京都府北部で唯一の国宝がのこる綾部市 光明寺へ
2月11日(木・祝)は京都に緊急事態宣言が延長された最初の祝日でした。ここ最近は気温も高く、また天気予報も良かったので友人と京都府綾部市の古寺に向かうことにし自宅を7時20分頃、車で出発しました。
本当は、先月の1月11日(月・祝)に行くつもりでしたが、積雪のため断念。前途したとおり、ここ最近は3月頃の気温になったので綾部市の雪も溶けただろう・・・と思った次第です。
車は、沓掛ICから京都縦貫自動車道に入り北に向かいます。途中、亀岡盆地を通りますが、この日は霧は出てません。寒くて天気が良い日には亀岡は霧に包まれますが、やっぱり気温が上がっているのを実感しますね。亀岡市を通過し南丹市に入り、京丹波町を通って綾部市に入りました。車は京丹波和知ICから国道27号線に入りましたが、その頃から綾部は霧に包まれていますし、道路脇には雪が残っています。次に府道1号線(小浜綾部線)に入り、約12㌔ほど北上、それにともない道路脇の雪が増えてきて、道路にも雪が残るようになりました。大町の三叉路を左折し畑口川を渡ると前方に「光明寺二王門」の道しるべが出ているので、そこを左折するとここからは田舎道となり、雪の量も増えてきました。友人の車のタイヤはスタッドレスのため心配は無いだろぅ・・・と。そこから約5㌔ほど山を登って行くことになるとは・・・リサーチ不足でした。霧で前方が見えにくいのに加えて、この雪の量、タイヤの跡があるので滑らずに登れましたが、友人には申し訳ないことをしました。友人曰く、スタッドレス10年ぐらい使っているので性能が落ちてるかも・・・と。着いたのは、君尾山の中腹標高約425㍍にある古刹です。
この日の最初の訪問は、京都府綾部市にある真言宗醍醐派の寺院で、山号は君尾山(きみのおさん)、本尊は千手観音。聖徳太子による開創を伝える光明寺でした。
雪が積もる山道を登って行き、前方に「車両通行止め」と書かれている所で車を止めました。
車から降りてビックリ足のくるぶしぐらいまで雪が積もっています。京都市内では雪が積もっているなんて夢にも思わなかったので替えの靴下も持って来てません。誰か知りませんが、歩いた後の上を歩いて前方に進みます。
ここまでやって来たのは、国宝「二王門」を見るためでした。ただ雪深い中、ここから300㍍も下って行く自信がありません。
それで階段を見上げると、そんなに石段上に雪が積もってないので、登ることにました。ただ、手摺りを両手で持って滑らないように気をつけて一段一段慎重に・・・。
石段を登り切ると、正面に「本堂」がありご本尊の「千手観音」が祀られているようです。
ご覧のような雪が積もっているので、「本堂」まで行けませんでした。登山家の友人は行きましたが、堂内は「見えない」と言ってました。
光明寺(こうみょうじ)は、京都府綾部市にある真言宗醍醐派の寺院。山号は君尾山(きみのおさん)、本尊は千手観音。599年(推古天皇7年)聖徳太子による開創と伝わります。その後673年(白鳳元年)役小角が修験道の道場とし、延喜年間(10世紀初)、醍醐寺開祖の聖宝(理源大師)により真言密教の道場として中興されたという。最盛期には山上山下に72坊を有したといいます。現存する二王門は、棟札の記載によれば1242年(仁治3年)1253年(建長5年)にかけて建立されたものです。この二王門の再興には延暦寺西塔院の僧・覚承が関わっており、この頃は天台系寺院であったことが伺われる。1572年(大栄7年)11月に、「大栄の乱」の兵火を受けて本堂、三重塔、法華堂、常行堂、鎮守拝殿、行者堂、鐘楼、坊舎を焼失しました。寺に残る再興勧進帳により、1533年(天2年)以降、地元の有力者である上林氏により伽藍が再建されるが、1572年(元亀3年)と1579年(天正7年)明智光秀の焼き討ちにあい再び焼失。江戸時代には領主藤掛氏の庇護を受けたが、寺勢は衰退しました。1733年(享保18年)には山下の23坊が焼失。現存する本堂の再建は1836年(天保7年)。明治時代初頭には山上に残っていた4坊がなくなり、寺勢はさらに衰退した。1914年(大正3年)庫裏、方丈、客殿を焼失し、1916年(大正5年)に庫裏が再建されました。
ここから眼下を見れば、遠くに国宝「二王門」が見えています。遠路、ここまでやって来たのに残念ですが、この雪では仕方ないですね。
このように雪が積もっている境内を歩きたく無いけど、せっかく来たので少しだ散策です。先ずは本堂横の「大師堂」です。開基「聖徳太子」、中興「理源大師聖宝」、そして「弘法大師空海」の三師が祀られているようですが、近寄ることはしません。
せめて「鐘楼」までと思い行きました。ここ数日は気温も高かったので雪は降ってないかと、その証拠に屋根には雪は積もってません。標高が高いので雪が溶けずに残っていたのでしょうね。
この光明寺に来たのは、京都北部で唯一の国宝である二王門を見に来た訳で、残念ながら雪で行けなかったので望遠で撮ってみました。次回は、あそこまで行きたいと思っています。
石段を登り切った左手には、周りを支えられている「石燈籠」がありました。これを撮ったあと、下りの石段もゆっくりゆっくり降りました。
手摺りを両手で持ってゆっくり石段を降り、そのあと車まで戻りました。振り向けば私らの靴跡が残っていますね。9時15分頃に、ここを出て行きました。
下りは友人も、慎重に運転し降りて行きます。途中に雲海を見られる所かあったので車を止めて撮りました。下山したら、まだまだ霧が濃いようです。
ここから、ほぼ行きと同じルートで綾部市に戻ります。予想外の積雪でしたが標高を考えるべきでした。次は雪の無いときに二王門を見に来たいと思いましたね。
【綾部市 光明寺】
本当は、先月の1月11日(月・祝)に行くつもりでしたが、積雪のため断念。前途したとおり、ここ最近は3月頃の気温になったので綾部市の雪も溶けただろう・・・と思った次第です。
車は、沓掛ICから京都縦貫自動車道に入り北に向かいます。途中、亀岡盆地を通りますが、この日は霧は出てません。寒くて天気が良い日には亀岡は霧に包まれますが、やっぱり気温が上がっているのを実感しますね。亀岡市を通過し南丹市に入り、京丹波町を通って綾部市に入りました。車は京丹波和知ICから国道27号線に入りましたが、その頃から綾部は霧に包まれていますし、道路脇には雪が残っています。次に府道1号線(小浜綾部線)に入り、約12㌔ほど北上、それにともない道路脇の雪が増えてきて、道路にも雪が残るようになりました。大町の三叉路を左折し畑口川を渡ると前方に「光明寺二王門」の道しるべが出ているので、そこを左折するとここからは田舎道となり、雪の量も増えてきました。友人の車のタイヤはスタッドレスのため心配は無いだろぅ・・・と。そこから約5㌔ほど山を登って行くことになるとは・・・リサーチ不足でした。霧で前方が見えにくいのに加えて、この雪の量、タイヤの跡があるので滑らずに登れましたが、友人には申し訳ないことをしました。友人曰く、スタッドレス10年ぐらい使っているので性能が落ちてるかも・・・と。着いたのは、君尾山の中腹標高約425㍍にある古刹です。
この日の最初の訪問は、京都府綾部市にある真言宗醍醐派の寺院で、山号は君尾山(きみのおさん)、本尊は千手観音。聖徳太子による開創を伝える光明寺でした。
雪が積もる山道を登って行き、前方に「車両通行止め」と書かれている所で車を止めました。
車から降りてビックリ足のくるぶしぐらいまで雪が積もっています。京都市内では雪が積もっているなんて夢にも思わなかったので替えの靴下も持って来てません。誰か知りませんが、歩いた後の上を歩いて前方に進みます。
ここまでやって来たのは、国宝「二王門」を見るためでした。ただ雪深い中、ここから300㍍も下って行く自信がありません。
それで階段を見上げると、そんなに石段上に雪が積もってないので、登ることにました。ただ、手摺りを両手で持って滑らないように気をつけて一段一段慎重に・・・。
石段を登り切ると、正面に「本堂」がありご本尊の「千手観音」が祀られているようです。
ご覧のような雪が積もっているので、「本堂」まで行けませんでした。登山家の友人は行きましたが、堂内は「見えない」と言ってました。
光明寺(こうみょうじ)は、京都府綾部市にある真言宗醍醐派の寺院。山号は君尾山(きみのおさん)、本尊は千手観音。599年(推古天皇7年)聖徳太子による開創と伝わります。その後673年(白鳳元年)役小角が修験道の道場とし、延喜年間(10世紀初)、醍醐寺開祖の聖宝(理源大師)により真言密教の道場として中興されたという。最盛期には山上山下に72坊を有したといいます。現存する二王門は、棟札の記載によれば1242年(仁治3年)1253年(建長5年)にかけて建立されたものです。この二王門の再興には延暦寺西塔院の僧・覚承が関わっており、この頃は天台系寺院であったことが伺われる。1572年(大栄7年)11月に、「大栄の乱」の兵火を受けて本堂、三重塔、法華堂、常行堂、鎮守拝殿、行者堂、鐘楼、坊舎を焼失しました。寺に残る再興勧進帳により、1533年(天2年)以降、地元の有力者である上林氏により伽藍が再建されるが、1572年(元亀3年)と1579年(天正7年)明智光秀の焼き討ちにあい再び焼失。江戸時代には領主藤掛氏の庇護を受けたが、寺勢は衰退しました。1733年(享保18年)には山下の23坊が焼失。現存する本堂の再建は1836年(天保7年)。明治時代初頭には山上に残っていた4坊がなくなり、寺勢はさらに衰退した。1914年(大正3年)庫裏、方丈、客殿を焼失し、1916年(大正5年)に庫裏が再建されました。
ここから眼下を見れば、遠くに国宝「二王門」が見えています。遠路、ここまでやって来たのに残念ですが、この雪では仕方ないですね。
このように雪が積もっている境内を歩きたく無いけど、せっかく来たので少しだ散策です。先ずは本堂横の「大師堂」です。開基「聖徳太子」、中興「理源大師聖宝」、そして「弘法大師空海」の三師が祀られているようですが、近寄ることはしません。
せめて「鐘楼」までと思い行きました。ここ数日は気温も高かったので雪は降ってないかと、その証拠に屋根には雪は積もってません。標高が高いので雪が溶けずに残っていたのでしょうね。
この光明寺に来たのは、京都北部で唯一の国宝である二王門を見に来た訳で、残念ながら雪で行けなかったので望遠で撮ってみました。次回は、あそこまで行きたいと思っています。
石段を登り切った左手には、周りを支えられている「石燈籠」がありました。これを撮ったあと、下りの石段もゆっくりゆっくり降りました。
手摺りを両手で持ってゆっくり石段を降り、そのあと車まで戻りました。振り向けば私らの靴跡が残っていますね。9時15分頃に、ここを出て行きました。
下りは友人も、慎重に運転し降りて行きます。途中に雲海を見られる所かあったので車を止めて撮りました。下山したら、まだまだ霧が濃いようです。
ここから、ほぼ行きと同じルートで綾部市に戻ります。予想外の積雪でしたが標高を考えるべきでした。次は雪の無いときに二王門を見に来たいと思いましたね。
【綾部市 光明寺】
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