西国三十三ヵ所二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺へ
味土野にある「細ガラシア隠棲の地」を出て、車は府道75号線を下ります。そして野間宮川橋の交差点を左折し府道57号線に入り山道を道なりに進みます。次に外村粕辺口の交差点を左折し府道53号線に入り、丹後半島の南側を目指します。そして男山の交差点を左折し国道178号線に暫くすると「成相寺」と大きな看板が出ているので、左折しほぼ北に向いて走ると山中に入って行きます。途中からは急角度の曲がりくねった道路になりますが、ここは私も2006年(平成18年)9月30日に車で登っているので記憶してました。
そして、本日3箇所目の訪問地は、西国三十三ヵ所二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺です。ここは何度か来てますが、14年も来て無いので友人に言って寄って貰った次第です。
成相寺の入口で、拝観料500円を車の中から納めます。そして駐車場の案内がありますが、私は友人に「第一駐車場」に止めるように言いました。
第二駐車場からの方が、本堂には近いけど、ここから行くと「撞かずの鐘」が近かったからです。
撞かずの鐘は、1608年(慶長13年)鋳造する際、赤ん坊が溶けた銅の中に落ちてしまい、出来上がった鐘は鐘をつく度に悲しい音が鳴り響き、赤ん坊の泣き声に聞こえる為、寺ではこの鐘をつくのをやめたというこという悲しい伝説を秘めています。
「第一駐車場」からだと、「本堂」へ行くには石段を上がります。これは納得済みですが・・・本堂を見ると・・・人が多そうです。
「本堂」が近づきましたが、左手にある「順礼堂」によりました。堂内には三十三ヵ所霊場の各ご本尊が安置されてるそうです。ここでお参りすると三十三ヵ所分の御利益があるとか。
その手前にあったお地蔵さんは「一願一言の地蔵さん」と呼ばれ、唯一願いを一言でお願いすると、必ず叶えてくださるそうです。約20年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
京都府文化財の「本堂」は、ここより山上にありましたが山崩れのため1774年(安永3年)に再建されました。ご本尊は厨子のなかに「木造聖観世音菩薩」が祀られているそうです。
堂内には靴のままで入ります。納経所は空いていたので、直ぐに貰いに行きました。前途したり今日は日曜日だし、人は多かったです。多分GoTo トラベルで来られているのでしょう、若者の団体が特に目立ちました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
成相寺は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。704年(慶雲元年)に第42代文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。江戸時代の宮津藩は、丹後ちりめんの生産地であるとともに、流通の拠点として商業・港湾都市として多くの人々が訪れたといわており、この成相寺も民謡「宮津節」にも唄われるほど賑わいました。
御朱印を貰ったら境内を散策です。先ずは京都府指定文化財「成相寺鎮守堂」(江戸時代)から。1676年(延宝4年)建立で、成相寺で現存する最古の建物。熊野大権現を祀っています。
日曜日で人も多かったけど、久し振りに来たので、もう少し見ていきます。ただ、これより先は行きません。
こちらは「十王堂」です。襖が少しだけ開いてて、安置されている「孔雀明王」「閻魔大王」を見ることができます。
再び「本堂」の前に戻って、重要文化財(工芸品)に指定されている「鉄湯船」を見ました。
1290年(正応3年)の作。鋳物師は山河貞清。成相寺の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯に用いられていまた。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。
本堂から第二駐車場経由で、石段を降りました。再び「撞かずの鐘」の前に出て、第一駐車場に戻らず石段を下って行くと、「怪奇な話の底なし池」に出ました。
その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。
ここまで来たのは、鎌倉時代の様式をそのままに再建された「五重塔」を見るためです。1998年(平成10年)に再建された新しい塔です。
「五重塔」の近くには「もみじ谷」がありました。12月6日でも、まだ綺麗に紅葉してました。時期が過ぎたので、ここには誰も居ません。
ここから石段を上がり駐車場に戻って、車に乗り込み私の案内で「パノラマ展望所(天空の回廊)」に向かいます。
14年前は、まだ舗装されていない道路を車で上がって行きましたが、この日来てみて放送されていたので過ぎた年月を知ることに。京都府北部のこの辺りは、けっこうな雪が降り積もります。その雪除けの対策でしょうか、スピードが出せないような造りになっていました。ようするにガタンガタンと一気に上がったり下ったり出来ません。それで約5分かかってようやく展望所に着きました。
車から降りると、さっそく眺望を楽しみます。この展望所も多くの方が来られていました。この時期に、京都府北部が晴れるのは珍しいので、良いときに来たもんです。
日本三景・天橋立"股のぞき"は有名ですが、ここにもありました。ただ、ここは距離が離れてるので少々無理があるかなぁ?。
私らは車で上がって来ましたが、数組の方は歩いて登られていました。急な坂道が続き、車でも5分はかかるのに私には無理です。
天気が良かったので、天橋立も綺麗に見えました。ただ正面から太陽の日差しを受けるので眩しかったのは仕方なかったけど・・・逆光でした。
帰るため車に戻ると、「かわらけ投げ」が空いてました。200円で3枚投げられます。友人と挑戦しましたが、二人とも外しました。
余談ですが、2006年(平成18年)9月30日には、見事に命中したんですが、肩が悪くなってましたね。届きません。久しぶりに来て、この展望所も綺麗になってましたね。私が以前来たときは、赤土でボコボコだったのに、それが舗装されてました。成相寺には「成相寺縁起」があって、それによると・・・。
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。 それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。
2006年(平成18年)9月30日の写真を見ても、伽藍の様子は変わってません。展望所だけは綺麗になってました。11時36分に展望所を出て、山を下り天橋立には寄らず宮津市内に入ります。
【西国三十三ヵ所二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺】
そして、本日3箇所目の訪問地は、西国三十三ヵ所二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺です。ここは何度か来てますが、14年も来て無いので友人に言って寄って貰った次第です。
成相寺の入口で、拝観料500円を車の中から納めます。そして駐車場の案内がありますが、私は友人に「第一駐車場」に止めるように言いました。
第二駐車場からの方が、本堂には近いけど、ここから行くと「撞かずの鐘」が近かったからです。
撞かずの鐘は、1608年(慶長13年)鋳造する際、赤ん坊が溶けた銅の中に落ちてしまい、出来上がった鐘は鐘をつく度に悲しい音が鳴り響き、赤ん坊の泣き声に聞こえる為、寺ではこの鐘をつくのをやめたというこという悲しい伝説を秘めています。
「第一駐車場」からだと、「本堂」へ行くには石段を上がります。これは納得済みですが・・・本堂を見ると・・・人が多そうです。
「本堂」が近づきましたが、左手にある「順礼堂」によりました。堂内には三十三ヵ所霊場の各ご本尊が安置されてるそうです。ここでお参りすると三十三ヵ所分の御利益があるとか。
その手前にあったお地蔵さんは「一願一言の地蔵さん」と呼ばれ、唯一願いを一言でお願いすると、必ず叶えてくださるそうです。約20年前に創られた大変古いお地蔵さんです。
京都府文化財の「本堂」は、ここより山上にありましたが山崩れのため1774年(安永3年)に再建されました。ご本尊は厨子のなかに「木造聖観世音菩薩」が祀られているそうです。
堂内には靴のままで入ります。納経所は空いていたので、直ぐに貰いに行きました。前途したり今日は日曜日だし、人は多かったです。多分GoTo トラベルで来られているのでしょう、若者の団体が特に目立ちました。
御朱印は「西国三十三ヵ所草創1300年」の印入りです。散華もいただきました。
成相寺は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。704年(慶雲元年)に第42代文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。江戸時代の宮津藩は、丹後ちりめんの生産地であるとともに、流通の拠点として商業・港湾都市として多くの人々が訪れたといわており、この成相寺も民謡「宮津節」にも唄われるほど賑わいました。
御朱印を貰ったら境内を散策です。先ずは京都府指定文化財「成相寺鎮守堂」(江戸時代)から。1676年(延宝4年)建立で、成相寺で現存する最古の建物。熊野大権現を祀っています。
日曜日で人も多かったけど、久し振りに来たので、もう少し見ていきます。ただ、これより先は行きません。
こちらは「十王堂」です。襖が少しだけ開いてて、安置されている「孔雀明王」「閻魔大王」を見ることができます。
再び「本堂」の前に戻って、重要文化財(工芸品)に指定されている「鉄湯船」を見ました。
1290年(正応3年)の作。鋳物師は山河貞清。成相寺の湯屋にて湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ、かかり湯に用いられていまた。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています。
本堂から第二駐車場経由で、石段を降りました。再び「撞かずの鐘」の前に出て、第一駐車場に戻らず石段を下って行くと、「怪奇な話の底なし池」に出ました。
その昔、この池には大蛇が住んでおり、寺の小僧を次々と呑み込んでいたため、和尚が藁人形で作った小僧に火薬を詰め、それを呑ませて退治したという、この池にまつわる奇怪な話が残っています。
ここまで来たのは、鎌倉時代の様式をそのままに再建された「五重塔」を見るためです。1998年(平成10年)に再建された新しい塔です。
「五重塔」の近くには「もみじ谷」がありました。12月6日でも、まだ綺麗に紅葉してました。時期が過ぎたので、ここには誰も居ません。
ここから石段を上がり駐車場に戻って、車に乗り込み私の案内で「パノラマ展望所(天空の回廊)」に向かいます。
14年前は、まだ舗装されていない道路を車で上がって行きましたが、この日来てみて放送されていたので過ぎた年月を知ることに。京都府北部のこの辺りは、けっこうな雪が降り積もります。その雪除けの対策でしょうか、スピードが出せないような造りになっていました。ようするにガタンガタンと一気に上がったり下ったり出来ません。それで約5分かかってようやく展望所に着きました。
車から降りると、さっそく眺望を楽しみます。この展望所も多くの方が来られていました。この時期に、京都府北部が晴れるのは珍しいので、良いときに来たもんです。
日本三景・天橋立"股のぞき"は有名ですが、ここにもありました。ただ、ここは距離が離れてるので少々無理があるかなぁ?。
私らは車で上がって来ましたが、数組の方は歩いて登られていました。急な坂道が続き、車でも5分はかかるのに私には無理です。
天気が良かったので、天橋立も綺麗に見えました。ただ正面から太陽の日差しを受けるので眩しかったのは仕方なかったけど・・・逆光でした。
帰るため車に戻ると、「かわらけ投げ」が空いてました。200円で3枚投げられます。友人と挑戦しましたが、二人とも外しました。
余談ですが、2006年(平成18年)9月30日には、見事に命中したんですが、肩が悪くなってましたね。届きません。久しぶりに来て、この展望所も綺麗になってましたね。私が以前来たときは、赤土でボコボコだったのに、それが舗装されてました。成相寺には「成相寺縁起」があって、それによると・・・。
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。 それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。
2006年(平成18年)9月30日の写真を見ても、伽藍の様子は変わってません。展望所だけは綺麗になってました。11時36分に展望所を出て、山を下り天橋立には寄らず宮津市内に入ります。
【西国三十三ヵ所二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺】
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