宮津カトリック教会 聖ヨハネ天主堂とガラシア像へ

宮津シーサイドマート「ミップル」の駐車場を出て、約5分ぐらいで、次の目的地「宮津カトリック教会 聖ヨハネ天主堂」に着きました。ここが目的地と言うより、この教会の周辺を散策するために来たんです。

CIMG5623.jpgCIMG5624.jpgここの教会の駐車場は広いです。着いたのが12時39分で、京都府観光ガイドでは日曜日の12時30分までミサとありました。

CIMG5652.jpgミサが終わった頃に来てみたんですが、扉は閉まってました。友人も入口を探してくれたんですが・・・残念ながら内部は見られません。

1896年(明治29年)にフランスのルイ・ルラーブ神父が建てた日本で2番目に古いカトリック天主堂です。外観はドーム式の天井に鮮やかなパリ製のステンドグラスが幻想的で美しいロマネスク様式のフランス風、堂内は畳敷きという和洋折衷建築。明治中期のキリスト教会堂を今に伝える貴重な教会です。

CIMG5625.jpgCIMG5626.jpgCIMG5627.jpgCIMG5646.jpg聖ヨハネ天主堂の「聖堂」の横をすり抜け、向かいにある公園に渡りました。その公園から見た教会の全景です。

CIMG5629.jpg
CIMG5631.jpg
この公園内に「細川ガラシア像」があることを知って、ここまでやって来ました。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の光秀・ガラシアゆかりの地を訪ねたわけです。

細川ガラシアの生誕450年を記念し2013年(平成25年)に建立されました。大手川の畔から自らの居城である宮津城を見つめています。細川家と宮津の民の幸せを末永く続くことを願った玉(後のガラシア)の姿が「祈り」をテーマに表現されており、銘板揮毫は細川家18代当主・細川護熙氏(元首相)です。

CIMG5632.jpgCIMG5633.jpgCIMG5634.jpg宮津城」は細川藤孝・忠興父子によって築かれた城で、その後は京極高知・高広父子によって近世城郭に改修されています。遺構はほとんど残っていませんが、大手川の河川改修をきっかけに城壁が復元されてました。

CIMG5635.jpgこのように、ガラシアは「宮津城」を見つめています。宮津城出。唯一現存する太鼓門が宮津小学校に移築されているそうです。

CIMG5638.jpgCIMG5642.jpgこの後ろ姿の着物の袖は、幽閉された味土野の山々イメージしているとともに、袖に留まる鳥たちは、この地に帰ってきた人々を「温かく迎える心」とこの地から旅だっていく人々の「飛躍を願う心」が込められているとか。

CIMG5643.jpgCIMG5644.jpgCIMG5647.jpgこの公園の入口に「旧大村邸長屋門」が残されています。かつて、この辺りには35軒もの武家屋敷があったようです。大村邸はもと藩医小谷仙庵の住んだところだそうで、1986年(昭和61)年2月に焼失したそうです。

CIMG5641.jpgCIMG5649.jpgCIMG5650.jpgCIMG5651.jpg帰りも「聖堂」が開いているかどうか確かめましたが、ダメでした。畳敷きの内部は見たかったですね。最後に「ルラーブ会館(信徒会館)」撮って車に戻りました。

この日は、急遽誘われたこともあって、京都府北部の「麒麟がくる」ゆかりの地を訪ねました。そして次は、この日予定していた最後の寺院です。12時46分にここを出発しました。

【宮津カトリック教会 聖ヨハネ天主堂】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック