「春の特別拝観」天龍寺塔頭 弘源寺へ

宝厳院で共通券を買ったので、次に天龍寺塔頭 弘源寺に向かいました。

臨済宗・天龍寺塔頭。1429年(永享元年)室町幕府の管領であった細川持之が、天龍寺開山である夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎え創建。当時は広大な寺領を有したが、幾度かの火災に遭遇し、1884年(明治17年)に末庵である維北軒と合寺した。枯山水の「虎嘯の庭」、毘沙門天(重要文化財)を祀る毘沙門堂、竹内栖鳳とその一門(上村松園・西山翠嶂・徳岡神泉・小野竹喬ほか)の作品、また小倉山墓地には向井去来の墓と西行法師ゆかりの井戸などがある。通常非公開で特別公開時のみ

IMG_2574.jpgIMG_2573.jpg再び天龍寺の境内に戻ってきて、9時37分に「山門」に着きました。調べたら2012年(平成24年)5月5日以来の訪問でした。

IMG_2559.jpgIMG_2561.jpg山門を入って左手に「拝観受付所」がありますが、共通券を見せて「本堂玄関」に進みます。

IMG_2569.jpgIMG_2567.jpgIMG_2566.jpgIMG_2562.jpg:玄関を入ると、最初に見るのが「虎嘯(こしょう)の庭」です。嵐山を借景にした枯山水庭園ですね。「龍を吟じて雲を起こし、虎嘯きて風を生ず」禅の悟りを表しています。白砂と苔のコントラストが美しい。

以前、古い写真を見ると、ガラス戸が開けられ外に出られました。2012年(平成24年)5月5日の時も、ガラス戸は開けられませんでしたが、この日もそうでした。何も変化はありません。

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1864年(元治元年)7月20日に「京都御所蛤御門の変(禁門の変)」が怒ったとき、長州藩の軍勢が1500人天龍寺に陣を敷き、血気にはやる兵が柱に試し切りしたときの跡だと言われています。

本堂内の室内の部屋はすべて撮影禁止です。玄関を入って最初の部屋は「仏間」です。中央に本尊の観世音菩薩像、右側に開山の玉岫禅師像、左側に開基である細川右京太夫持之公の位牌が祀られています。襖絵は森月城の「竹の図」でした。次の間には、竹内栖鳳や上村松園の掛け軸や、「扇面貼交屏風(24面)」、「嵯峨野名所色紙貼交屏風(24面)」なとが見所です。最後の部屋は、大矢峻嶺筆「梅の図」「松の図」が展示されていました。

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CIMG7962.jpgなお、この部屋の奥にはの池のあるお庭が見えていますが、撮影禁止でした。それで、以前訪問したときのを使用してます。

ほぼ10年振りに来ましたが、特に変わりは無かったです。何か目新しいものがあるかなぁ・・・と期待をこめて訪問しましたが、残念です。多分、もう行かないと思います。次に案内にしたがって「毘沙門堂」に向かいます。

IMG_2570.jpgIMG_2560.jpg毘沙門堂も、毎年「天龍寺節分会」の時は全開されているので目新しくはありません。ただ堂内は撮影禁止でした。

CIMG2037.jpg写真は数年前の節分会に来た時に撮ったものです。この時は禁止じゃありませんでした。天井画は日本画家初代藤原孚石筆による四季草花48面の絵画が描かれています。

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ご本尊の「毘沙門天立像(国指定重要文化財)」は、幕が掛かっており、直接は見えません。数々の毘沙門天像見てますが、ここのは変わってますね

IMG_2571.jpgIMG_2572.jpg9時45分に、ここを出て行きました。毎年、節分会の時は門前で「節分饅頭」売られていたのに、そのお店が廃業されのは残念です。安くて美味しかったからね。

今年の「お彼岸」は、3月17日(水)~3月23日(火)でした。この日は3月26日(金)で終わってますが、ここからお墓参りに向かいました。お花は買ってませが、線香と蝋燭は持参してました。

【天龍寺塔頭 弘源寺】

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