本殿が重要文化財に指定されている大山祇神社へ
山家城址公園を10時10分頃に出発し、京丹波わちICから京都縦貫自動車道に乗り京都方面に戻ります。行きは霧に包まれていた綾部市もすっかり晴れており道路も空いていました。事前に友人が南丹市園部町にて所要があるのと聞いていたので、途中の「道の駅 京丹波 味夢の里」に買い物のため寄りました。
10時40分頃に着いて、トイレ休憩と私も少しばかりお土産を買いました。ここはドッグランもあり犬の鳴き声がうるさいです。私は犬が大の苦手のため早々に出発してもらいました。
京都縦貫自動車道は園部ICで降り、南丹市園部町内にある施設で、11時00分頃から11時10分頃まで友人は所要を済ませます。その間、私は車を降りて外を散策。そして友人の用事が終わるのを待って次の目的地をナビに入れ出発しましたが、次の目的地は電話番号も番地も無いのでナビはアパウトに。私がスマホを見て誘導するこになりました。
車は、「京都府立るり渓自然公園」の前を通ります。小学校時代の遠足でオオサンショウウオを見たなぁ・・・と懐かしい事も思い出しましたが、その先は兵庫県なんですね。スマホの地図が見づらいこともあって少々迷いましたが、11時35分に無事到着することが出来ました。ここに来た目的は本殿が重要文化財に指定されている大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)を見ることでした。
府道から離れているから少し分かりずらかったのは事実です。この社号標を見付けたのでホットしました。
本当は、友人は車をグングン登って行ったため、前途写真は帰りに撮りました。本殿は、まだ先にあります。
「大山祇神社」と書かれた扁額が架かる鳥居の左右に「狛犬」が鎮座しています。ここから、まだ車で少しだけ上がりました。
スマホ地図の誘導でやっと着くことができました。ここから車を降りてお目当ての本殿に向かいます。
石段を上がると右手に苔むした石碑があって「文化財 まもる故郷 宮の春」と読めました。そして「手水舎」には山水でしょうか流れていましたが柄杓は無いです。
小さな境内の中央に「拝殿」があります。このような山中の神社のため誰も居ませんね。
そして次に本殿です。重文の本殿を見に来た訳ですが、思っていたより小ぶりですし、覆屋で覆われていますね。
社殿は一間社流造で、屋根の両端に杉の鬼板が取り付けられています。ただ綺麗に写ってないのが残念です。ただ、再訪は無いでしょう、遠すぎます。
大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の創立は藤原純友(すみとも)の弟純索(すみもと)が、熊野三所権現を祀ったのに始まり、後に楠木正季(まさすえ・楠木正成の弟)が、この血に1374年(文中3年)社地を改めたと伝えられる。本殿(重要文化財)の建立は、1419年(応永26年)11月20日棟上、楠の血末当村郷士下村義親、田井義高が造り替えたともいう。一間社流造、屋根は「杮葺」箱棟をのせ鬼板をすえている。この鬼板には鬼面を彫刻したものを貼り付けた珍しい物で、類例の乏しい貴重な資料である。竹物の構造はすべて簡素であるが建立年代が明らかであり、特に屋根杮葺も初建当時の形式を良く保存している。なお、天上には初建当時の工作型板12枚を保存しているなど稀有の資料がある。
本殿と同じ覆屋の中に末社が5社並んでいます。殆ど不明ですが、左端の「八幡宮」と真ん中の「春日社」は分かりました。
ご覧のように狭い境内ですので長居は無用です。朱印帳も持参してきましたが車に置いたままでした。予想通り「社務所」には誰も居ないようです。
11時45分頃前途した通り、路上に車を止めて神社入口にあった由緒書きを撮りました。
府道は園部川を渡った先にあるのでナビでは分からなかった道路です。写真は道路南側を撮ってますが、東側には民家が点在しているので写真は撮ってません。車は、その東側に向いて亀岡方面に向かいます。
【大山祇神社 南丹市】
10時40分頃に着いて、トイレ休憩と私も少しばかりお土産を買いました。ここはドッグランもあり犬の鳴き声がうるさいです。私は犬が大の苦手のため早々に出発してもらいました。
京都縦貫自動車道は園部ICで降り、南丹市園部町内にある施設で、11時00分頃から11時10分頃まで友人は所要を済ませます。その間、私は車を降りて外を散策。そして友人の用事が終わるのを待って次の目的地をナビに入れ出発しましたが、次の目的地は電話番号も番地も無いのでナビはアパウトに。私がスマホを見て誘導するこになりました。
車は、「京都府立るり渓自然公園」の前を通ります。小学校時代の遠足でオオサンショウウオを見たなぁ・・・と懐かしい事も思い出しましたが、その先は兵庫県なんですね。スマホの地図が見づらいこともあって少々迷いましたが、11時35分に無事到着することが出来ました。ここに来た目的は本殿が重要文化財に指定されている大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)を見ることでした。
府道から離れているから少し分かりずらかったのは事実です。この社号標を見付けたのでホットしました。
本当は、友人は車をグングン登って行ったため、前途写真は帰りに撮りました。本殿は、まだ先にあります。
「大山祇神社」と書かれた扁額が架かる鳥居の左右に「狛犬」が鎮座しています。ここから、まだ車で少しだけ上がりました。
スマホ地図の誘導でやっと着くことができました。ここから車を降りてお目当ての本殿に向かいます。
石段を上がると右手に苔むした石碑があって「文化財 まもる故郷 宮の春」と読めました。そして「手水舎」には山水でしょうか流れていましたが柄杓は無いです。
小さな境内の中央に「拝殿」があります。このような山中の神社のため誰も居ませんね。
そして次に本殿です。重文の本殿を見に来た訳ですが、思っていたより小ぶりですし、覆屋で覆われていますね。
社殿は一間社流造で、屋根の両端に杉の鬼板が取り付けられています。ただ綺麗に写ってないのが残念です。ただ、再訪は無いでしょう、遠すぎます。
大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の創立は藤原純友(すみとも)の弟純索(すみもと)が、熊野三所権現を祀ったのに始まり、後に楠木正季(まさすえ・楠木正成の弟)が、この血に1374年(文中3年)社地を改めたと伝えられる。本殿(重要文化財)の建立は、1419年(応永26年)11月20日棟上、楠の血末当村郷士下村義親、田井義高が造り替えたともいう。一間社流造、屋根は「杮葺」箱棟をのせ鬼板をすえている。この鬼板には鬼面を彫刻したものを貼り付けた珍しい物で、類例の乏しい貴重な資料である。竹物の構造はすべて簡素であるが建立年代が明らかであり、特に屋根杮葺も初建当時の形式を良く保存している。なお、天上には初建当時の工作型板12枚を保存しているなど稀有の資料がある。
本殿と同じ覆屋の中に末社が5社並んでいます。殆ど不明ですが、左端の「八幡宮」と真ん中の「春日社」は分かりました。
ご覧のように狭い境内ですので長居は無用です。朱印帳も持参してきましたが車に置いたままでした。予想通り「社務所」には誰も居ないようです。
11時45分頃前途した通り、路上に車を止めて神社入口にあった由緒書きを撮りました。
府道は園部川を渡った先にあるのでナビでは分からなかった道路です。写真は道路南側を撮ってますが、東側には民家が点在しているので写真は撮ってません。車は、その東側に向いて亀岡方面に向かいます。
【大山祇神社 南丹市】
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