元離宮二条城 二の丸御殿(国宝)「遠侍 勅使の間」特別入室へ

令和3年1月14日(木)から京都も「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」が出されました。期間は2月7日(日)jまでとなっていますが、その期間中に元離宮二条城では、二の丸御殿(国宝)「遠侍 勅使の間特別入室のイベントが1月4日(月)~1月25日(月)に実施されていたこともあって、1月20日(水)に行って来ました。

昨年は、元離宮二条城に5月22日(金)6月15日(月)8月3日(月)10月7日(水)に登城しました。8月3日の登城時に京都府民限定の「年間パスポート」を購入。そしてパスポートを購入して、今日で3回目の登城で充分元は取ってます

IMG_0411 (1).jpg9時50分頃に「元離宮二条城 第1駐車場」に車を入れ、受付で「年間バスボート」を見せ、重要文化財に指定されている「東大手門」から入城しました。

前方に写っている人は、ここのスタッフの方です。一般の入場者の方は見当たりません。取り急ぎ、今日の目的である「二の丸御殿」に向かいます。

IMG_0412 (1).jpgIMG_0415 (1).jpg重要文化財に指定されている「唐門」に来ましたが、ここも誰も居ません。10時前ですが緊急時代宣言の影響でしょうね。

IMG_0414 (1).jpg9時54分に、国宝二の丸御殿」に入りました。多分、年間バスボートを持って無かったら来なかったでしょうけど貴重な「遠侍 勅使の間」に入れるので来て見ました。

これだけ来ているので、最初から流して見てました。この御殿内で出会ったのはお一人だけでしたね。この「遠侍 勅使の間」は出口近くにありました

EPSON073b.jpgEPSON074b.jpg勅使の間(下段)」西側の「檜桃図」です。ただ入室は出来ましたが、ここのレプリカで本物ではありません。

「遠侍 勅使の間」は、遠侍の北側に位置し、東側が上段、西側が下段となっている対面所です。江戸時代には「殿上の間」とも呼ばれており、朝廷からの使いが通されたと考えられています。筆者は狩野永徳(1543~90)の長男で、その後を継いだ狩野光信(1565~1608)の様式を受け継いだものであることから狩野甚之丞(1583~1628)と考えられています。

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天井画」は金地の格子に二種類の唐花を交互に描いたもので、下段の南壁画には檜の大木、西側の襖には檜、海棠、桃が描かれています。

IMG_0417 (1).jpgほぼ「遠侍 勅使の間」だけを見て、国宝「二の丸御殿」を出て10時5分に、「二の丸庭園」に入りました。

IMG_0418 (2).jpgIMG_0420 (1).jpgIMG_0421 (1).jpgIMG_0422 (1).jpgIMG_0423 (1).jpgIMG_0424 (1).jpgIMG_0426 (1).jpg冬らしい枯れた芝生、そして寒さに弱い蘇鉄に、こもやワラなど巻く「蘇鉄のこも巻き」も見られました。ここも誰も居ませんでしたね。あっさりと見て出て行きました。

IMG_0427 (1).jpgIMG_0428 (1).jpg「二の丸庭園」で見かけたのは、庭の手入れをされている庭師さんだけでした。この日も寒かったので立ち止まらず10時9分には出て来ました。

IMG_0430 (1).jpg本丸に通じる「東橋」と「本丸櫓門」です。ただ現在は本丸御殿の工事がなされているため「本丸」には入らず城内を一周します。

IMG_0431 (1).jpg「本丸」を時計回りで一周します。先ずは重要文化財に指定されている「桃山門」をくぐります。本丸を防御する重要な門ですね。

IMG_0432 (1).jpg「本丸」の石垣と内堀を南東角から見ています。西には「天守台」が見えて来ました。

IMG_0433 (1).jpgこの「桜の園」の前では、期間限定のイベント「京都二条城イルミナージュ」が実施されており、2月21日(日)まで、夜の10時までとなっていましたが、緊急時代宣言のため夜8時(入城は午後7時15分)までまでと変更されています。

冬は日中でも寒いのに、夜から出掛けるつもりはありません。そのためイベントが実施されていたことも、ここに来るまで知りませんでした。

IMG_0434 (1).jpg次に、後で通る「北中仕切門」と対いとなす重要文化財の「南中仕切門」をくぐりました。門の上にたつ土塀と石垣に囲まれていることから「埋門(うずみもん)」と呼ばれています。

IMG_0435 (1).jpgIMG_0436 (1).jpg「南中仕切門」をくぐってもイベントはされてるみたいで「大政奉還」・・・多分、徳川慶喜公でしょう。ここから見る「天守台」には、人は居ないようです。

IMG_0437 (1).jpg次に6月15日(月)では入れた「西南櫓エリア」です。満開のアジサイは圧巻でした。西南櫓の内部の特別公開も待たれます

IMG_0438 (1).jpg次に本丸の西側を北に向かって歩きます。この辺りは桜が大変綺麗で、また行きたいですね。こちらは重要文化財に指定されている「土蔵(米蔵)」です。

IMG_0441 (1).jpgこちらは新たの発見でした。移築された「旧二条城の石垣」がありました。1569年永禄12年、織田信長が室町幕府15代将軍・足利義昭を守るために築城した二条城の石垣です。何度も来てましたが、気がつかなかったです。ここに石垣が復元されてたのは初めて知りました。

1573年(元亀4年)、織田信長は対立していた足利義昭を追放し、城は解体され一部は安土城の建設に使われました。解体された城は一般的に旧二条城と呼ばれています。この石垣は地下鉄烏丸線建設工事によって京都御所西側から遺跡が発見さ、ここに移築保存されています。この時期に日本で布教活動をしいたルイス・フロイスは「石材が不足していたので、代わりに石仏など粉砕して利用された」と記されているが、それが実際にこの石垣で確認されました。

IMG_0443 (1).jpg看板には、「旧二条城」の地図が載ってました。現地には石碑と説明文の看板が建っています。
IMG_0444 (1).jpgIMG_0445 (1).jpgIMG_0446 (1).jpgIMG_0447 (1).jpgその向かいに「西橋」があって、本丸に入れますが橋の上から撮影だけにしました。ここから見ても天守台には人が居ないようです。

IMG_0448 (1).jpg「西橋」を渡らず、次に重要文化財に指定されている「土蔵(米蔵)」の前を通りました。先程の南にあった土蔵と対になっていますね。

IMG_0450 (1).jpgこちらの方向に重要文化財に指定されている「西門」がありますが、どうしても見せてくれません。江戸時代には通用門として使われていたそうです。ただ、城外から堀越しに西門は見えます。

IMG_0452 (1).jpgIMG_0453 (1).jpg先程通った内堀の南側にある南中仕切門と対になっている、重要文化財「北中仕切門」です。こちらも本丸に通じる西門への防御の役目を果たしているのでしょう。

IMG_0455 (1).jpgIMG_0457 (1).jpgこの門をくぐると「加茂七石」があって、西から畚(ふぐろ)石、紫貴船石、紅加茂石、糸掛石、畑石、鞍馬石、八瀬真黒石と並んでいます。

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和楽庵 茶坊 前田」があって、最近は必ず寄ってます。今日は寄る予定はしてませんでしたが、寒かったので入りました

IMG_0461 (1).jpgIMG_0465 (1).jpgIMG_0467 (1).jpgIMG_0468 (1).jpg注文したのは「ぜんざい 小豆粥」にしました。熱々を食べて体を暖めようと思いましたが、外でいただいので直ぐに冷めてしまいましたね

IMG_0474 (1).jpgIMG_0476 (1).jpgここから昭和に作庭された「清流園」を通ります。園内にある通常非公開の「香雲亭(こううんてい)」が開いているのは、「早春の二の丸御膳」と称して食事ができるからですね。要予約で3600円だそうです。

IMG_0477 (1).jpg清流園」から東に進み、重要文化財に指定されている「北大手門」をズームで撮りました。

IMG_0479 (1).jpgIMG_0485 (1).jpg今日は、二の丸御殿(国宝)「遠侍 勅使の間特別入室で来ましたが、そこのはレプリカです。本物は、ここ「二条城障壁画 展示収蔵館」にあります。ただ別途100円要りますけど・・・「年間バスボート」を持っていれば、ここも入れます

ガラス越しですが、館内で座り四方をゆっくり鑑賞しました。ここも展示替えを実施された、また行きたいと思います・・・より、絶対に行きます

IMG_0488 (1).jpgIMG_0489 (1).jpg帰りは、「東大手門」の南側が出口となっているので、そちらから出ました。そうすると重要文化財に指定されている「東大手門」を正面から撮れます。ご覧のように誰も写ってません。

実は、東大手門を出るとき家族連れとすれ違いました。11時5分頃に駐車場に戻ると、行きは1台も止まってませんでしたが、数台に増えてました。市営駐車場で2時間で1050円は高いなぁ・・・と思いましたが、近いので仕方ないですね。近隣のコインパーキングは距離が離れているので・・・今日は、ここだけで帰りました。

【元離宮二条城】

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