第55回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 智積院(宸殿)へ
「京の冬の旅」も三箇所回って、スタンプラリーのスタンプを貯めて特典も受けました。ただ、通常公開している智積院の宸殿が特別に公開されていることもあって、4箇所めですが3月19日(金)に行ってきました。
今回、智積院は第55回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開で、1月9日から1月31日までは「密厳堂」「三部権現社」「求聞持堂」の特別公開が予定されていました。そして2月1日から2月28日まで「宸殿」の特別公開でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言のため2月末まで「京の冬の旅」が中止されたことで、3月12日から4月11日まで「宸殿」の特別公開が延長された訳です。
自宅を車で出発し、智積院には10時17分頃に「第一駐車場」に車を入れました。ここは無料で止められます。ただ私が止めた段階で満車となりました
。第一駐車場は、そんなに広くはないです。

車から降りると最初に見るのが「冠木門(かぶきもん)」です。この門は、1984年(昭和59年)に智積院檀徒より寄進されたものです。
帰ってから調べると、ここ智積院に来たのは10年前でした。2011年(平成23年)5月25日以来の久し振りの訪問です。


案内にしたがって参道を進むと途中に「サンシュ」が綺麗に咲いていました。ここには梅林もありますが帰りに寄ります
。


正面に「講堂(こうどう)」が見えると、その手前に「拝観受付所」があって、900円を納めます。なお、通常拝観は500円です。
前に2組の方が居たので、ソーシャルディスタンスを保って並んだ後、案内では「収蔵庫」に行くように言われますが、ここは帰りに寄ることにして私は「名勝庭園」に向かいました。
智積院は、全国に三千余カ寺を擁する真言宗智山派総本山。南北朝のころ創建された紀州根来山の学頭寺院が起こり。1585年(天正13年)兵火に遭い、難を京都に避けた。大坂城落城後、豊臣秀吉の愛児鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺の寺領を徳川家康が寄進し、五百佛山根来寺智積院と改め、仏教研学の道場として栄えた。本尊は金剛界大日如来、開山は玄宥。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺および東京都八王子市の高尾山薬王院がある。
唐門をくぐると正面に「講堂」が見えます。こちらは後j程、「名勝庭園」に上がって、講堂内の襖絵など鑑賞します。
講堂は、1995年(平成7年)に完成したもので、灌頂道場や各種研修の道場として使用されています。堂内には、2008年(平成20年)に田渕俊夫画伯の襖絵が奉納されています。
庭園に行く前に、「高浜虚子句碑」を見ていきます。1930年(昭和5年)に智積院を訪れた時に詠んだもので、「ひらひらと つくもをぬひて 落花かな」と書かれていました。
講堂を回り込むと、突き当たりに、今日の目的地である「宸殿」が見えています。


「利休好みの庭」と伝えられる庭園を見ながら講堂の横を進むと、講堂と大書院の間にの露地に出ます。すっかり忘れてましたが、この奥から「大書院」に上がります。


国宝の障壁画がかつて飾られていた「大書院(おおしょいん)」には誰も居ないようです。収蔵庫をパスして先に来て見て良かったです。


名勝庭園に面した大書院には、長谷川等伯筆「楓図」、息子久蔵筆「桜図」をはじめ、上段の間に「松に立葵図」などの模写が嵌められています。

東山随一の名庭。皐が彩る築山は中国の廬山を象っているといい山裾や中腹に石組みを配し変化を付けています。青石を用いた石橋など桃山様式が見られる部分は、祥雲禅寺庭園の遺構を残している。
大書院前にあった「一文字型手水鉢」です。祥雲禅寺時代に造られた鑑賞式林泉を1674年(延宝2年)に修築されました。
次が、いよいよお目当ての「宸殿」です。襖絵を保護するためか室内の様子は分かりませんね。



宸殿入口でスタッフの方に写真撮影の有無を確認しました。何も書いてありませんが「宸殿内の撮影は遠慮させてもらってます」と言うことで、ここから先は写真はありません
。
宸殿は、智積院の迎賓館にあたる賓客を迎えるための建物です。案内にしたがって最初の部屋に入ると、そこには堂本印象が描いた「婦女喫茶図」です。
京都画壇の巨匠・堂本印象が金地に豊かな色彩で洋装と和装の女性の野点の模様を描いたものです。和装の女性の足元はサンダルですね
。
そして床の間を見ると、そこには狩野探幽の養子狩野益信が描いたの掛け軸「虎図」「文殊菩薩」「雲龍図」も見ることができました。もちろん本物だそうです
。
宸殿には3つの部屋があって、すべて堂本印象が描いています。中央の部屋はで間は水墨で、「朝顔に鶏の図」「茄子に鶏の図」「流水に鳶の図」で、1958年(昭和33年)に描いたものです。
堂本印象最後の部屋は、色彩襖八面の「松桜柳の図(しょうおうやなぎず)」で、こちらも1958年(昭和33年)の作品です。
最後に案内された部屋は「三山の間」といい、成田山新勝寺(成田不動)、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山の管主の方が智積院に来られた時に入られる部屋でした。そして違い棚の障壁画が、長谷川等伯筆、国宝「松に黄葡葵図(まつにとろろあおいず)」でした。収蔵庫でも見られますが、こちらはその一部分、しかしこちらも国宝です
。ガイドさんの話しでは、この部屋は滅多に公開されないとも言われてました。貴重な障壁画を見られて幸いです。ただ元は襖絵だったのを障壁に貼り付けられたようですね。



宸殿を出ると、次に案内にしたがって進むと、「総門(そうもん)」が見えました。七条通りから見ると正面に見えますね。ここは出入りできません。
総門は、1682年(天和2年)に焼失した方丈殿の再建には東福門院の旧殿などが資材として使われましたが、この総門もその東福門院より移築されたと伝えられています。
智積院大玄関正面の使者の間に収めてある「布袋唐子嬉戯の図(ほていからこきぎのず)」です。






このあと、最初に見た大広間に戻ってきます。最初は誰も居ませんでしたが、3組ほど綺麗な庭園を見てましたね。次に「講堂」に向かいます。

「講堂」の襖絵は、2008年(平成20年)に田渕俊夫画伯が奉納されたもの。ただ撮影禁止でした。写真は下から望遠で撮ったものです。

講堂を一回りしました。すっかり忘れていたけど、ここにも「一文字型手水鉢」がありましたね。



私は、最後に「収蔵庫」に入りました。10年振りですが、展示品は変わって無いはずです。
国宝「楓図」長谷川等伯筆。国宝「松に草花図」は、長谷川等伯筆とする説もあるが、息子久蔵との合作、他の優れた弟子による合作など諸説あり。国宝「桜図」長谷川久蔵筆。そして、先程「三山の間」で見た、国宝「松に黄葡葵図」長谷川等伯筆。
この収蔵庫も2011年(平成23年)5月25日入りました。内部は撮影禁止のため写真はありませんが、熱心な長谷川等伯ファンをいつ来ても見られます
。本来「京の冬の旅」では、1月には境内の北西にある諸堂が公開予定でした。その諸堂の記憶があまりないので、これから見に行きます。
【智積院 宸殿】

今回、智積院は第55回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開で、1月9日から1月31日までは「密厳堂」「三部権現社」「求聞持堂」の特別公開が予定されていました。そして2月1日から2月28日まで「宸殿」の特別公開でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言のため2月末まで「京の冬の旅」が中止されたことで、3月12日から4月11日まで「宸殿」の特別公開が延長された訳です。
自宅を車で出発し、智積院には10時17分頃に「第一駐車場」に車を入れました。ここは無料で止められます。ただ私が止めた段階で満車となりました



帰ってから調べると、ここ智積院に来たのは10年前でした。2011年(平成23年)5月25日以来の久し振りの訪問です。







前に2組の方が居たので、ソーシャルディスタンスを保って並んだ後、案内では「収蔵庫」に行くように言われますが、ここは帰りに寄ることにして私は「名勝庭園」に向かいました。
智積院は、全国に三千余カ寺を擁する真言宗智山派総本山。南北朝のころ創建された紀州根来山の学頭寺院が起こり。1585年(天正13年)兵火に遭い、難を京都に避けた。大坂城落城後、豊臣秀吉の愛児鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺の寺領を徳川家康が寄進し、五百佛山根来寺智積院と改め、仏教研学の道場として栄えた。本尊は金剛界大日如来、開山は玄宥。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺および東京都八王子市の高尾山薬王院がある。

講堂は、1995年(平成7年)に完成したもので、灌頂道場や各種研修の道場として使用されています。堂内には、2008年(平成20年)に田渕俊夫画伯の襖絵が奉納されています。




















宸殿は、智積院の迎賓館にあたる賓客を迎えるための建物です。案内にしたがって最初の部屋に入ると、そこには堂本印象が描いた「婦女喫茶図」です。


そして床の間を見ると、そこには狩野探幽の養子狩野益信が描いたの掛け軸「虎図」「文殊菩薩」「雲龍図」も見ることができました。もちろん本物だそうです

宸殿には3つの部屋があって、すべて堂本印象が描いています。中央の部屋はで間は水墨で、「朝顔に鶏の図」「茄子に鶏の図」「流水に鳶の図」で、1958年(昭和33年)に描いたものです。
堂本印象最後の部屋は、色彩襖八面の「松桜柳の図(しょうおうやなぎず)」で、こちらも1958年(昭和33年)の作品です。
最後に案内された部屋は「三山の間」といい、成田山新勝寺(成田不動)、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山の管主の方が智積院に来られた時に入られる部屋でした。そして違い棚の障壁画が、長谷川等伯筆、国宝「松に黄葡葵図(まつにとろろあおいず)」でした。収蔵庫でも見られますが、こちらはその一部分、しかしこちらも国宝です





総門は、1682年(天和2年)に焼失した方丈殿の再建には東福門院の旧殿などが資材として使われましたが、この総門もその東福門院より移築されたと伝えられています。



「浄」後藤順一筆。1995年(平成7年)。


「百雀図」後藤順一筆。1995年(平成7年)。











国宝「楓図」長谷川等伯筆。国宝「松に草花図」は、長谷川等伯筆とする説もあるが、息子久蔵との合作、他の優れた弟子による合作など諸説あり。国宝「桜図」長谷川久蔵筆。そして、先程「三山の間」で見た、国宝「松に黄葡葵図」長谷川等伯筆。
この収蔵庫も2011年(平成23年)5月25日入りました。内部は撮影禁止のため写真はありませんが、熱心な長谷川等伯ファンをいつ来ても見られます

【智積院 宸殿】
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