雪が残る雲ヶ畑 岩屋山 志明院へ
大原の里山から江文峠を通って静原そして市原に出て賀茂川を渡り、その上流に向かって雲ヶ畑街道があり、車はその雲ヶ畑街道を北上します。友人と話してて、「駅伝コースをそれて市内に出られないかなぁ」と話してて、友人が私と共通の知人で先輩が住んでいた「雲ヶ畑に行ってみよう」と言う話しになって、私にとっては初めての雲ヶ畑に直行ということになりました。雲ヶ畑は、京都市北区になりますが、最近は定期交通だった京都バスも撤退し、人里離れた集落となりました。車は、どんどん山中に入って行きます。我が社はマイカー通勤は禁止なんですが、先輩は車で通われていましたね、懐かしい思い出です。それにしても山深い里に雲ヶ畑の集落はありました。友人は、その先輩の家を知っていたので、その前を通ってくれました。毎日、ここから通われていたんだぁ・・・と。そのあと友人が向かった先が岩屋山 志明院でした。
13時00分頃着きましたが、京都市内とは思えないほど雪景色に変わりました。さすがに雪国ですね。
鹿よけネットがあって、その先の石段を上がります。着いたら雪か雨かずっと降り続いているので傘を差して向かいました。
志明院の噂は前から聞いていて、仁王門から先は荷物の持ち込み禁止、撮影禁止は知ってました。
雪が降って寒いなか、寺の方から拝観についての注意事項を聞きます。ただ聞こえないので近づくと「ソーシャルディスタンス」と言われ制止されます。マスクが下がっているとそれも注意されます。少々面倒くさい所に来てしまった・・・と思いました。
今日は、雪が積もっているので本堂より先の石段は登らないでください。戻りは30分以内で、仁王門先は写真撮影は禁止です・・・と。ここまで来たので、朱印帳は出しました。拝観料500円と朱印代300円は先に納めます。多分、もう来ないてすね。
雪か雨か絶え間なく降り続いています。傘を差しての拝観で、足元は雪が積もっているので滑るのも注意です。
仁王門から写真を撮りました。ここなら濡れないのでね。石段を上がった先に見えているのが、ここの「本堂」です。
岩屋山 志明院は、650年(白雉元年)役行者が草創(そうそう)。829年(天長6年)弘法大師が、第53代・淳和天皇の叡願により再興、本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ、根本中院本尊眼力不動明王は第59代・宇多天皇の勅願により菅原道真公一刀三礼の彫刻で以来皇室勅願所として崇敬深く、秘仏として即位に際し勅使を迎え開扉され、宝祚延長、万民安穩の祈願を籠めた。日本最古不動明王顕現の神秘霊峯である。皇室の崇敬の一因には鴨川の水源地である岩屋洞窟の湧水を敬い、水神を祀り、清浄な鴨川の用水を祈願したと伝わる。水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」がある。1831年(天保2年)失火により山門を除く殆んどが焼失の悲運にあったが本尊不動明王は災厄を免れた。その後、熱心な信者により復興された。
石段を傘を差しながら登り、次の石段を見ると、雪が積もっていますが、登れそうでした。ただ入口で「登らないで」と言われたので、友人と相談して止めました。入口でしつこく言われたのでね。ここはシャクナゲが有名です。それもそうで京都の天然記念物に指定されているのんですね。ここまで来るのはやっぱり遠いですし、大変ですね。
石段を降りてきて13時15分頃、朱印帳を受け取ってここを出て行きました。まさか今日のこの日に雪景色が見られとは思ってもみなかったです。
寺の方が少々面倒な方で、もうここには来ないかなぁ・・・と思いましたが、雪で上がれなかった賀茂川の源流・・・起点も見てみたいし、気が向いたら再び来るかも?
岩屋山 志明院を出て、友人が「持越峠を通って京都市内に戻るわ」と言って、持越林道を進んで行きます。看板には「持越林道 8㌧以上は通行不可」と書いてある通り、道幅は狭いです。ただ今日は日曜日ということもあって、数台の車とはすれ違いました。人家の無い林道を、そして峠を越えると、ほどなくして突き当たりにさしかかると、車は左折し鷹峯街道を進みます。こちらも「京見峠」を越えます。車窓から京都市街地が木々の間から見えるので、標高の高い所を走っているんだぁ・・・と。鷹峯街道を下って行くと、人家も増えてきて鷹峯に入って来ただなぁと感じますが、すると突き当たりに差し掛かります。この突き当たりのを左に行けば 光悦寺や源光庵があって、私も何度も行ってます。しかし、車は左に進みます。すると京都市内でも屈指の急坂が待っています。ギアをローに入れて下って行きます。私も、この坂は知ってました。前途した光悦寺・源光庵や吟松寺は紅葉の名所で、この急坂も案内書には載っているので知ってた訳です。車は原谷の街並みを通って、再び山道の入ります。ほどなく車は山道を下って行くと、友人が「宇多天皇 大内山陵」の登り口の前で車を止めました。
友人に案内された通り、ここから登って行くことに・・・聞いて無いょ・・・と思いながら・・・。
そして、ここまで登って来ると、友人が「振り向いて」と言ったので、振り返ると・・・?。
綺麗な京都市街地が見えました。今、市内では高校駅伝の選手が走っていると思われますが、さすがに京都市内では雪は無いです。
ここから西側の山を見ると、仁和寺の御室八十八箇所の洞が見えていて、登られている人も見えました。私もいつかは挑戦してみたいと思っています。
ここから写真の通り、急な下り坂を降りていき、車は仁和寺の北側までやって来ました。そして仁和寺境内の北側を通り、次に東側を通って、やっと「きぬがけの路」で出てきました。家には14時30分頃に帰りましたが、高校駅伝の選手は、まだ走ってましたね。友人のおかげで、まったく知らなかった京都を知ることが出来ました。
【岩屋山 志明院】
【持越峠】
【京見峠】
【宇多天皇 大内山陵】
13時00分頃着きましたが、京都市内とは思えないほど雪景色に変わりました。さすがに雪国ですね。
鹿よけネットがあって、その先の石段を上がります。着いたら雪か雨かずっと降り続いているので傘を差して向かいました。
志明院の噂は前から聞いていて、仁王門から先は荷物の持ち込み禁止、撮影禁止は知ってました。
雪が降って寒いなか、寺の方から拝観についての注意事項を聞きます。ただ聞こえないので近づくと「ソーシャルディスタンス」と言われ制止されます。マスクが下がっているとそれも注意されます。少々面倒くさい所に来てしまった・・・と思いました。
今日は、雪が積もっているので本堂より先の石段は登らないでください。戻りは30分以内で、仁王門先は写真撮影は禁止です・・・と。ここまで来たので、朱印帳は出しました。拝観料500円と朱印代300円は先に納めます。多分、もう来ないてすね。
雪か雨か絶え間なく降り続いています。傘を差しての拝観で、足元は雪が積もっているので滑るのも注意です。
仁王門から写真を撮りました。ここなら濡れないのでね。石段を上がった先に見えているのが、ここの「本堂」です。
岩屋山 志明院は、650年(白雉元年)役行者が草創(そうそう)。829年(天長6年)弘法大師が、第53代・淳和天皇の叡願により再興、本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ、根本中院本尊眼力不動明王は第59代・宇多天皇の勅願により菅原道真公一刀三礼の彫刻で以来皇室勅願所として崇敬深く、秘仏として即位に際し勅使を迎え開扉され、宝祚延長、万民安穩の祈願を籠めた。日本最古不動明王顕現の神秘霊峯である。皇室の崇敬の一因には鴨川の水源地である岩屋洞窟の湧水を敬い、水神を祀り、清浄な鴨川の用水を祈願したと伝わる。水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」がある。1831年(天保2年)失火により山門を除く殆んどが焼失の悲運にあったが本尊不動明王は災厄を免れた。その後、熱心な信者により復興された。
石段を傘を差しながら登り、次の石段を見ると、雪が積もっていますが、登れそうでした。ただ入口で「登らないで」と言われたので、友人と相談して止めました。入口でしつこく言われたのでね。ここはシャクナゲが有名です。それもそうで京都の天然記念物に指定されているのんですね。ここまで来るのはやっぱり遠いですし、大変ですね。
石段を降りてきて13時15分頃、朱印帳を受け取ってここを出て行きました。まさか今日のこの日に雪景色が見られとは思ってもみなかったです。
寺の方が少々面倒な方で、もうここには来ないかなぁ・・・と思いましたが、雪で上がれなかった賀茂川の源流・・・起点も見てみたいし、気が向いたら再び来るかも?
岩屋山 志明院を出て、友人が「持越峠を通って京都市内に戻るわ」と言って、持越林道を進んで行きます。看板には「持越林道 8㌧以上は通行不可」と書いてある通り、道幅は狭いです。ただ今日は日曜日ということもあって、数台の車とはすれ違いました。人家の無い林道を、そして峠を越えると、ほどなくして突き当たりにさしかかると、車は左折し鷹峯街道を進みます。こちらも「京見峠」を越えます。車窓から京都市街地が木々の間から見えるので、標高の高い所を走っているんだぁ・・・と。鷹峯街道を下って行くと、人家も増えてきて鷹峯に入って来ただなぁと感じますが、すると突き当たりに差し掛かります。この突き当たりのを左に行けば 光悦寺や源光庵があって、私も何度も行ってます。しかし、車は左に進みます。すると京都市内でも屈指の急坂が待っています。ギアをローに入れて下って行きます。私も、この坂は知ってました。前途した光悦寺・源光庵や吟松寺は紅葉の名所で、この急坂も案内書には載っているので知ってた訳です。車は原谷の街並みを通って、再び山道の入ります。ほどなく車は山道を下って行くと、友人が「宇多天皇 大内山陵」の登り口の前で車を止めました。
友人に案内された通り、ここから登って行くことに・・・聞いて無いょ・・・と思いながら・・・。
そして、ここまで登って来ると、友人が「振り向いて」と言ったので、振り返ると・・・?。
綺麗な京都市街地が見えました。今、市内では高校駅伝の選手が走っていると思われますが、さすがに京都市内では雪は無いです。
ここから西側の山を見ると、仁和寺の御室八十八箇所の洞が見えていて、登られている人も見えました。私もいつかは挑戦してみたいと思っています。
ここから写真の通り、急な下り坂を降りていき、車は仁和寺の北側までやって来ました。そして仁和寺境内の北側を通り、次に東側を通って、やっと「きぬがけの路」で出てきました。家には14時30分頃に帰りましたが、高校駅伝の選手は、まだ走ってましたね。友人のおかげで、まったく知らなかった京都を知ることが出来ました。
【岩屋山 志明院】
【持越峠】
【京見峠】
【宇多天皇 大内山陵】
この記事へのコメント