特別洞窟内陣参拝中の狸谷山不動院へ
12月20日(日)は、友人から急遽誘われたこともあって、年内最後の遠出に行くことにしました。その日、京都市内は「男子第71回、女子第32回全国高等学校駅伝競走大会」が行われるため午前中から市内は交通規制がひかれるので、駅伝コースは避けたい・・・と。それで、まだ未訪問寺院がある大原に行くことを友人に提案すると、快く受け入れてくれたので、自宅を8時30分に出発し、先に正月用の撮影のため北野天満宮に行き、そこで撮影と参拝を済ませてから、授与所にて大福梅をいただいてから最初の目的地に向かいました。
この日、最初の目的地は、特別洞窟内陣参拝中の狸谷山不動院でした。 私は自動車祈祷殿までは行ったことがありますが、まだ本殿は未訪問だったので友人にお願いした次第です。
北野天満宮を出て、車は北大路通りを東へ東へと進みます。途中、大徳寺の前を通り鴨川を渡り、京都府立植物園の前を通って、午後から男子高校駅伝のコースになっている白川通りを北上。そして標識は出てませんが何度か行ってるので迷うことなく右折し詩仙堂、八大神社、そして狸谷山不動院 自動車祈祷殿の前を通ります。
自動車祈祷殿前から道は狭くなります。対向車とのすれ違いも困難となるぐらいです。しかし、車では直ぐに突き当たりになるので、そこに9時19分に着きました。ちなみに車は、数十台止められます。
狸谷山不動院は、正式には真言宗 狸谷山修験道 大本山 狸谷山不動院と言います。平安時代、桓武天皇が都の北東に位置するこの場所に鬼門封じとして、不動尊を安置したのが始まりという。江戸時代、宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に、滝行を修したといわれる。1718年(享保3年)木食正禅朋厚(もくじきしょうぜんともあつ)によって狸谷の洞窟に石像「狸谷不動明王」を安置したことに始まる。
私は野球に興味が無いので見ませんが、京都に住んでいるので阪神タイガースの吉田義男さんや小林繁さんの名前ぐらいは知ってます。
ここは真言宗の寺院ですが、伏見稲荷大社の千本鳥居を思わせる鳥居をくぐって行くと、そこには「白龍弁財天」がありました。
1718年(享保3年)木食朋厚上人参籠修行の砌り、「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したもの。崇敬する信者も大変多く、功徳甚大にして人力を超えた利益、資具、資産をそなえている。
初めて来たので、こんなに石段が続くとは思っても無かったです。真っ直ぐに登って行く訳では無いので、その点は楽でしたけど。
「七福神」を過ぎても、まだまだ石段は続きます。その階段途中に「迎え大師」がありました。石碑には「南無大師遍照金剛」と書いてあります。
石段を登る途中に参拝者をお迎えする「弘法大師像」です。全国を行脚したお大師さんに倣い足腰の健康を願う。「健脚わらじ」を奉納していく信者も多いとか。
時間も早いので、ゆっくり石段を上がって行くと、左手にお堂があったので寄って行きました。ここは「弘法大師 光明殿」といいます。
真言宗開祖弘法大師を祀る大師堂です。堂の周囲には四国八十八ヶ所霊場のお砂踏があり遍路の功徳がいただけるとのこと。堂内には納骨堂として「やすらぎ廟」が併設されてます。
さらに石段を登って行くと、ようやく清水の舞台を思わせる本堂が見えて来ました。そして、案内にしたがって右側から進みます。
正面の石段は「男坂」ですが、案内は「女坂」から。最初に見るのは「三社明神堂」で、お隣には「手水舎」もありました。
衣・食・住の神として享保年間木食上人により勧請祭祀されたものが「三社明神堂」です。すべて人は衣食足りて、礼節を知り。住・愛を充足し得てはじめて、満足の家庭を築き、日々を安泰し得るものである。
そして正面から「本堂」を見ています。建立の歴史は浅く、1986年(昭和61年)です。
次に扁額は「不動明王」と書かれてますが、その奥の瀧に注目です。こちらは「宮本武蔵修行の滝」でした。
1605年(慶長9年)、「一乗寺下り松の決闘」で、吉岡清十郎一門数十人を迎えてるにあたり、この瀧にうたれ、不動尊の右手に持する降魔の利剣の極意を感得したと伝わる瀧です。
ここから「本堂」に至る「女坂」の始まりです・・・と言っても、男坂も女坂も、ここでは変わらないですね。
女坂をゆっくり登りました。このとき9時30分で、特別拝観の時間10時まで、あと30分もあります。
ここまで友人と私2人だけでしたが、このあと数名が来られましたが、ご近所の方も居ましたね、直ぐに引き返されましたから。
この舞台から拝観料が必要となります。受付には誰も居ないので料金箱に納めました。拝観料は500円で、特別拝観料も同じです。
木食正禅養阿上人が、狸谷霊山北側斜面の洞窟に石像不動明王を安置。その本尊不動明王を囲む為、懸崖造りの本堂を1986年(昭和61年)に建立されました。洞の神秘に包まれた願力鋭い不動明王のご尊顔を遥拝できます。
舞台から堂内に入れるかどうか確かめましたが、閉まってます。ただ外からでもご本尊は見えます。10時から側まで行けるようですが、友人と相談して、堂内に入るのは断念することにしました。寒風のなか30分も待てません。それと堂内は撮影禁止と書いてありました。
清水寺の舞台と違って、ここから見える眺望は1点だけです。遠くに五山の送り火「船形」が見えていました。
舞台の横「信徒会館」の横から「奥之院」に行ける階段があったので、途中まで行ってみました。ただ、これ以上奥に行く勇気は無かったです。
帰りは「男坂」から降りました。ただ、ここから登って来られる人も居ましたね。
ここからゆっくり石段を下って行きました。帰るも何組か登って来られました。多分、洞窟内に入られるのでしょう。
下に降りてきて9時50分に、ここの駐車場を出て行きました。駅伝で交通規制される前に白川通りを抜けたいので急ぎます。
【狸谷山不動院】
この日、最初の目的地は、特別洞窟内陣参拝中の狸谷山不動院でした。 私は自動車祈祷殿までは行ったことがありますが、まだ本殿は未訪問だったので友人にお願いした次第です。
北野天満宮を出て、車は北大路通りを東へ東へと進みます。途中、大徳寺の前を通り鴨川を渡り、京都府立植物園の前を通って、午後から男子高校駅伝のコースになっている白川通りを北上。そして標識は出てませんが何度か行ってるので迷うことなく右折し詩仙堂、八大神社、そして狸谷山不動院 自動車祈祷殿の前を通ります。
自動車祈祷殿前から道は狭くなります。対向車とのすれ違いも困難となるぐらいです。しかし、車では直ぐに突き当たりになるので、そこに9時19分に着きました。ちなみに車は、数十台止められます。
狸谷山不動院は、正式には真言宗 狸谷山修験道 大本山 狸谷山不動院と言います。平安時代、桓武天皇が都の北東に位置するこの場所に鬼門封じとして、不動尊を安置したのが始まりという。江戸時代、宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に、滝行を修したといわれる。1718年(享保3年)木食正禅朋厚(もくじきしょうぜんともあつ)によって狸谷の洞窟に石像「狸谷不動明王」を安置したことに始まる。
私は野球に興味が無いので見ませんが、京都に住んでいるので阪神タイガースの吉田義男さんや小林繁さんの名前ぐらいは知ってます。
ここは真言宗の寺院ですが、伏見稲荷大社の千本鳥居を思わせる鳥居をくぐって行くと、そこには「白龍弁財天」がありました。
1718年(享保3年)木食朋厚上人参籠修行の砌り、「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したもの。崇敬する信者も大変多く、功徳甚大にして人力を超えた利益、資具、資産をそなえている。
初めて来たので、こんなに石段が続くとは思っても無かったです。真っ直ぐに登って行く訳では無いので、その点は楽でしたけど。
「七福神」を過ぎても、まだまだ石段は続きます。その階段途中に「迎え大師」がありました。石碑には「南無大師遍照金剛」と書いてあります。
石段を登る途中に参拝者をお迎えする「弘法大師像」です。全国を行脚したお大師さんに倣い足腰の健康を願う。「健脚わらじ」を奉納していく信者も多いとか。
時間も早いので、ゆっくり石段を上がって行くと、左手にお堂があったので寄って行きました。ここは「弘法大師 光明殿」といいます。
真言宗開祖弘法大師を祀る大師堂です。堂の周囲には四国八十八ヶ所霊場のお砂踏があり遍路の功徳がいただけるとのこと。堂内には納骨堂として「やすらぎ廟」が併設されてます。
さらに石段を登って行くと、ようやく清水の舞台を思わせる本堂が見えて来ました。そして、案内にしたがって右側から進みます。
正面の石段は「男坂」ですが、案内は「女坂」から。最初に見るのは「三社明神堂」で、お隣には「手水舎」もありました。
衣・食・住の神として享保年間木食上人により勧請祭祀されたものが「三社明神堂」です。すべて人は衣食足りて、礼節を知り。住・愛を充足し得てはじめて、満足の家庭を築き、日々を安泰し得るものである。
そして正面から「本堂」を見ています。建立の歴史は浅く、1986年(昭和61年)です。
次に扁額は「不動明王」と書かれてますが、その奥の瀧に注目です。こちらは「宮本武蔵修行の滝」でした。
1605年(慶長9年)、「一乗寺下り松の決闘」で、吉岡清十郎一門数十人を迎えてるにあたり、この瀧にうたれ、不動尊の右手に持する降魔の利剣の極意を感得したと伝わる瀧です。
ここから「本堂」に至る「女坂」の始まりです・・・と言っても、男坂も女坂も、ここでは変わらないですね。
女坂をゆっくり登りました。このとき9時30分で、特別拝観の時間10時まで、あと30分もあります。
ここまで友人と私2人だけでしたが、このあと数名が来られましたが、ご近所の方も居ましたね、直ぐに引き返されましたから。
この舞台から拝観料が必要となります。受付には誰も居ないので料金箱に納めました。拝観料は500円で、特別拝観料も同じです。
木食正禅養阿上人が、狸谷霊山北側斜面の洞窟に石像不動明王を安置。その本尊不動明王を囲む為、懸崖造りの本堂を1986年(昭和61年)に建立されました。洞の神秘に包まれた願力鋭い不動明王のご尊顔を遥拝できます。
舞台から堂内に入れるかどうか確かめましたが、閉まってます。ただ外からでもご本尊は見えます。10時から側まで行けるようですが、友人と相談して、堂内に入るのは断念することにしました。寒風のなか30分も待てません。それと堂内は撮影禁止と書いてありました。
清水寺の舞台と違って、ここから見える眺望は1点だけです。遠くに五山の送り火「船形」が見えていました。
舞台の横「信徒会館」の横から「奥之院」に行ける階段があったので、途中まで行ってみました。ただ、これ以上奥に行く勇気は無かったです。
帰りは「男坂」から降りました。ただ、ここから登って来られる人も居ましたね。
ここからゆっくり石段を下って行きました。帰るも何組か登って来られました。多分、洞窟内に入られるのでしょう。
下に降りてきて9時50分に、ここの駐車場を出て行きました。駅伝で交通規制される前に白川通りを抜けたいので急ぎます。
【狸谷山不動院】
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