鉄道の歴史を通して日本の近代化のあゆみを体感しに「京都鉄道博物館」へ 【前編】
2月22日(月)は、2016年(平成28年)4月29日に開業した「京都鉄道博物館」に行きました。
まだ京都の緊急事態宣言は解除になっていませんでしたが、入館規制も無くなったこともあって(午前中の来館は予約要でした)この日に行くことにしました。車は「梅小路公園おもいやり駐車場」に10時00分に入庫。そこから歩いて直ぐの所に京都鉄道博物館があるので入口を見てみると、チケット売場に行列ができてました。
入館料は、JAFの会員で割引して貰ったから1080円でした。通常は1200円です。
チケット売場で行列ができているので、事前にチケットを購入していたら並ばず済みます。次は事前にチケット購入しようと思いました。「エントランスホール」でチケットを見せて入ると、そこは「プロムナード」でした。
入口付近は混雑していたので、車両の前後はバラバラです。左から「C62形蒸気機関車」「クハ86形1号車」「0系新幹線」と並んでいます。新幹線は後程後ろから。
私は、電車に乗ることは好きですが、電車のことは詳しくありません・・・と言うより殆ど知りません。パンフに書いてある通りに書きました。クハの意味も知らないです。
「C62形蒸気機関車」の後ろには「マロネフ59形1号車」が展示されています。戦前には珍しいかったプルマン式が採用されたされた後続、貴賓専用寝台車です。
その後ろには「スシ28形301号形」で戦前に製造された食堂・2等座席の合造車から改造した食堂車ですね。
「クハ86形1号車」の後ろは、「モハ80形1号車」です。クハもモハも意味は知りません。それで気になるので調べました。
「クハ」は運転台が付いている普通車、「モハ」はモーターが付いた普通車のことだそうです。
0系新幹線は懐かしいですね。「0系21形1号車」の他に「0系16形1号車」「0系35形1号車」「0系22形1号車」が展示されていました。
中学の修学旅行で初めて0系新幹線に乗りました。京都から東京でしたが、新幹線に乗れるのが嬉しくて嬉しくて・・・「ひかり号」だったか「こだま号」だったか記憶は、まったくありませんが・・・。
「DD54形33号機」は、西ドイツのエンジンと液体変速機を採用したディーゼル機関車です。
このホールの最後は、大阪環状線を走っていた「クハ86形1号車」で、戦後初の長距離電車として登場したそうです。
エントランスホールと本館とをつなぐ全長約100㍍のプロムナードは、駅のプラットホームをイメージした屋外スペース。自然の光と風が通り抜ける空間に、実物車両を編成で展示しています。
前途したとおりプロムナードを出ると、次がいよいよ「本館」です。プロムナードに展示されている車両は、嵯峨野線の電車からも見えています。
本館に入って驚いたことは、人が少ない・・・と言うことです。後程分かったことですが、皆さん2階へ急がれていたようですね。
左から「500系521形1号車」で、当時世界最速の300㌔での営業運転を実現した新幹線電車。こちらは確実に乗っています。
「月光」と書かれた「クハネ581形35号車」です。多分、初めて見ました。座席と寝台で両用可能な設備をもった世界初の特急用交直流電車だそうです。
「雷鳥」と書かれた特急車両。「クハ489形1号車」は、国鉄を代表するボンネット型の特急用交直流電車で、こちには乗ったかもです。
次に、車両の他に「鉄道のあゆみ」と題して、貴重な展示を鑑賞していきます。「鉄道、日本に伝わる」「日本の鉄道開業」「京阪神の鉄道開業」なんかを見ていきました。
この車両は、「EF52形1号機」で、国産初の大型の直流電気機関車。本機は阪和線などで活躍されたそうです。1973年(昭和48年)に引退となりました。
この蒸気機関車は英国製の「1800形1801号機」です。勾配線区用の蒸気機関車だそうです。京都~大津間で使用され、東京オリンピックの1964年(昭和39年)まで使用されました。
その横には「8620形蒸気機関車の鐘」が展示されており、日本初の旅客用蒸気機関車8620形に付けられました。
こちらは「旧新橋停車場ホーム石材」です。1872年(明治5年)10月14日に開業した日本最初の鉄道ターミナルで使われていた石材の一部です。
「鉄道の黄金期」「鉄道の国有化」「日本国有化鉄道の近代化」「戦争と復興」「車両の近代化」「夢の超特急の誕生と特急網」の展示物も興味ありましたね。
私が社会人になって暫くは国鉄でしたし、電電公社、専売公社でした。今の若い人は国鉄知らないでしょうね。プロ野球「国鉄スワローズ」も。新幹線の開業時は、夢の超特急と呼んでたことも覚えています。
「鉄道連絡船と国鉄バス」では、青函連絡船の写真がありました。今は函館から青森は青函トンネルで結ばれていますが・・・さすがに青函連絡船は乗ってません。
こちらは0系新幹線の後継機として活躍した「100系122形5003号車」が展示されてました。
ここには懐かしい昭和の臭いがプンプンする「駄菓子屋」と「ダイハツミゼットMPA」で、1957年(昭和57年)に発売れれた軽三輪トラックてす。子供の頃何軒もあった駄菓子屋さんも、今は見ないですね。
こちらも懐かしい「昭和の駅」です。私が子供の頃に利用していたのは「丹波口駅」ですが、今の駅の南側にありました。もう少し規模は大きかったです。
このディーゼル機関車は山陰線でも走っていた「DD51形756号機」です。全国で活躍した液体式ディーゼル機関車です。この下に降りて内部も見学できました。
次に1958年(昭和33年)11月に、東海道本線東京〜大阪間を6時間50分で結ぶビジネス特急「こだま」の運転席に入れました。華麗なボンネットスタイルで人気を博した151系ですね。
その後ろには大阪環状線を走っていた「クハ86形1号車」でしょうか?素人なんで詳しいことは分かりません。
この「EF66形35号機」の下にも潜れました。1968年(昭和43年)から量産機が製造された直流区間用電気機関車です。
ここでは「DDD51形756号機」ディーゼル機関車の運転台が再現されていました。また、JR京都線の新快速での車掌の仕事が体験できます。
本館1階では「車両工事」も再現されてるようです。それにしても見所は多いですよね、まだまだ散策は続きます。
あと、2012年(平成24年)2月4日以来来て無かった「梅小路機関車庫」も行く予定です。中編につづく。
【京都鉄道博物館】
まだ京都の緊急事態宣言は解除になっていませんでしたが、入館規制も無くなったこともあって(午前中の来館は予約要でした)この日に行くことにしました。車は「梅小路公園おもいやり駐車場」に10時00分に入庫。そこから歩いて直ぐの所に京都鉄道博物館があるので入口を見てみると、チケット売場に行列ができてました。
入館料は、JAFの会員で割引して貰ったから1080円でした。通常は1200円です。
チケット売場で行列ができているので、事前にチケットを購入していたら並ばず済みます。次は事前にチケット購入しようと思いました。「エントランスホール」でチケットを見せて入ると、そこは「プロムナード」でした。
入口付近は混雑していたので、車両の前後はバラバラです。左から「C62形蒸気機関車」「クハ86形1号車」「0系新幹線」と並んでいます。新幹線は後程後ろから。
私は、電車に乗ることは好きですが、電車のことは詳しくありません・・・と言うより殆ど知りません。パンフに書いてある通りに書きました。クハの意味も知らないです。
「C62形蒸気機関車」の後ろには「マロネフ59形1号車」が展示されています。戦前には珍しいかったプルマン式が採用されたされた後続、貴賓専用寝台車です。
その後ろには「スシ28形301号形」で戦前に製造された食堂・2等座席の合造車から改造した食堂車ですね。
「クハ86形1号車」の後ろは、「モハ80形1号車」です。クハもモハも意味は知りません。それで気になるので調べました。
「クハ」は運転台が付いている普通車、「モハ」はモーターが付いた普通車のことだそうです。
0系新幹線は懐かしいですね。「0系21形1号車」の他に「0系16形1号車」「0系35形1号車」「0系22形1号車」が展示されていました。
中学の修学旅行で初めて0系新幹線に乗りました。京都から東京でしたが、新幹線に乗れるのが嬉しくて嬉しくて・・・「ひかり号」だったか「こだま号」だったか記憶は、まったくありませんが・・・。
「DD54形33号機」は、西ドイツのエンジンと液体変速機を採用したディーゼル機関車です。
このホールの最後は、大阪環状線を走っていた「クハ86形1号車」で、戦後初の長距離電車として登場したそうです。
エントランスホールと本館とをつなぐ全長約100㍍のプロムナードは、駅のプラットホームをイメージした屋外スペース。自然の光と風が通り抜ける空間に、実物車両を編成で展示しています。
前途したとおりプロムナードを出ると、次がいよいよ「本館」です。プロムナードに展示されている車両は、嵯峨野線の電車からも見えています。
本館に入って驚いたことは、人が少ない・・・と言うことです。後程分かったことですが、皆さん2階へ急がれていたようですね。
左から「500系521形1号車」で、当時世界最速の300㌔での営業運転を実現した新幹線電車。こちらは確実に乗っています。
「月光」と書かれた「クハネ581形35号車」です。多分、初めて見ました。座席と寝台で両用可能な設備をもった世界初の特急用交直流電車だそうです。
「雷鳥」と書かれた特急車両。「クハ489形1号車」は、国鉄を代表するボンネット型の特急用交直流電車で、こちには乗ったかもです。
次に、車両の他に「鉄道のあゆみ」と題して、貴重な展示を鑑賞していきます。「鉄道、日本に伝わる」「日本の鉄道開業」「京阪神の鉄道開業」なんかを見ていきました。
この車両は、「EF52形1号機」で、国産初の大型の直流電気機関車。本機は阪和線などで活躍されたそうです。1973年(昭和48年)に引退となりました。
この蒸気機関車は英国製の「1800形1801号機」です。勾配線区用の蒸気機関車だそうです。京都~大津間で使用され、東京オリンピックの1964年(昭和39年)まで使用されました。
その横には「8620形蒸気機関車の鐘」が展示されており、日本初の旅客用蒸気機関車8620形に付けられました。
こちらは「旧新橋停車場ホーム石材」です。1872年(明治5年)10月14日に開業した日本最初の鉄道ターミナルで使われていた石材の一部です。
「鉄道の黄金期」「鉄道の国有化」「日本国有化鉄道の近代化」「戦争と復興」「車両の近代化」「夢の超特急の誕生と特急網」の展示物も興味ありましたね。
私が社会人になって暫くは国鉄でしたし、電電公社、専売公社でした。今の若い人は国鉄知らないでしょうね。プロ野球「国鉄スワローズ」も。新幹線の開業時は、夢の超特急と呼んでたことも覚えています。
「鉄道連絡船と国鉄バス」では、青函連絡船の写真がありました。今は函館から青森は青函トンネルで結ばれていますが・・・さすがに青函連絡船は乗ってません。
こちらは0系新幹線の後継機として活躍した「100系122形5003号車」が展示されてました。
ここには懐かしい昭和の臭いがプンプンする「駄菓子屋」と「ダイハツミゼットMPA」で、1957年(昭和57年)に発売れれた軽三輪トラックてす。子供の頃何軒もあった駄菓子屋さんも、今は見ないですね。
こちらも懐かしい「昭和の駅」です。私が子供の頃に利用していたのは「丹波口駅」ですが、今の駅の南側にありました。もう少し規模は大きかったです。
このディーゼル機関車は山陰線でも走っていた「DD51形756号機」です。全国で活躍した液体式ディーゼル機関車です。この下に降りて内部も見学できました。
次に1958年(昭和33年)11月に、東海道本線東京〜大阪間を6時間50分で結ぶビジネス特急「こだま」の運転席に入れました。華麗なボンネットスタイルで人気を博した151系ですね。
その後ろには大阪環状線を走っていた「クハ86形1号車」でしょうか?素人なんで詳しいことは分かりません。
この「EF66形35号機」の下にも潜れました。1968年(昭和43年)から量産機が製造された直流区間用電気機関車です。
ここでは「DDD51形756号機」ディーゼル機関車の運転台が再現されていました。また、JR京都線の新快速での車掌の仕事が体験できます。
本館1階では「車両工事」も再現されてるようです。それにしても見所は多いですよね、まだまだ散策は続きます。
あと、2012年(平成24年)2月4日以来来て無かった「梅小路機関車庫」も行く予定です。中編につづく。
【京都鉄道博物館】
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