丸岡城築城400年を記念し開館した坂井市丸岡歴史民俗資料館へ

以前来たときは「日本最古の天守閣」だった丸岡城の天守閣を出て、時計回りで一周することにしました。

CIMG5790.jpgCIMG5791.jpgCIMG5793.jpgCIMG5794.jpgCIMG5795.jpgCIMG5796.jpgCIMG5799.jpg京都より遙かに寒い北陸の地で、まだ紅葉が見られるとは思ってもいませんでした。福井大震災で倒壊したのに綺麗に復元されたものです。

CIMG5797.jpgCIMG5800.jpg私は天守に入るのを急いでいたんですが、友人はこの石碑の前で駒札を読んでました。それで帰りに私も寄ってみると「伝説 人柱お静」と書いてありました。

初代城主柴田勝豊(勝家の甥)が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになり、二人の子をかかえて苦しい生活をしていた片目のお静でした。お静は、一人の子を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。それから、お静の霊はこれを恨んで田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)は、天候に恵まれることが少なく、雨が降るたびにこの話を耳にします。

CIMG5801.jpgCIMG5803.jpgCIMG5804.jpgCIMG5807.jpg冬のこの時期、北陸地方は晴れることが少ないです。曇りか雨か雪が多い福井県で、こうして天気に恵まれたのは幸いです。

CIMG5703.jpgCIMG5808.jpg受付の横には「霞城山 八幡神社」と書かれた石碑がありました。そしていよいよスタンプです

CIMG5810.jpg手指消毒をしてからスタンプを押しました。42城目をゲットです。ただここは2度目の登城ですが・・・。スタンプは、少々汚かったのは残念でした。

CIMG5811.jpgCIMG5815.jpg丸岡歴史民俗資料館に向かう途中に「牛ケ島石棺」がありました。案内版を読むと、丸岡城とは関係ないようです。

CIMG5817.jpg駐車場から反対側から、石段を降りてきます。こちらの方が「丸岡歴史民俗資料館」に近いように思えたから。

CIMG5818.jpgCIMG5820.jpgCIMG5822.jpgCIMG5823.jpg入口に、越前丸岡藩の初代藩主・本多成重の人形がありました。天守閣で案内しましたが、鬼作左こと本多重次の長男です。

坂井市丸岡歴史民俗資料館. 丸岡城築城400年を記念して1978年(昭和53年)旧城郭内に開館しました。常設展示室には本多氏・有馬氏歴代城主ゆかりの武具・調度品・掛軸・古文書などの品々を展示しています。

CIMG5834.jpg入ると手指消毒をしてから共通券を見せるだけでした。受付の方より「先に2階へ上がって下さい」と言われたので階段で上がります。

CIMG5824.jpgCIMG5826.jpgCIMG5827.jpgCIMG5828.jpgCIMG5829.jpgCIMG5830.jpgCIMG5833.jpgなかなか興味ある資料で、ゆっくり見させて貰いました。歴史好きの友人も熱心に見てましたね。このあと1階の資料室に向かいます。

CIMG5835.jpgCIMG5836.jpg天守閣に丸岡城の模型がありましたが、ここにもありました。作成者が違うと、また違った光景を見せてくれますね。

CIMG5838.jpgここを出て、次に共通券の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。振り向くと丸岡歴史民俗資料館と丸岡城がセットで撮れました

CIMG5839.jpgCIMG5840.jpgCIMG5841.jpgCIMG5842.jpgCIMG5843.jpgCIMG5844.jpg丸岡歴史民俗資料館を出て「霞ヶ城公園」を歩きました。園内には綺麗に整備されてる日本庭園があって、春の桜は見事らしいです。

丸岡城は、「霞ヶ城」とも呼ばれ、丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。

霞ヶ城公園を出たら次に共通券で入られる「一筆啓上 日本一短い手紙の館」に向かいます。場所は、ここから近くに見えているので迷うことはありません。

【坂井市丸岡歴史民俗資料館】

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