京都府城陽市にある古社 水度神社へ
1月11日(月・祝)は、新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、京都市では成人式が催されました。9日には、京都府と大阪府や兵庫県と共同で、政府に緊急事態宣言の再発令を要請したほどで、厳戒態勢で開かれたようです。また、8日から強烈な寒波が入ってきて、京都市の最低気温は、8日氷点下3.7℃、9日氷点下4.1℃、10日氷点下3.1℃、11日氷点下1.0℃と冷蔵庫に入ったような気温が続いてました。そんな猛烈に寒い3連休の最終日に、京都府南部の古社を巡るため友人と待ち合わせて出掛けることにしました。
当初の予定では、京都北部にある明智光秀ゆかりの地を巡ることにしてましたが、11日の早朝に積雪を確認し高速道路もタイヤチェーンなどの規制もあるので断念し、そこで予備に計画をしていた京都南部の古社を巡ることを当日急遽変更した次第です。8時に自宅を出発し、高速に乗らず国道1号線から24号線を使って大久保バイパス南下します。城陽市に入り前方に高速道入口が見えてくるので、その手前を東に進み、途中府道69号線に乗り換え、城陽市役所前を東に入り、進むと水度(みと)神社の一の鳥居を左手に見ますが、そのまま車は東に進みます。そしてJR奈良線の踏切を渡り東に進むと、木々が生い茂った水度参道に入り、そのまま進んで行くと、目的地の二の鳥居が見えて来ました。この日最初の訪問地は水度(みと)神社で初訪問の神社ですと言うより、城陽市に降り立ったのも多分、初めてです。
二人とも初めて来たので要領は分かりませんが、参拝者用の駐車場がありました。A~Hに止めますが、Hしか空いてませんでした。
9時5分頃に着きましたが、京都府南部でも寒いです。本当は手袋をしたいところ、私は写真を撮るので手袋しないので、たちまち手が真っ赤に・・・!。多分、まだ氷点下だったんでしょう。
駐車場から向かいに「二の鳥居」があって、ここから入ります。駐車場も車が多かったし、寒い中、参拝者も多いように思いました。
水度神社の創祀の年代は平安時代初期と伝わる古社です。奈良時代初期の雑誌『山城国風土記』にも記載があったとされ1300年以上の歴史があるものと推測されています。鴻ノ巣山のふもとにあるこの神社は、かつて峰続きの山に位置してましたが、1268年(文永5年)に現在地に鎮座したと伝わります。清和天皇の859年(貞観元年)従五位下の神位を授けられ、また延喜の制には小社に列せられている。1873年(明治6年)に村社、1882年(明治15年)に郷社、1907年(明治40年)には府社に昇格、現在は社格は廃止され、神社本庁に属し、宗教法人 水度神社と称します。
二の鳥居を入って左手に「手水舎」があって、ここも柄杓は撤去されています。寒すぎるので水を触るのも覚悟がいります。
二の鳥居からの参道は、少し登りが続きます。なお、この二の鳥居は西に向いて建っているので、東に向かって登っていくことになります。
長い長い参道を、少しづつ登って行きます。その参道の傍らには末社もありましたが、ここは帰りに寄って行くことにして、先ずは本殿を目指します。
登り切ると、次に南に向いてる拝所にてお参りします。この時間だけ、空いていたので写真が撮れました。
御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、和多都美豊玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)の三柱が祀られています。
重要文化財に指定されている「本殿」は、一間社流造で、1448年(文安5年)に造営された城陽市内に現存する最古の建物です。屋根は檜皮葺で正面に大きな千鳥波風の向拝を付した優美な姿が特徴です。
重要文化財に指定されている本殿を直接見ることができないので、遠くから横からと見てみました。このあと境内社を見ていきます。
最初は「松尾神社」から。ここでは扁額に神社名が書いてありました。祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)でしょう。
反対側に行って、こちらは「天満宮社」と書いてありました。祭神は、菅原道真公でしょう。
お隣に移動して「太神宮社」とありました。扁額も由緒書きも確認しましたが、"太"は間違いないです。祭神は、天照大御神でしょう。
こちらは「八幡神社」とありました。祭神は、第15代・応神天皇・・・別称、誉田別命(ほんだわけのみこと)でしょう。
次に神明鳥居があって、社号標には「水度神社」と書かれています。その鳥居をくぐった先には「天神地祇(てんじんちぎ)」と書かれていました。調べると、天神は「あまつかみ」と呼び、天上で生まれ、あるいは天上から降(くだ)った神。地祇は「くにつかみ」と呼び、地上に天降った神の子孫、あるいは地上で生まれた神をいう。
ここで「社務所」に行きました。三密対策をされてましたが、この時間では私だけ、御朱印と由緒書きをいただきました。
次に「絵馬舎」の奥にある社殿を見に行きました。こちらは「春日神社」でした。祭神は、春日神(建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神)を祀っているのでしょう。
ここまでが、石段を登り切ったエリアにある境内社でした。ここから二の鳥居に向かって、石段を下って行きます。そして行きにスルーした境内社を見ていきます。
石段を降りて直ぐの右から「日吉神社」(大山咋神)、「加茂神社」(賀茂大神)、「嚴島神社」(市杵島姫命)の三社が並んでいます。
次に朱塗りの鳥居をくぐった先にあるのが「稲荷神社」がありました。祭神は、宇迦之御霊神(うたのみたまのかみ)でしょう。
さらに奥へ行けば「水戸永大明神」がありました。稲荷大明神の脇にある塚でしたね。
最後に、「手水舎」の裏手にあったのが「龍王神社」でした。龍王大神が祀られているのでしょう。
ここを出たら、向かいが駐車場で着いて、車に乗り込む時に手を見たら真っ赤になってました。それほど寒かったです。9時30分前には、ここを出て行きました。
【水度神社】
当初の予定では、京都北部にある明智光秀ゆかりの地を巡ることにしてましたが、11日の早朝に積雪を確認し高速道路もタイヤチェーンなどの規制もあるので断念し、そこで予備に計画をしていた京都南部の古社を巡ることを当日急遽変更した次第です。8時に自宅を出発し、高速に乗らず国道1号線から24号線を使って大久保バイパス南下します。城陽市に入り前方に高速道入口が見えてくるので、その手前を東に進み、途中府道69号線に乗り換え、城陽市役所前を東に入り、進むと水度(みと)神社の一の鳥居を左手に見ますが、そのまま車は東に進みます。そしてJR奈良線の踏切を渡り東に進むと、木々が生い茂った水度参道に入り、そのまま進んで行くと、目的地の二の鳥居が見えて来ました。この日最初の訪問地は水度(みと)神社で初訪問の神社ですと言うより、城陽市に降り立ったのも多分、初めてです。
二人とも初めて来たので要領は分かりませんが、参拝者用の駐車場がありました。A~Hに止めますが、Hしか空いてませんでした。
9時5分頃に着きましたが、京都府南部でも寒いです。本当は手袋をしたいところ、私は写真を撮るので手袋しないので、たちまち手が真っ赤に・・・!。多分、まだ氷点下だったんでしょう。
駐車場から向かいに「二の鳥居」があって、ここから入ります。駐車場も車が多かったし、寒い中、参拝者も多いように思いました。
水度神社の創祀の年代は平安時代初期と伝わる古社です。奈良時代初期の雑誌『山城国風土記』にも記載があったとされ1300年以上の歴史があるものと推測されています。鴻ノ巣山のふもとにあるこの神社は、かつて峰続きの山に位置してましたが、1268年(文永5年)に現在地に鎮座したと伝わります。清和天皇の859年(貞観元年)従五位下の神位を授けられ、また延喜の制には小社に列せられている。1873年(明治6年)に村社、1882年(明治15年)に郷社、1907年(明治40年)には府社に昇格、現在は社格は廃止され、神社本庁に属し、宗教法人 水度神社と称します。
二の鳥居を入って左手に「手水舎」があって、ここも柄杓は撤去されています。寒すぎるので水を触るのも覚悟がいります。
二の鳥居からの参道は、少し登りが続きます。なお、この二の鳥居は西に向いて建っているので、東に向かって登っていくことになります。
長い長い参道を、少しづつ登って行きます。その参道の傍らには末社もありましたが、ここは帰りに寄って行くことにして、先ずは本殿を目指します。
登り切ると、次に南に向いてる拝所にてお参りします。この時間だけ、空いていたので写真が撮れました。
御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、和多都美豊玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)の三柱が祀られています。
重要文化財に指定されている「本殿」は、一間社流造で、1448年(文安5年)に造営された城陽市内に現存する最古の建物です。屋根は檜皮葺で正面に大きな千鳥波風の向拝を付した優美な姿が特徴です。
重要文化財に指定されている本殿を直接見ることができないので、遠くから横からと見てみました。このあと境内社を見ていきます。
最初は「松尾神社」から。ここでは扁額に神社名が書いてありました。祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)でしょう。
反対側に行って、こちらは「天満宮社」と書いてありました。祭神は、菅原道真公でしょう。
お隣に移動して「太神宮社」とありました。扁額も由緒書きも確認しましたが、"太"は間違いないです。祭神は、天照大御神でしょう。
こちらは「八幡神社」とありました。祭神は、第15代・応神天皇・・・別称、誉田別命(ほんだわけのみこと)でしょう。
次に神明鳥居があって、社号標には「水度神社」と書かれています。その鳥居をくぐった先には「天神地祇(てんじんちぎ)」と書かれていました。調べると、天神は「あまつかみ」と呼び、天上で生まれ、あるいは天上から降(くだ)った神。地祇は「くにつかみ」と呼び、地上に天降った神の子孫、あるいは地上で生まれた神をいう。
ここで「社務所」に行きました。三密対策をされてましたが、この時間では私だけ、御朱印と由緒書きをいただきました。
次に「絵馬舎」の奥にある社殿を見に行きました。こちらは「春日神社」でした。祭神は、春日神(建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神)を祀っているのでしょう。
ここまでが、石段を登り切ったエリアにある境内社でした。ここから二の鳥居に向かって、石段を下って行きます。そして行きにスルーした境内社を見ていきます。
石段を降りて直ぐの右から「日吉神社」(大山咋神)、「加茂神社」(賀茂大神)、「嚴島神社」(市杵島姫命)の三社が並んでいます。
次に朱塗りの鳥居をくぐった先にあるのが「稲荷神社」がありました。祭神は、宇迦之御霊神(うたのみたまのかみ)でしょう。
さらに奥へ行けば「水戸永大明神」がありました。稲荷大明神の脇にある塚でしたね。
最後に、「手水舎」の裏手にあったのが「龍王神社」でした。龍王大神が祀られているのでしょう。
ここを出たら、向かいが駐車場で着いて、車に乗り込む時に手を見たら真っ赤になってました。それほど寒かったです。9時30分前には、ここを出て行きました。
【水度神社】
この記事へのコメント