第55回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 大徳寺塔頭 聚光院へ
大徳寺塔頭 瑞峯院を出たら、次に第55回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 大徳寺塔頭 聚光院に向かいました。ここは2014年(平成26年)1月25日に一度来ています。ただ、その時は前年の台風18号による強風で倒木による屋根が被災したことにより、方丈の屋根の修復工事が行われていました。そのため庭園が見られないほど景観が損なわれていたため、本日再訪した訳です。
瑞峯院を出て、朱塗りの三門を右手に見ながら大徳寺の境内を北に進むと、右手に長期修復工事に入られた「本坊」があって、その左手に聚光院の「表門」がありました。



2014年(平成26年)1月25日の訪問で、公開も7年振りです。頻繁に公開されないので拝観者は多いだろう・・・と想像は付きました。
10時20分に着きました。事前予約は10時20分から40分を予約済みでしたが、殆ど事前予約の意味は無かったですね。
先の瑞峯院も、ここ聚光院も事前予約してきましたが、受付の方は何も見られません。密にならないようにと予約制とありましたが、何処かにアビールでもされているのでしょうか?せめてスマホの画面は確認して欲しかったなぁ・・・が感想です。なお、ここは前回も、今回も受付以降から庭園も堂内も撮影禁止です。それで前回購入したポストカードや、前回景観が損なわれているお詫びに聚光院さんからいただいたポストカード、そして今回のパンフの写真を使います
。
1566年(永禄9年)戦国武将・三好義継が父の三好長慶の菩提を弔うために創建。大徳寺第百七世住持・笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)を開祖に迎えた。千利休自らが選んだ菩提寺であり、茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の墓所。茶人にとっての聖地でもあります。方丈(重文)は、桃山の画壇を風靡した絵師・狩野永徳と、その父松栄(しょうえい)の「花鳥図」「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」「琴棋書画図(きんきしょがず)」など国宝の障壁画(複製)で飾られている。 永徳の下絵を元に利休が作庭したと伝わる「百積の庭」(名勝)や、茶室「閑隠席(かんいんせき)」(重文)と「桝床席(ますどこせき)」(重文)の二つの名席もみどころです。
予想通り、ここは人が多かったし、受付まで少し待ちました。先ずは検温されて手指消毒をして京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券をここも使いました。
靴を脱いで、「方丈」に上がりました。2014年(平成26年)1月25日では工事中のため見られなかった庭園を初めて見ました。
「方丈南庭」(名勝)は、狩野永徳の下絵を元に、千利休が作庭したと言われる枯山水庭園。石橋を中心に直線上に数多くの庭石を配していることから「百積の庭」と呼ばれている。
「方丈」は、禅宗様式となっており最初の部屋は、「礼の間(らいのま)」で、襖絵は狩野松栄の「瀟湘八景図」でした。私が方丈に上がる時には、学生さんのガイドが始まっており、多くの人が座って聞かれてます。

そして、次の間が「室中」で、襖絵は松栄の長男・狩野永徳筆「花鳥図」でした。仏間にはこの聚光院の開祖・笑嶺宗訴の木像を安置。その左隣に本尊の釈迦如来像を安置。その左隣には千利休の木像が安置されてました。
次の間が「檀那の間」でした。方丈南側の西側にある部屋には、狩野永徳筆「琴棋書画図」を見ることが出来ました。ただ人が多いので、あとでゆっくり見直ししましたね。
その「檀那の間」の裏側(北側)が「衣鉢の間」で、襖絵は狩野永徳の父・狩野松栄「虎図」「遊猿図」です。「虎図」には、雌の豹も描かれていますが、当時日本には虎が居なかったため、虎の雌が豹だと勘違いで描かれたようです。同じような様子が二条城の御殿でも見られるので確認してくださいとガイドさんが言ってました。「遊猿図」には、白い小さな子猿が描かれていました。これは松栄が、我が子永徳を描いたんじゃないかとガイドさんから説明を受けました。
なお、ここの襖絵は国宝ですが、本物は京都国立博物館に寄託されているので、すべて複製です。本物と見分けが付かないほど高性能ですね。
方丈の襖絵を見た後は、右奥の茶室に移動します。ここの茶室は書院の中に取り込まれた形式です。
こちらが重要文化財に指定されている「閑隠席(かんいんせき)」で、三畳敷きと真っ直ぐな中柱と袖壁を立てた台目切りの茶室です。
1741年(寛永元年)に利休の百五十回忌にあたり表千家七世・如心斎(じょしんさい)が寄進したものといい、利休好みの素朴で古風な茶室です。
「閑隠席(かんいんせき)」から水屋を挟んで、こちらも重要文化財に指定されている「枡床席(ますどこせき)」があります。
半畳の床が枡形であることから、「枡床席(ますどこせき)」と名付けられました。こちらの中柱は少し曲がっているのが特徴だとか。表千家六世・覚々斎(かくかくさい)原叟好みという。
このあと、もう一周してからここを出て行きました。特別拝観も久し振りと言うこともあって、ここは拝観者は多かったです。3月29日まで延長されましたが、拝観休止日も多いので実質6日間だけ。人が集まるのも仕方ないかも知れません。
特別公開でも聚光院の墓地は開放されません。この日も公開はありませんでした。左が「千利休」、右が「三好長慶」の墓です。
10時44分に聚光院を出ました。瑞峯院と違って次から次へと入って来られますね。土日には密になっていたんじゃないかなぁ?。
ここから真っ直ぐに大徳寺の駐車場に戻りました。9時57分から10時53分。2時間以内で、500円で済みました。
この日で「京の冬の旅」スタンプラリーのスタンプを2個貯まりました。残り一箇所は決めてますが、この日は行きません。今日は、ここから「くら寿司 金閣寺店」に寄ってから帰りました。
【大徳寺塔頭 聚光院】







先の瑞峯院も、ここ聚光院も事前予約してきましたが、受付の方は何も見られません。密にならないようにと予約制とありましたが、何処かにアビールでもされているのでしょうか?せめてスマホの画面は確認して欲しかったなぁ・・・が感想です。なお、ここは前回も、今回も受付以降から庭園も堂内も撮影禁止です。それで前回購入したポストカードや、前回景観が損なわれているお詫びに聚光院さんからいただいたポストカード、そして今回のパンフの写真を使います

1566年(永禄9年)戦国武将・三好義継が父の三好長慶の菩提を弔うために創建。大徳寺第百七世住持・笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)を開祖に迎えた。千利休自らが選んだ菩提寺であり、茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の墓所。茶人にとっての聖地でもあります。方丈(重文)は、桃山の画壇を風靡した絵師・狩野永徳と、その父松栄(しょうえい)の「花鳥図」「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」「琴棋書画図(きんきしょがず)」など国宝の障壁画(複製)で飾られている。 永徳の下絵を元に利休が作庭したと伝わる「百積の庭」(名勝)や、茶室「閑隠席(かんいんせき)」(重文)と「桝床席(ますどこせき)」(重文)の二つの名席もみどころです。
予想通り、ここは人が多かったし、受付まで少し待ちました。先ずは検温されて手指消毒をして京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券をここも使いました。


「方丈」は、禅宗様式となっており最初の部屋は、「礼の間(らいのま)」で、襖絵は狩野松栄の「瀟湘八景図」でした。私が方丈に上がる時には、学生さんのガイドが始まっており、多くの人が座って聞かれてます。



その「檀那の間」の裏側(北側)が「衣鉢の間」で、襖絵は狩野永徳の父・狩野松栄「虎図」「遊猿図」です。「虎図」には、雌の豹も描かれていますが、当時日本には虎が居なかったため、虎の雌が豹だと勘違いで描かれたようです。同じような様子が二条城の御殿でも見られるので確認してくださいとガイドさんが言ってました。「遊猿図」には、白い小さな子猿が描かれていました。これは松栄が、我が子永徳を描いたんじゃないかとガイドさんから説明を受けました。
なお、ここの襖絵は国宝ですが、本物は京都国立博物館に寄託されているので、すべて複製です。本物と見分けが付かないほど高性能ですね。


1741年(寛永元年)に利休の百五十回忌にあたり表千家七世・如心斎(じょしんさい)が寄進したものといい、利休好みの素朴で古風な茶室です。

半畳の床が枡形であることから、「枡床席(ますどこせき)」と名付けられました。こちらの中柱は少し曲がっているのが特徴だとか。表千家六世・覚々斎(かくかくさい)原叟好みという。
このあと、もう一周してからここを出て行きました。特別拝観も久し振りと言うこともあって、ここは拝観者は多かったです。3月29日まで延長されましたが、拝観休止日も多いので実質6日間だけ。人が集まるのも仕方ないかも知れません。



この日で「京の冬の旅」スタンプラリーのスタンプを2個貯まりました。残り一箇所は決めてますが、この日は行きません。今日は、ここから「くら寿司 金閣寺店」に寄ってから帰りました。
【大徳寺塔頭 聚光院】
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