108基の鐘に願いを込めて700㍍の参道を登る「京都帝釋天(福寿寺)」へ
れいん房 本店を出て、国道9号線を京都方面に戻ります。JR吉富駅の手前で左折、府道408号線を道なりに進み、途中大堰川を渡ります。途中で、「雪印メグミルク 京都工場」の横を通過しましたね。ここでは工場見学をされているので、いつかは行って見たいと思っています。次に府道25号線(亀岡園部線)の交差点で左折し、道なりに進みますが道幅は広いので安心して走れますね。ほどなくすると京都帝釈天の駐車場があって、ここには止めません。その先の「京都帝釈天参道」と書いてある道標を曲がると、ここから山道に入って行きます。登り口の入口にゲートがあって、ここから急な登りが続きます。その参道には108基もの鐘があって、通常は一つ一つ鐘を撞きながら、この参道を登ります。車は急な坂道を登り切った先にある駐車場に車を14時00分に止めました。
この山深いところにある寺院は、曹洞宗 医王山 福寿寺 京都帝釋天で、私は初めての訪問です。
下の駐車場から歩いて登るのは、かなり体力が必要だなぁ・・・と思います。私は膝が悪いので友人が上まで来てくれましたが・・・。
車を止めた所が「奥之院」に通じる石段下でした。登山口には「手水舎」もあって、ここでは御神水がいただけるみたいです。

こちらのお堂の名前は分かりません。本堂に通じる石段を上から見ると、登ってきた参道が見えてました。
こちらは「仏足石(ぶっそくせき)」で、帝釋天の"おみあし"の跡を石に刻んだものです。この仏足石の前に置かれた台石の円相の中に立ってお祈りするそうです。




狭い境内をカメラを一周してみました。この鐘楼は「よろこびの鐘」と呼ばれ、誰でも撞けるみたいですね。

友人が先にお参りしているので「本堂」は後回し
。こちらは「親子地蔵尊」と呼ばれています。
その横が「小石結び」と呼ばれ、二個の小石を赤い糸でしっかり結んで台の上に置き、2人が結ばれるように祈るようです。


こちらの社殿も名前は不明です。このような山中にあるので、私ら2人以外は誰も居ませんでした。そして寺務所も無さそうです。


「本堂」の前に、大きな輪があって、この輪の中は合掌をしながら通るようです。この金色の法輪には、生まれ年の(十二支)の御守り本尊が種子として梵字で刻まれています。
京都帝釋天は、1200年の歴史を誇る京都府南丹市にある山の上にあるお寺。山号を紫雲山と称し平安建都の少し前、780年(宝亀11年))に和気清麿公によって開創されました。古くから「願いごとの叶う神」として親しまれており、参道の約700㍍に1088個ある「願いの鐘」が有名で、映画でおなじみの寅さんの「願いの鐘」も上納されています。応仁年間(1467年~1469年)、寛永年間(1624年~1644年)に2度の火災にあい、堂宇は烏有に帰すも尊像は不思議に難をのがれました。現在の堂宇は、1688年(貞享4年)、丹波国園部藩3代藩主・小出伊勢守英利を初めとして、各地の信者からの浄財により再建されたものです。(京都府指定文化財)。

本堂の周りには「お猿」さんが居ます。庚申信仰を持つ帝釈天では、お猿は「願い事」を帝釈天(釈迦の守護神)にお伝えする「お使い」です。

本堂前には朱印がありました。自分で朱印帳に押すシステムのようです。ただ、あまりにも汚いので持つのを止めました。
本尊の帝釋天は、天上界の神々を統率し、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を側近に従え、厄、難、邪、悪、病魔等を打ち払ってみなぎる力を与え給い、更に、百施の王者として「心から信ずる者の願いごとを叶えてくださる」霊験あらたかな力強い仏神である。また、いつとはなく「小遣いや金銭に不自由しない」といわれ、この面でも幅広い信者層がある。本尊は、古来よりのしきたりで、30年~40年に一度しか開帳が行われず、近年では、1917年(大正6年)、1953年(昭和28年)、1992年(平成4年)に宮殿の扉が開かれた。


上から、来るまで登ってきた山道を見ています。ここで友人にお願いして私だけ石段を降りました。



石段を降りてきて、車で登ってきた参道を撮りました。道幅は広いみたい見えますが、途中はけっこう狭いです。


苔むした「手水舎」が石段下にありました。ここで上から降りて来た友人と合流し、車に乗り込みました。
14時10分頃にここを出て、再び京都帝釋天の急な坂道を下って行きます。このような山中にある寺院に1人では来られなかったでしょうね、ここから国道9号線に戻らず、京都市右京区嵯峨水尾を目指します。
【京都帝釋天】

この山深いところにある寺院は、曹洞宗 医王山 福寿寺 京都帝釋天で、私は初めての訪問です。




















京都帝釋天は、1200年の歴史を誇る京都府南丹市にある山の上にあるお寺。山号を紫雲山と称し平安建都の少し前、780年(宝亀11年))に和気清麿公によって開創されました。古くから「願いごとの叶う神」として親しまれており、参道の約700㍍に1088個ある「願いの鐘」が有名で、映画でおなじみの寅さんの「願いの鐘」も上納されています。応仁年間(1467年~1469年)、寛永年間(1624年~1644年)に2度の火災にあい、堂宇は烏有に帰すも尊像は不思議に難をのがれました。現在の堂宇は、1688年(貞享4年)、丹波国園部藩3代藩主・小出伊勢守英利を初めとして、各地の信者からの浄財により再建されたものです。(京都府指定文化財)。




本尊の帝釋天は、天上界の神々を統率し、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を側近に従え、厄、難、邪、悪、病魔等を打ち払ってみなぎる力を与え給い、更に、百施の王者として「心から信ずる者の願いごとを叶えてくださる」霊験あらたかな力強い仏神である。また、いつとはなく「小遣いや金銭に不自由しない」といわれ、この面でも幅広い信者層がある。本尊は、古来よりのしきたりで、30年~40年に一度しか開帳が行われず、近年では、1917年(大正6年)、1953年(昭和28年)、1992年(平成4年)に宮殿の扉が開かれた。










14時10分頃にここを出て、再び京都帝釋天の急な坂道を下って行きます。このような山中にある寺院に1人では来られなかったでしょうね、ここから国道9号線に戻らず、京都市右京区嵯峨水尾を目指します。
【京都帝釋天】
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