眺望が素晴しく、比叡山から東山三十六峰、宇治まで見渡せる三鈷寺へ
善峯寺の北門を開店扉を押して出ました。目指すは初めて訪問する西山宗本山「三鈷寺」です。
善峯寺の北門から歩いて1分くらいで三鈷寺の「山門」に着きました。下から登ってくるより、こちらの方が楽に来られます。
三鈷寺(さんこじ)は、西山宗本山であり、四宗(天台・真言・律・浄土)兼学である。平安時代中期の1042年(長久3年)とか1074年(承保元年)に比叡山の源算上人(げんさんしょうにん)が草案をたて往生院と号したのが始まりとされている。二祖観性法橋(かんしょうほうきょう)を経て、三祖慈鎮(じちん)(慈円)から西山上人証空(しょうくう)(善慧房・ぜんえいぼう)に譲られた。証空は念仏の道場として発展させ、浄土宗西山派をこの山に創始し、背後の山の頂上髢嶽(かもしかだけ)の三峰が仏具の三鈷に似ているところから寺名を三鈷寺と改め、勅願所に列せられた。証空は、1247年(宝治元年)入滅。華台廟はその墓所で、証空に深く帰依した蓮生(れんしょう)(宇都宮頼綱)が多宝塔を建てた。蓮生には「抱止(だきとめ)阿弥陀如来」の縁起も伝えられている。中世を通じて念仏の道場として証空の法流を伝え、多くの寺領荘園を持ち寺運は栄えたが、「応仁の乱」の兵火により多宝塔以下山内は荒廃した。江戸時代に復興の努力がなされたが、旧観には復さなかった。52代台龍上人が現在の寺観を整備し、1951年(昭和26年)西山宗として独立した。建物としては華台廟、本堂等を残すのみであるが、古い由緒を物語る寺宝は多い。また、客殿からの眺めはすこぶる良く、京都の市街地まで見渡せ、中でも東山に上る名月の眺めは関西随一と称される。
境内に入ると、「拝観受付所」を探しました。ただ見付けたんですけど「本日は所用のため留守にしてます」との張り紙が・・・少々ガツクリです。朱印は置き書きがあったので料金箱に入れて置きました。日付は自分で帰ってから入れ、朱印帳に貼りました。
ここの見所は何と言っても眺望です。天気も良いので期待し行って見ると、下から登ってくる石段がありました。
眺望は最後にして、こちらは「書院」で、背後の尖った山が「髢嶽(かもしかだけ)」です。由緒にもあったように、その三峰が仏具の三鈷に似ているところから寺名を三鈷寺と改めたそうです。
ここは標高が高いので、手水もバリバリに凍っています。前途したとおり今朝は冷え込みました。
本堂前には「西山善恵上人霊廟」と書かれた石柱がありました。ご本尊は本来は「仏眼曼荼羅」だそうで、現在は奈良国立博物館に収蔵されているため「金色不動明王」を中心に諸仏が祀られているようです。その右に祀られている「十一面観世音菩薩」は京都洛西観音霊場の札所本尊、西山国師・証空作と伝えられています。
この「華台廟」は、1247年(宝治元年)71歳で入滅した西山上人証空(しょうくう)の墓所です。
普通に見たら、このような眺望です。京都市街地、宇治、城陽、木津方面まで見渡せるので、眺めは雄大です。
実は、もっと眺望は綺麗だと思ってました。手前の木々はあるので、少々期待外れでしたね。後から善峯寺に戻って見る眺望の方が綺麗でした。ただ堂内に入ってないので、再訪はしたいです。
次にズームで京都市街地を見てみます。背の高い「日本電産(株)本社ビル」や「NTTコミュニケーションズ 京都南ビル」は目立ちますね。
少し北に目を向けると「京都タワー」が見えて来ました。寒かったこの日は、空気が澄んでて遠くまで綺麗に見えてました。
こちらは「比叡山」を捉えました。比叡山から続く東山三十六峰が、ここからは綺麗に見渡せます。
ここから見える最も南の方向を撮りました。多分、八幡市ぐらいは見えているのでしょう。京都競馬場も探したんですが見付けることは出来ませんでした。
最後に、こちらから最も北側を見てみました。比叡山の奥に雪を被った「比良山」が見えました。
初めて来ましたが、眺望は良かったです。次の善峯寺の眺望の方が素晴らしかったので、少し色褪せてしまいました。再び「山門」を出て善峯寺の北門を目指します。
12時20分頃に北門から善峯寺に戻りました。最初に聞いた通りいんたインターホンを押すと善峯寺の受付の方が出られ、パンフレットを見せます。そしたらカチッと音が鳴るので回転扉の鍵が解除されたので、再び入山することができました。
【三鈷寺】
善峯寺の北門から歩いて1分くらいで三鈷寺の「山門」に着きました。下から登ってくるより、こちらの方が楽に来られます。
三鈷寺(さんこじ)は、西山宗本山であり、四宗(天台・真言・律・浄土)兼学である。平安時代中期の1042年(長久3年)とか1074年(承保元年)に比叡山の源算上人(げんさんしょうにん)が草案をたて往生院と号したのが始まりとされている。二祖観性法橋(かんしょうほうきょう)を経て、三祖慈鎮(じちん)(慈円)から西山上人証空(しょうくう)(善慧房・ぜんえいぼう)に譲られた。証空は念仏の道場として発展させ、浄土宗西山派をこの山に創始し、背後の山の頂上髢嶽(かもしかだけ)の三峰が仏具の三鈷に似ているところから寺名を三鈷寺と改め、勅願所に列せられた。証空は、1247年(宝治元年)入滅。華台廟はその墓所で、証空に深く帰依した蓮生(れんしょう)(宇都宮頼綱)が多宝塔を建てた。蓮生には「抱止(だきとめ)阿弥陀如来」の縁起も伝えられている。中世を通じて念仏の道場として証空の法流を伝え、多くの寺領荘園を持ち寺運は栄えたが、「応仁の乱」の兵火により多宝塔以下山内は荒廃した。江戸時代に復興の努力がなされたが、旧観には復さなかった。52代台龍上人が現在の寺観を整備し、1951年(昭和26年)西山宗として独立した。建物としては華台廟、本堂等を残すのみであるが、古い由緒を物語る寺宝は多い。また、客殿からの眺めはすこぶる良く、京都の市街地まで見渡せ、中でも東山に上る名月の眺めは関西随一と称される。
境内に入ると、「拝観受付所」を探しました。ただ見付けたんですけど「本日は所用のため留守にしてます」との張り紙が・・・少々ガツクリです。朱印は置き書きがあったので料金箱に入れて置きました。日付は自分で帰ってから入れ、朱印帳に貼りました。
ここの見所は何と言っても眺望です。天気も良いので期待し行って見ると、下から登ってくる石段がありました。
眺望は最後にして、こちらは「書院」で、背後の尖った山が「髢嶽(かもしかだけ)」です。由緒にもあったように、その三峰が仏具の三鈷に似ているところから寺名を三鈷寺と改めたそうです。
ここは標高が高いので、手水もバリバリに凍っています。前途したとおり今朝は冷え込みました。
本堂前には「西山善恵上人霊廟」と書かれた石柱がありました。ご本尊は本来は「仏眼曼荼羅」だそうで、現在は奈良国立博物館に収蔵されているため「金色不動明王」を中心に諸仏が祀られているようです。その右に祀られている「十一面観世音菩薩」は京都洛西観音霊場の札所本尊、西山国師・証空作と伝えられています。
この「華台廟」は、1247年(宝治元年)71歳で入滅した西山上人証空(しょうくう)の墓所です。
普通に見たら、このような眺望です。京都市街地、宇治、城陽、木津方面まで見渡せるので、眺めは雄大です。
実は、もっと眺望は綺麗だと思ってました。手前の木々はあるので、少々期待外れでしたね。後から善峯寺に戻って見る眺望の方が綺麗でした。ただ堂内に入ってないので、再訪はしたいです。
次にズームで京都市街地を見てみます。背の高い「日本電産(株)本社ビル」や「NTTコミュニケーションズ 京都南ビル」は目立ちますね。
少し北に目を向けると「京都タワー」が見えて来ました。寒かったこの日は、空気が澄んでて遠くまで綺麗に見えてました。
こちらは「比叡山」を捉えました。比叡山から続く東山三十六峰が、ここからは綺麗に見渡せます。
ここから見える最も南の方向を撮りました。多分、八幡市ぐらいは見えているのでしょう。京都競馬場も探したんですが見付けることは出来ませんでした。
最後に、こちらから最も北側を見てみました。比叡山の奥に雪を被った「比良山」が見えました。
初めて来ましたが、眺望は良かったです。次の善峯寺の眺望の方が素晴らしかったので、少し色褪せてしまいました。再び「山門」を出て善峯寺の北門を目指します。
12時20分頃に北門から善峯寺に戻りました。最初に聞いた通りいんたインターホンを押すと善峯寺の受付の方が出られ、パンフレットを見せます。そしたらカチッと音が鳴るので回転扉の鍵が解除されたので、再び入山することができました。
【三鈷寺】
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