上賀茂神社の祭神の父神を祀る角宮神社へ

11時12分に水無瀬神宮を出て、国道171号線を北上し大阪府を出て京都府に戻ります。そして前方に大山崎JCTが見えて来たら、手前の新山崎橋の交差点を左折し、府道10号線に入り北上、途中「山崎古戦場跡」の横を通りますが、高架道が横に通っているため見えません。そして「阪急西山天王山駅」や、正月1月2日に参拝で訪れた「長岡天満宮」の前を通りました。そのまま北上をつづけ「広海道」の交差点を右折し住宅街に入って行き東に進めば、ほどなくして角宮神社(すみのみやじんじゃ)に11時38分に着きました。

CIMG6640.jpg境内の入口にある「明神鳥居」は、南向きに建っています。この前に駐車スペースがありますが、この日はゴミ収集日なんてしょうか、ゴミ箱で一杯でした。

この風景を覚えてて、1月14日(木)に、朝日放送(テレビ朝日)「遺留捜査初回2時間SPで、この角宮神社が映りました。多分、年末にロケされたのでしょう、見てて驚きました。上川隆也さんも来られてたんですね見たかったです

CIMG6642.jpgCIMG6663.jpg狭い境内に入って行きます。住宅街にある神社で、ロケ中は近所の方も見に来られたのでしょう

式内社。乙訓坐火雷神社(おとくににいますほのいかずちのかみやしろ)、略して乙訓者とも言う。祭神は本殿に向かって左に主神火雷神(ほのいかずちのかみ)と玉依姫(たまよりひめ)、健角身命(たけつぬみのみこと)、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)の四神を、右に春日神(三神)を祀る。乙訓坐火雷神は、玉依姫の夫神で「山城風土記逸文」の賀茂伝説に丹塗矢の古事として見え、その御子別雷神を祭神とする上賀茂社、玉依姫と健角身命を祭神とする下賀茂社と供に国の大幣にあずかる名神大社として社格の高い社であった。初見は「続日本記」の702年(大宝2年)の条で、殊に折雨神として平安中期までは国史に度々出ている。1221年(承久3年)「承久の変」で灰燼に帰し安易に復興を許されなかった。旧社地は井ノ内の西部(宮山)にあったが、1484年(文明16年)今の地に再興され、井ノ内の産土神として祀られている。

CIMG6643.jpg鳥居の正面には「拝殿」があって、私の記憶では本殿と拝殿の間に中山忍さんの死体が横たわっていて、自転車で駆けつけた上川隆也さんが登場されたんですね

CIMG6648.jpgCIMG6647.jpg本殿」で。、左に主神火雷神(ほのいかずちのかみ)と玉依姫(たまよりひめ)、健角身命(たけつぬみのみこと)、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)の四神を、右に春日神(三神)が祀られています。

CIMG6649.jpgCIMG6650.jpgCIMG6652.jpg次に境内社を見ます。左から覆屋の中に「八幡宮」、そしてこちらも覆屋の中に三社「大神宮」「稲荷社」「向日神社」と並んでいました。

CIMG6656.jpgCIMG6646.jpgCIMG6662.jpg境内には「手水舎」もありましたが、水は出ません。あと「社務所」か「神輿庫」がありましたね。

CIMG6659.jpg
CIMG6664.jpg
境内には御神木でしょうか、クスノキの大木が聳えてます。案内版を読むと京都府長岡京市の保存樹木のようです。

前途したとおり、ゴミの収集日かどうか知りませんが、ひっきりなしにゴミを捨てに来られます。少々興醒めの心境で、11時45分に出て行きました。

【角宮神社】

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック