悠久の時を刻み丹後の姫が奉齋した古社「竹野神社」へ
12月6日(日)は、珍しく日曜日にお出掛けです
。友人から急遽、誘われたこともあって、京都府北部の丹後半島に行くことにしました。この時期、冬型の気圧配置が強まり、京都府北部は雨や曇りの日が多くなります。紅葉も散った、この時期の早朝には霧が発生することも多いです。新型コロナウイルスの感染が広がっていることもあって、京都府北部の明智光秀ゆかりの地を訪れてみようと思った次第です。
この日の出発は、7時にしました。京都の最低気温は4.4℃で冷え込んだので、亀岡市や福知山市以北では霧が発生していることでしょう、初冬では、ほぼ毎日のことで心配してません。車は沓掛ICから京都縦貫自動車道に入り、京都府北部を目指します。老ノ坂峠を超えると亀岡市に入りますが、やっぱり霧が出てました。それも直ぐに抜けましたが、京都府丹波町を超えると再び深い霧に覆われます。最高速度も50㌔に規制されるなか、「由良PA」に8時5分に入り最初の休憩です。


ここの気温は1℃でした。車から出たら寒さで震えましたね。ここまで来る途中の気温計は氷点下1℃を指してました。霧はご覧のように深いです。
トイレを済ませると8時10分に出て行きました。京都縦貫自動車道は、園部を超えると、ほぼ対面走行です。日曜日でも渋滞は無く順調に京都府北部まで走行できました。そして、京都縦貫自動車道の終点「京丹後大宮IC」で高速を降り、府道655号線を北上し丹後半島を目指します。途中、府道53号線に乗り換え引き続き北上し、途中「ローソン京丹後弥栄店」に買い物で寄りました。ここから府道482、653、75号線と乗り換え、9時5分に今日最初の訪問地「竹野神社(たかのじんじゃ)」に着きました。
入口の右端に「竹野(たかの)神社」と書かれた社号標があって、車は何処に止めてもOKです。そしてこの光景・・・3日後にテレビで見ることになって驚きました。
私が来たのが6日(日)、その3日後、NHK総合 第409回 「歴史秘話ヒストリア 大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」で、ここ竹野神社が紹介されました。
左側には「齋宮(いつきのみや)神社」と書かれた社号標があって、こちらの方が鬼退治と関係がある神社ですが・・・答えは後程
。

この鳥居は竹野神社の「三の鳥居」です。「二の鳥居」は、後程見えますけど、「一の鳥居」は帰ってから調べると、ここから歩いて15分ぐらいの所にありました。
「手水舎」もありましたが、水はありません。新型コロナウイルスの感染予防かなぁ・・・と思っていると、後で禰宜のSさんが出て来られ、水道の栓をひねって水を出されました。
何故、竹野神社の禰宜のSさんが分かったかと言うと、前途したとおりテレビに出られたからです
。


手水舎を通過すると、次に左右に「狛犬」が鎮座してます。なお、この先にも「狛犬」が鎮座してますね。
こちらの「狛犬」は、苔むしているので年代が古いのかも。ちゃんと阿吽形しています。
この先に京都府ます。文化財の「中門」があって、向かって右が「神輿庫」、左が「桟敷舎」が附いてます。一間一戸向唐門、檜皮葺。
「中門」をくぐらず、先に向かって左に行きます。そこには「伊豆神社」(左・祭神 天児家根命 社司桜井氏の祖)と「稲荷神社」(右・祭神 宇賀能魂神、大国主命)がありました。
次に向かって「門齋神社」(祭神 櫛磐間戸神)がありました。なお、ここから神明山古墳へ250㍍の看板がありましたが、行きません
。

神社では珍しい向唐門となっており、唐破風の曲線は円に近いものです。その門をくぐります。

次に正面の石段を上がると「拝殿」がありますが、ここは文化財の指定は無いようです。
第9代開化天皇の后であった竹野姫(たかのひめ)は丹波大懸主由碁理命の娘として、記紀神話に名前が残っている。竹野神社の創祀は竹野姫が晩年郷里に天照大神を祀ったことが始まりとされ、「延喜式神名帳」では神名大社に列した。社殿は1830年(文政13年)の再建で、本殿は一間社流造で規模は大きく、京都府登録文化財に指定されている。祭礼に奉納される「竹野テンキテンキ」は子供6人で演じる民俗芸能。中世からの伝承で、京都府無形文化財に指定されている。
ここからほど近い「道の駅 てんきてんき丹後」に2018年(平成30年)6月に行きました。このテンキテンキのネーミングの意味が、ここに来て初めて知りました
。
拝殿裏に一間社流造で檜皮葺の「本殿」と右に、境内摂社の一間社流造で檜皮葺の「齋宮(いつきのみや)神社」があり、ともに京都府登録文化財に指定されています。

「本殿」には、御祭神に天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。前途したおり一間社流造で、身舎(しんしゃ)正面には双折(もろお)れ桟唐戸(さんからと)をたて、側面は二間で簡素な造です。

境内摂社の「齋宮(いつきのみや)神社」の祭神は、竹野姫と開化天皇の御子・日子坐王命(ひこいますきみのみこと)、健豊波豆良和気命(たけとよはづらわけのみこと)の三柱が祀られています。
齋宮神社には、第31代用明天皇の第三皇子・麿子(まろこ)親王も祀られています。ちなみに第二皇子は厩戸皇子(聖徳太子)です。この竹野神社の近くに、麿子親王に打たれた鬼が鎮まっている塚、「鬼神塚」があります。毎年12月に、ここで「鬼祭り」斉行され、鬼を祭る神事が執り行われます。鬼祭りを通して、鬼の魂を再び一時的に呼び起こして、その年のささげ物を鬼に対してささげて、また静かに魂を鎮めるという考え方で鬼祭りが続けられており、ここでは退治された鬼も大切にされているんだなぁ・・・と思いました。この情報は、先般放送された「歴史秘話ヒストリア 大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」で禰宜のSさんが話されていたことです。

「拝殿」の中も覗いて見ましたが、何もないです。昇殿は禁止だったかどうか、覚えてないです
。
境内の西側にあったのは、神様のお食事を造られる「神饌所」がありました。今も現役かどうかは不明ですが・・・。





さほど広くない境内を見て回り、中門から出て行きました。帰りに「手水舎」によると、水は出てました
。
帰りに「社務所」に寄りました。すると朱印があるようなことが書いてあったので、そこに書いてあった電話番号に電話しました。電話には出られたんですが、転送電話にされていて直ぐに戻れないようなことを聞いたので、諦めてここを出て行くことにしました。
ここに来た時、すれ違って今は境内の清掃をされてる方にお願いすれば良かったけど、わざわざ呼びにいくの気の毒だし、諦めました。

駐車場に戻る途中にあった「厳島神社」を撮りました。近くにはよりませんでしたが・・・。
この先に見えている鳥居が「二の鳥居」です。こちらも近くには行きませんでした。
友人が「三の鳥居」前に車を止めていたので、撮影のため無理言って除けて貰いました
。朝早いこともあって、日曜日でも誰も来られませんでした。
次の目的地をナビに入れて9時25分に、ここを出て行きました。それにしても、まさか3日後に、ここが全国放送されるとは思ってもみなかったですね。次の目的地が、今日来たメインです。
【竹野神社】


この日の出発は、7時にしました。京都の最低気温は4.4℃で冷え込んだので、亀岡市や福知山市以北では霧が発生していることでしょう、初冬では、ほぼ毎日のことで心配してません。車は沓掛ICから京都縦貫自動車道に入り、京都府北部を目指します。老ノ坂峠を超えると亀岡市に入りますが、やっぱり霧が出てました。それも直ぐに抜けましたが、京都府丹波町を超えると再び深い霧に覆われます。最高速度も50㌔に規制されるなか、「由良PA」に8時5分に入り最初の休憩です。



トイレを済ませると8時10分に出て行きました。京都縦貫自動車道は、園部を超えると、ほぼ対面走行です。日曜日でも渋滞は無く順調に京都府北部まで走行できました。そして、京都縦貫自動車道の終点「京丹後大宮IC」で高速を降り、府道655号線を北上し丹後半島を目指します。途中、府道53号線に乗り換え引き続き北上し、途中「ローソン京丹後弥栄店」に買い物で寄りました。ここから府道482、653、75号線と乗り換え、9時5分に今日最初の訪問地「竹野神社(たかのじんじゃ)」に着きました。

私が来たのが6日(日)、その3日後、NHK総合 第409回 「歴史秘話ヒストリア 大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」で、ここ竹野神社が紹介されました。





何故、竹野神社の禰宜のSさんが分かったかと言うと、前途したとおりテレビに出られたからです













第9代開化天皇の后であった竹野姫(たかのひめ)は丹波大懸主由碁理命の娘として、記紀神話に名前が残っている。竹野神社の創祀は竹野姫が晩年郷里に天照大神を祀ったことが始まりとされ、「延喜式神名帳」では神名大社に列した。社殿は1830年(文政13年)の再建で、本殿は一間社流造で規模は大きく、京都府登録文化財に指定されている。祭礼に奉納される「竹野テンキテンキ」は子供6人で演じる民俗芸能。中世からの伝承で、京都府無形文化財に指定されている。
ここからほど近い「道の駅 てんきてんき丹後」に2018年(平成30年)6月に行きました。このテンキテンキのネーミングの意味が、ここに来て初めて知りました






齋宮神社には、第31代用明天皇の第三皇子・麿子(まろこ)親王も祀られています。ちなみに第二皇子は厩戸皇子(聖徳太子)です。この竹野神社の近くに、麿子親王に打たれた鬼が鎮まっている塚、「鬼神塚」があります。毎年12月に、ここで「鬼祭り」斉行され、鬼を祭る神事が執り行われます。鬼祭りを通して、鬼の魂を再び一時的に呼び起こして、その年のささげ物を鬼に対してささげて、また静かに魂を鎮めるという考え方で鬼祭りが続けられており、ここでは退治された鬼も大切にされているんだなぁ・・・と思いました。この情報は、先般放送された「歴史秘話ヒストリア 大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」で禰宜のSさんが話されていたことです。












ここに来た時、すれ違って今は境内の清掃をされてる方にお願いすれば良かったけど、わざわざ呼びにいくの気の毒だし、諦めました。





次の目的地をナビに入れて9時25分に、ここを出て行きました。それにしても、まさか3日後に、ここが全国放送されるとは思ってもみなかったですね。次の目的地が、今日来たメインです。
【竹野神社】
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