麒麟がくる京都亀岡大河ドラマ館へ

12月23日(水)は、友人から急遽誘われたこともあって、予定では亀岡から箕面を抜けて高槻に出て、大阪府三島郡を通って帰ってくる予定で出掛けました。私は予約通院日のため、それを待って9時50分頃に出発。車は物集街道から千代原口の交差点を右折し、国道9号線に入ります。そして本能寺の変で知られる老ノ坂峠を越えて亀岡市に入りました。明智光秀が本能寺を目指した「老ノ坂」は諸説ありますが、国道9号線の「老ノ坂隧道」では無いことは確かです

この日、最初の訪問地は、「京都サンガF.C..」のホームスタジアムとして知られる「サンガスタジアム by KYOCERA(京都スタジアム)」内の特設会場の「麒麟がくる京都亀岡大河ドラマ館」でした。

これがアップされる頃には、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は最終回を終えてるでしょう。どんな本能寺の変が描かれているのか楽しみですね。車はサンガスタジアム内の無料駐車場に10時30分頃に入れました・・・と言うより、ガラガラでした。

IMG_0009.jpg入ると先ずは検温です。そして手指消毒をしてから受付に向かい、入館料600円をJAFの会員割引で480円になりました。なお、写真撮影はOKと書いてあるところのみ撮れました

IMG_0010.jpg館内は、ガラガラではなく結構な人が来られていました。しかも若い人が多かったですね。

料金を払ったら、早速「エントランス」から入りました。

IMG_0011.jpgIMG_0012.jpgIMG_0013.jpgここでは作(池端俊策 / 前川洋一 / 岩本真耶 / 河本瑞貴)、音楽(ジョン・グラム)、語り(市川海老蔵)、題字(中塚翠涛)などドラマを支えるスタッフが紹介されてます。

ここをあっさり見て、次へと進みます。そこは「麒麟がくる」の世界1でした。

IMG_0014.jpg空いている所から見ていくので順序はバラバラですが、こちらの衣装は、私の記憶では、放送当初に明智十兵衛こと長谷川博己さんが着ていた衣装ですね。

IMG_0015.jpgIMG_0016.jpgここでは、菊丸こと岡村隆史さんと、松永久秀こと吉田鋼太郎さんの衣装が展示されていました。

IMG_0017.jpgIMG_0018.jpgこちらは、望月東庵(もちづき とうあん)こと堺正章さんと、駒こと門脇麦さんの衣装です。

次が、「麒麟がくる」の世界2です。オープニング映像メイキング映像も楽しめますが、ここは撮影禁止でした。ここでは友人は見てましたが、私は次へと向かいました

IMG_0020.jpgここでは本能寺の前で記念撮影できるみたいです。明智光秀の甲冑がありました。ただ、今の本能寺とは全然違いますね。

IMG_0021.jpg「本能寺」の扁額の前で、明智十兵衛光秀こと長谷川博己さんと記念撮影です。私はしませんが

IMG_0022.jpgこちらは明智光秀の叔父・明智光安こと西村まさ彦さんが着ていた甲冑が展示。光安は、光秀の叔父(父の弟)で、明智家の当主で、斎藤道三の家臣でした。

IMG_0023.jpgこちらは有名な「本能寺焼討之図」(東京都立中央図書館蔵)の一部ですが展示されてました。本合戦浮世絵の中央では、甲冑を身にまとった「安田作兵衛」が、「織田信長」に槍を突き立てようとしている様子を描写してます。

次の「出演者サイン展示」は撮影禁止でした。ここでは、出演者の大河ドラマ館へ宛てた直筆サインが展示されてます。そして、次の「麒麟がくる」ドラマシアター撮影禁止でした。ここも座れなくて立見が出てるほどです。ここではドラマの世界感を4K映像で楽しむことができるメイキングやインタビュー映像が上映されてました。

次が史実展示です。「麒麟がくる 京都亀岡大河ドラマ館」限定の企画展示「光秀とは何者か?」や亀岡市南郷公園の光秀公の銅像のモックアップも展示されてます。

IMG_0024.jpgこちらのパネルでは、愛宕山愛宕神社信仰と明智光秀の関係を詳しく書かれてました。「本能寺の変」の前に、光秀自身が愛宕神社に参拝し、「ときは今 あめが下しる 五月かな」と詠んだことで知られていますね。

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ここでは明智光秀という人物の相関関係を詳しく書かれていました。歴史好きには興味津々で読まさせて貰いました。

IMG_0026.jpgこちらのパネルは興味が沸きました。①5月26日亀山城に入る ②5月27日愛宕神社に戦勝祈願、5月28日愛宕山西坊いて連歌会を行う ③6月1日亀山城より出陣 ④6月2日本能寺を襲撃  ⑤6月2日大津にて山岡景隆邸を焼き討ち ⑥6月2日坂本城に帰り諸方に協力を要請、6月4日近江を制圧 ⑦6月5日安土城に入る、6月7日安土城いて勅使・吉田兼見と会談 ⑧6月9日上洛し禁裏参内後、吉田邸に赴く ⑨洞ケ峠に出陣 ⑩6月11日下鳥羽陣屋にて淀城普請を命ずる ⑪6月12日勝龍寺城付近に羽柴勢と戦闘 ⑫6月13日山崎の戦い ⑬6月13日小栗栖にて自害

IMG_0027.jpgIMG_0028.jpgこちらのパネルでは亀岡市内に点在する明智光秀ゆかりの地が紹介されてました。これを見ていたら係の方よりパンフをいただいたので、ここを出たら回ってみるつもりです。

IMG_0029.jpgこの銅像は、亀山城前にある南郷公園にある明智光秀の銅像のレプリカですね。本物はもっと大きいです

IMG_0030.jpg明智光秀が本能寺まで、どのルートを通ったを説明されています。ここでは2ルートが表示されていますが、諸説あって3ルートぐらい絞られるみたいですね。

IMG_0031.jpg最後に、「本能寺の変」が起きた理由は・・・?あなたが思う説にシールを貼って投票しよう!」があったので私も投票しました。

1.足利義昭陰謀説 
光秀謀反の背景に室町幕府第15代将軍足利義昭がいたとする説。室町幕府の秩序回復のため、光秀と義昭が連携し、織田政権の転覆を狙った。

2.朝廷黒幕説 
光秀謀反の背景に、天皇家をはじめとする朝廷勢力がいたとする説。信長が正天皇を譲位させ、自ら上皇になろうとしていたとし、反感を強め
た朝廷勢力が光秀に信長を討たせた。

3.突発的犯行説 
黒幕は存在せず、光秀が信長殺害を思いつき、単独で動いたとする説。光秀が取り持ってきた長宗我部元親の四国安堵が急に反故にされるなど面目を失った光秀が自らの今後を憂慮して信長殺害を決意した。

4.怨念説 
明智光秀の蓄積した個人的うらみによって織田信長を殺害したというもの。八上城落城の際、人質として差し出していた光秀の母親が殺害されたことなどから、個人的うらみが蓄積していた。

皆さんの投票で一番多いのは、4番の怨念説でした。次に3番の突発的犯行説、2番の朝廷黒幕説、1番の足利義昭黒幕説が最下位でした。私は3番の突発説に入れました。4番の怨念説は従来のドラマの影響でしょう。1番と2番は私は無いかと思います。何より光秀本人以下は分からないですね。諸説いろいろあって面白いです。前途したとおり、これがアップされる頃には本能寺の変は終わってます。どのように描かれたでしょうか?

ここを出ると、「亀岡物産展」に出ます。亀岡へは度々訪れてますが土産物は買った事が無かったので何点か家族の土産を買いました。

IMG_0032.jpgこちらが無料駐車場から撮った写真です。現在「京都サンガF.C..」はJ2です。早くJ1に上がって、ガンバ大阪と、ここ「サンガスタジアム by KYOCERA(京都スタジアム)」で見てみたいですね。アウェーですが。

ここを11時過ぎに出て行きました。当初の予定では亀岡から箕面に抜ける予定でしたが、ここに着くのが遅くなったので、亀岡市内を散策するコースに変更となりました。

【麒麟がくる京都亀岡大河ドラマ館】

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