丸岡城築城400年を記念し開館した坂井市丸岡歴史民俗資料館へ
以前来たときは「日本最古の天守閣」だった丸岡城の天守閣を出て、時計回りで一周することにしました。
京都より遙かに寒い北陸の地で、まだ紅葉が見られるとは思ってもいませんでした。福井大震災で倒壊したのに綺麗に復元されたものです。
私は天守に入るのを急いでいたんですが、友人はこの石碑の前で駒札を読んでました。それで帰りに私も寄ってみると「伝説 人柱お静」と書いてありました。
初代城主柴田勝豊(勝家の甥)が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになり、二人の子をかかえて苦しい生活をしていた片目のお静でした。お静は、一人の子を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。それから、お静の霊はこれを恨んで田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)は、天候に恵まれることが少なく、雨が降るたびにこの話を耳にします。
冬のこの時期、北陸地方は晴れることが少ないです。曇りか雨か雪が多い福井県で、こうして天気に恵まれたのは幸いです。
受付の横には「霞城山 八幡神社」と書かれた石碑がありました。そしていよいよスタンプです。
手指消毒をしてからスタンプを押しました。42城目をゲットです。ただここは2度目の登城ですが・・・。スタンプは、少々汚かったのは残念でした。
丸岡歴史民俗資料館に向かう途中に「牛ケ島石棺」がありました。案内版を読むと、丸岡城とは関係ないようです。
駐車場から反対側から、石段を降りてきます。こちらの方が「丸岡歴史民俗資料館」に近いように思えたから。
入口に、越前丸岡藩の初代藩主・本多成重の人形がありました。天守閣で案内しましたが、鬼作左こと本多重次の長男です。
坂井市丸岡歴史民俗資料館. 丸岡城築城400年を記念して1978年(昭和53年)旧城郭内に開館しました。常設展示室には本多氏・有馬氏歴代城主ゆかりの武具・調度品・掛軸・古文書などの品々を展示しています。
入ると手指消毒をしてから共通券を見せるだけでした。受付の方より「先に2階へ上がって下さい」と言われたので階段で上がります。
なかなか興味ある資料で、ゆっくり見させて貰いました。歴史好きの友人も熱心に見てましたね。このあと1階の資料室に向かいます。
天守閣に丸岡城の模型がありましたが、ここにもありました。作成者が違うと、また違った光景を見せてくれますね。
ここを出て、次に共通券の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。振り向くと丸岡歴史民俗資料館と丸岡城がセットで撮れました。
丸岡歴史民俗資料館を出て「霞ヶ城公園」を歩きました。園内には綺麗に整備されてる日本庭園があって、春の桜は見事らしいです。
丸岡城は、「霞ヶ城」とも呼ばれ、丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
霞ヶ城公園を出たら次に共通券で入られる「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。場所は、ここから近くに見えているので迷うことはありません。
【坂井市丸岡歴史民俗資料館】
京都より遙かに寒い北陸の地で、まだ紅葉が見られるとは思ってもいませんでした。福井大震災で倒壊したのに綺麗に復元されたものです。
私は天守に入るのを急いでいたんですが、友人はこの石碑の前で駒札を読んでました。それで帰りに私も寄ってみると「伝説 人柱お静」と書いてありました。
初代城主柴田勝豊(勝家の甥)が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになり、二人の子をかかえて苦しい生活をしていた片目のお静でした。お静は、一人の子を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。それから、お静の霊はこれを恨んで田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)は、天候に恵まれることが少なく、雨が降るたびにこの話を耳にします。
冬のこの時期、北陸地方は晴れることが少ないです。曇りか雨か雪が多い福井県で、こうして天気に恵まれたのは幸いです。
受付の横には「霞城山 八幡神社」と書かれた石碑がありました。そしていよいよスタンプです。
手指消毒をしてからスタンプを押しました。42城目をゲットです。ただここは2度目の登城ですが・・・。スタンプは、少々汚かったのは残念でした。
丸岡歴史民俗資料館に向かう途中に「牛ケ島石棺」がありました。案内版を読むと、丸岡城とは関係ないようです。
駐車場から反対側から、石段を降りてきます。こちらの方が「丸岡歴史民俗資料館」に近いように思えたから。
入口に、越前丸岡藩の初代藩主・本多成重の人形がありました。天守閣で案内しましたが、鬼作左こと本多重次の長男です。
坂井市丸岡歴史民俗資料館. 丸岡城築城400年を記念して1978年(昭和53年)旧城郭内に開館しました。常設展示室には本多氏・有馬氏歴代城主ゆかりの武具・調度品・掛軸・古文書などの品々を展示しています。
入ると手指消毒をしてから共通券を見せるだけでした。受付の方より「先に2階へ上がって下さい」と言われたので階段で上がります。
なかなか興味ある資料で、ゆっくり見させて貰いました。歴史好きの友人も熱心に見てましたね。このあと1階の資料室に向かいます。
天守閣に丸岡城の模型がありましたが、ここにもありました。作成者が違うと、また違った光景を見せてくれますね。
ここを出て、次に共通券の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。振り向くと丸岡歴史民俗資料館と丸岡城がセットで撮れました。
丸岡歴史民俗資料館を出て「霞ヶ城公園」を歩きました。園内には綺麗に整備されてる日本庭園があって、春の桜は見事らしいです。
丸岡城は、「霞ヶ城」とも呼ばれ、丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
霞ヶ城公園を出たら次に共通券で入られる「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。場所は、ここから近くに見えているので迷うことはありません。
【坂井市丸岡歴史民俗資料館】
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