大原三千院界隈を散策 天台宗 魚山 大原寺 実光院へ
出世稲荷神社を出て、三千院の方向に歩いて行きます。この大原の里山には、一昨年の2019年(平成31年)1月26日に雪の「寂光院」に来て以来です。ただ三千院界隈となると2015年(平成27年)4月26日以来の久々です。
歩いて行くと、小雪混じりの雨が降ってきました。だから寒いです。そのためか今日は日曜日ですが、人通りも少ないように思えました。久し振りの三千院ですが、その前は通り過ぎます。
律川に架かる朱塗りの橋」末明橋」を渡ると、もうすぐです。この日の目的地に10時58分に着きました。
大原三千院界隈で唯一も未訪問だった天台宗 魚山 大原寺 実光院が、この日の目的でした。小雪混じりの雨が降ってきたので、急いで「山門」に入って、次に玄関を撮影します。
山門には「不断桜」が咲いてるようなことが書いてありましたが、のちほど散策します。とりあえず急いで「玄関」に入りました。
受付で手指消毒をしてから拝観料500円、朱印代300円、茶席料300円を納めてから入りました。
庭にも降りられますが、先ずは「客殿」に入ります。先客は1名と庭に1組2名と空いてました。
予想外に庭は綺麗でした。その庭はあとでゆっくり見ることにして、先に持って来られた「お茶菓子」をいただきました。
実光院は魚山大原寺 勝林院を本堂に頂く僧坊の一つで、応永年間(1394~1428)に宗信法印によって復興された。かつて実行院の他に普賢院、理覚院、宝泉院など多くの僧坊が存在した。実光院はもと、現在池の向かい側、大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)が所在する場所にあった。明治以降に普賢院、理覚院は無住となり、1919年(大正9年)、この二院と統合するかたちで旧普賢院の寺地に移転し、現在に至っている。これは、梶井宮門跡第20世・尊快法親王(後鳥羽天皇第10皇子)によって、旧実光院の後楽に両帝の遺骨を分骨し安置していたが、本陵として整備するため旧宮内省の命により移転したものである。客殿は1921年(大正10年)に建てられたもので、欄間の「三十六歌仙」の画像は、江戸中期に狩野派の絵師によって描かれたものである。
庭に雪が残っているぐらい寒いのに開け放たれた客殿南側の庭を、美味しいお茶菓子をいただきながら庭を見ていました。
客殿南側の庭園は「契心園」と呼ばれ、江戸後期の作庭です。律川から水を引き「心地の池」を中心とした旧普賢院以来現存する池泉観覧式の庭園です。なお、築山の松は鶴を、池の島は亀を表している。
次に、雪が降ってますが庭に降ります。客殿の西側からスリッパを借りて散策しますが、お目当ては「不断桜」です。
降りると、直ぐに「織部灯籠」を見付けました。大原の山々も雪で煙ってますが、これでは積もる心配は無いでしょう。
先に「不断桜」を見ました。四季を問わず咲く珍しい桜で、この冬でも成葉が残り、花が咲いています。
この庭園を西北には茶室「理覚庵(りかくあん)」があったので、内部を見学します。
1975年(昭和50年)に建てられた茶室で、建築資材のほとんどが実光院領の山林から切り出して調達されたものです。
茶室の外には、苔むした「蹲踞」と、露地庭園。そして「四阿」もありました。なお、茶室内部に上がることは出来ません。
客殿の西側に広がる庭園は、回遊式庭園となっており、元は旧理覚院の寺地で、実光院と統合後は荒廃してましたが、以降の歴代住職が作庭整備し現在に至っているそうです。
旧理覚院の庭園を一周し外から「客殿」を見て、外から「契心園」を見てから上がりました。予想外に広い庭園でしたね。
11時20分頃に出て来たら小雪が止んでました。折りたたみの傘をしまい鞄に入れ、靴を履いて山門を出てみとる・・・?
ここを出て、本当なら駐車場に戻るか三千院に入るか、食事をしていくか決めかねていました。すると2020年(令和2年)8月22日にNHKで放送されたことをふと思い出し、そちらに行ってみることに急遽決めました。
【天台宗 魚山 大原寺 実光院】
歩いて行くと、小雪混じりの雨が降ってきました。だから寒いです。そのためか今日は日曜日ですが、人通りも少ないように思えました。久し振りの三千院ですが、その前は通り過ぎます。
律川に架かる朱塗りの橋」末明橋」を渡ると、もうすぐです。この日の目的地に10時58分に着きました。
大原三千院界隈で唯一も未訪問だった天台宗 魚山 大原寺 実光院が、この日の目的でした。小雪混じりの雨が降ってきたので、急いで「山門」に入って、次に玄関を撮影します。
山門には「不断桜」が咲いてるようなことが書いてありましたが、のちほど散策します。とりあえず急いで「玄関」に入りました。
受付で手指消毒をしてから拝観料500円、朱印代300円、茶席料300円を納めてから入りました。
庭にも降りられますが、先ずは「客殿」に入ります。先客は1名と庭に1組2名と空いてました。
予想外に庭は綺麗でした。その庭はあとでゆっくり見ることにして、先に持って来られた「お茶菓子」をいただきました。
実光院は魚山大原寺 勝林院を本堂に頂く僧坊の一つで、応永年間(1394~1428)に宗信法印によって復興された。かつて実行院の他に普賢院、理覚院、宝泉院など多くの僧坊が存在した。実光院はもと、現在池の向かい側、大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)が所在する場所にあった。明治以降に普賢院、理覚院は無住となり、1919年(大正9年)、この二院と統合するかたちで旧普賢院の寺地に移転し、現在に至っている。これは、梶井宮門跡第20世・尊快法親王(後鳥羽天皇第10皇子)によって、旧実光院の後楽に両帝の遺骨を分骨し安置していたが、本陵として整備するため旧宮内省の命により移転したものである。客殿は1921年(大正10年)に建てられたもので、欄間の「三十六歌仙」の画像は、江戸中期に狩野派の絵師によって描かれたものである。
庭に雪が残っているぐらい寒いのに開け放たれた客殿南側の庭を、美味しいお茶菓子をいただきながら庭を見ていました。
客殿南側の庭園は「契心園」と呼ばれ、江戸後期の作庭です。律川から水を引き「心地の池」を中心とした旧普賢院以来現存する池泉観覧式の庭園です。なお、築山の松は鶴を、池の島は亀を表している。
次に、雪が降ってますが庭に降ります。客殿の西側からスリッパを借りて散策しますが、お目当ては「不断桜」です。
降りると、直ぐに「織部灯籠」を見付けました。大原の山々も雪で煙ってますが、これでは積もる心配は無いでしょう。
先に「不断桜」を見ました。四季を問わず咲く珍しい桜で、この冬でも成葉が残り、花が咲いています。
この庭園を西北には茶室「理覚庵(りかくあん)」があったので、内部を見学します。
1975年(昭和50年)に建てられた茶室で、建築資材のほとんどが実光院領の山林から切り出して調達されたものです。
茶室の外には、苔むした「蹲踞」と、露地庭園。そして「四阿」もありました。なお、茶室内部に上がることは出来ません。
客殿の西側に広がる庭園は、回遊式庭園となっており、元は旧理覚院の寺地で、実光院と統合後は荒廃してましたが、以降の歴代住職が作庭整備し現在に至っているそうです。
旧理覚院の庭園を一周し外から「客殿」を見て、外から「契心園」を見てから上がりました。予想外に広い庭園でしたね。
11時20分頃に出て来たら小雪が止んでました。折りたたみの傘をしまい鞄に入れ、靴を履いて山門を出てみとる・・・?
ここを出て、本当なら駐車場に戻るか三千院に入るか、食事をしていくか決めかねていました。すると2020年(令和2年)8月22日にNHKで放送されたことをふと思い出し、そちらに行ってみることに急遽決めました。
【天台宗 魚山 大原寺 実光院】
この記事へのコメント