い、港内各地から寄進されたものだそうです。

CIMG6010.jpgCIMG6006.jpgCIMG6005.jpg京都嵐山のモミジはすっかり散ったのに、北陸の地で綺麗な紅葉が見られるとは思って無かったなか、「随神門」までやって来ました。

県指定有形文化財に指定されてる「楼門(随神門)」は、1872年(明治4年)に完成。楼門の上には、越前国福井藩17代の藩主・松平茂昭公の寄進である「光華閣」の3文字が架かる。随神像は1859年(明治2年)松ケ下町の寄進である。

CIMG5962.jpgCIMG5963.jpg「楼門(随神門)」をくぐると、また正面に何故か・・・分かりませんが、ここもくぐります。そして正面に鳥居が・・・

CIMG5964.jpgCIMG5999.jpgCIMG6001.jpgCIMG5966.jpgCIMG5967.jpg真っ直ぐ行かず、右手に石段を上がり、再び北向きの参道を歩いて行くと正面に「本殿」がありました。御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、継体天皇の二柱です。

戦国時代に千手寺正智院(せんじゅじしょうちいん)の鎮守神として山王大権現(大山咋命)が祀られ、三国湊の発展とともに、従来の千手観音に代わって惣氏神とされ、信仰が厚くなった。天保年間に六代目内田惣右衛門が飢饉の救済事業として境内の拡張の整備を行い、三国湊の総鎮守に相応しい堂々たる景観となった。1871年(明治4年)桜谷神社と改称4.この頃に第26代・継体天皇を祀る水門社を合祀、1885年(明治18年)には三國神社と改め、現在に至る。旧4月申の日(現5月20日)の祭礼は、江戸中期に武者人形を載せた山車を曳き回して賑わい、その町衆の熱気が今も引き継がれて、北陸を代表する大祭となった。

CIMG5989.jpgCIMG5968.jpg本殿」は直接見えません。「拝殿」前でお参りしました。そのあと右横の授与所で御朱印をいただきました。

朱印帳を貰ったときに、いつものように「由緒書きありますか?」と聞きました。すると「何?・・・パンフのことか?」と聞いてこられたので、頷くと「拝殿前に置いてあるから」と。お寺や神社に数多く行ってますが、由緒書きが通じなかったのは初めてでした

CIMG5969.jpgCIMG5991.jpgCIMG5990.jpg次に左隣に移動して「八幡神社」に行きました。御祭神は応神天皇で「桜谷地主神」として古くから祀られていたようです。注目は彫刻で、龍に乗って武内宿禰(たけしうちのすくね)が幼い応神天皇を抱き上げている珍しい図です。

CIMG5980.jpgCIMG5982.jpgCIMG5984.jpg次に拝殿の右側に移動します。こちらは紅葉が綺麗でした。京都より寒い北陸地の地で紅葉が見られてラッキーでした。こちらは鳥居の扁額から「厩戸神社」です。

CIMG5985.jpgその横は「事代主神社(ことしろぬしのかみ)」と書いてありました。それより「厩戸」は聖徳太子ですよね、聖徳太子が祀られているのでしょうか?。

CIMG5988.jpg最奥にあったのが1875年(明治8年)建立の「神輿庫」です。250年の歴史を誇る山車・神輿と武者行列の巡行は圧巻らしいです。

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最後に、「楼門(随神門)」から真っ直ぐにの所にあった鳥居を入ります。こちらは「木立神社」でした。

越前国福井藩16代藩主・松平春嶽公と併せて、日清、日露戦争以降から太平洋戦争において、福井県三国町から出陣され、祖国の防衛と郷土のの安全を祈りながら惜しくも戦死された1140余り柱を永久に語り伝える事を念じ鎮魂の祈りこめ鎮座されたものです。建立は1891年(明治24年)です。

CIMG5973.jpgCIMG5997.jpgCIMG5998.jpg鳥居を出て、「稲荷社」「神馬堂」を見ます。堂内には神馬が居ました。1871年(明治4年)建立で、坂井市指定文化財です。

CIMG5975.jpgこちらは「元山王宮跡地」です。1540年(天文9年)湊の住人・板津清兵衛が流れて来た御神体を拾い上げ正智院に納めた所です。

CIMG6002.jpgCIMG6004.jpg最後に「宝物館」です。常時拝観できるかどうか知りませんが、今日は閉まってました。

CIMG6007.jpgCIMG6008.jpgCIMG6011.jpg石碑には「桜谷公園」と書いてありましたが、時期が過ぎているのに紅葉が綺麗でした。由緒書きにあったように、最初ここは「桜谷神社」と呼ばれていたんですね。

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駐車場に戻る前に入口ある「ケヤキ大樹」です。大きいですね、樹齢は600年以上と言われているみたいです。雪は大丈夫なんでしょうか?。

ここから駐車場に戻り、11時2分頃に出て行きました。次は福井県の海岸通りを走ります。

【三國神社】

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